第34話 追憶8

 母さんが入院していた2週間、俺は平穏の日々を過ごすことが出来た。母さんは病院にいて、いなくなることが無かったから、夜中、飛び出したりする事もないからだった。


久しぶりに、ぐっすり寝れる日々が続いた。

それまでは、ずっと眠りが浅かった。寝ている時に、誰かが動く気配で俺は起きれるまでになっていた。


母さんは退院してから、夜中、飛び出していなくなる事も、父さんと喧嘩することも無くなった。俺は子供心にも仲直りしてくれたんだと思い、今までの生活が戻って来る事を祈って毎日を過ごしていた。


時は流れて、もうすぐ二学期が終わるころ、クリスマスがもうじきの頃。


母さんは、夜飛び出すことは無かった。だから、俺もしばらく外の、夜中の街にパジャマで走る様な事は無かった。そんな、ある夜、俺は、人が、誰かが家の玄関の引き戸を閉める音に気が付いて目が覚めた。


俺はすぐに布団から起きて、隣の母さんを確認すると、そこには、綺麗に畳まれた布団があって、母さんはいなくなっていた。俺は、ちゃんと確認しようと、すぐに部屋の電気をつけたが、やはり、そこには敷き布団が、三つに畳まれて、掛布団も、その上に置いてあって……


「母さん!」


俺は、すぐに襖を開けて、隣の部屋にいてくれることを期待して、声を掛けたが、そこには誰もいなかったが、六畳ほどの部屋の真ん中にある茶色の四角い小さなテーブルの上には赤い包装紙に緑のモミの木が描かれ、緑のリボンがかけられた、小さな箱が置いてあった。メッセージカードと一緒に。そのカードをリボンから外して開けると、


『ケンちゃん、ごめんなさい。さようなら』


母さんの字で、きれいな字で、細い線で弱々しく書かれていた。

俺は、咄嗟に追いかけようと玄関に行ったら、なかった。

俺の靴が。

母さんが俺を追いかけてこないように靴を隠したんだ。と、俺は思った。


俺は裸足で追いかけた。


クリスマスの街並み、もうすでに人通りも車の通りも無くなった大通りは気温以上に俺の身体を冷やした。今夜は母さんは本気だ。絶対に帰らない。俺はその時に直感して、必死に探した。素足で走る冬のアスファルトは想像以上に冷たくて、当たり前に落ちている小石や瓶のかけらなんかはそれを踏むたびに俺の走る速度を削いでいった。それでも、俺はあきらめなかった。今夜見つけられなかったら、母さんは俺の前から消えてしまうと思ったから。


大通りを渡って、二本いった路地にハザードランプを点滅させた車が止まっていた。時間は良く分からなかったが、多分、0時くらいだと思う。そんな時間に、こんな人気のない場所に車が止まっている事が不思議で、俺は、その車に近づいて行った。


その車には、二人乗っているようだった。俺は車の後ろから近づいて、様子を伺った。運転席には男の人と助手席には女の人がのっているように見えた。俺は助手席側の後ろから近づいて、席に座る人を見た。近づくシルエットが、助手席を斜め後ろから見て、助手席に座る女の人をはっきり認識できた時には、俺は、車の、助手席の真横にいた。


助手席に座っていたのは、母さんだった。


俺が母さんに気付くのと同じくらいに車の横で佇んでいた俺に気付いて、一瞬で驚いた表情を見せ、隣の男の人に何かつぶやいた。次の瞬間、車は走り出し、俺を置き去りにした。


「母さん、母さん! 母さん! 母さん! 何で、置いていくの? 待って母さん!」


俺は、必死に叫びながら、追いかけた。冷たいアスファルトを一生懸命に走った。最初の出だしこそ追いついたものの、それは、徐々に離されて、やがては赤いテールライトさえも見えなくなっていった。


一瞬、追いついた時に見た母さんは、俺を見ないで、俯いて下を見て涙を流していた。その顔は今でも忘れられない。


その次の日から、俺は学校に行かなくなった。母さんがいつ帰ってもいいように、何か忘れ物があって、戻ってくるかもしれないから、その時に母さんを捕まえられるように、俺は学校に行かなくなった。母さんにまた会いたいから……会いたかったから。

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