幻のプロ

「麻吹先生、お見せして良いかどうか判断に迷ったのですが・・・」


 十津川高校の封筒ってなんだ。そんなところから何故紹介状だ。こういうものは誰からの紹介であるかがポイントだが・・・テルじゃないか。三年前の写真甲子園で神藤高校の写真部の監督をしていたのは驚かされたが、今は十津川高校か。ご苦労さんなことだな。元気でやっているのはなによりだ。内容だが、なになに・・・


「誰が持ってきた」

「西宮学院大の写真サークル北斗星代表の加茂繁と名乗ってました」

「すぐ会う」


 何事があったというのだ。わたしに会うのにテルを使うのはまだわかるとして、テルから紹介状をもらうために十津川まで行ったと言うのか。そこまでしてわたしに会いたいと言うのなら、


「待たせた、麻吹つばさだ。用件を聞こう」


 こいつらの顔はなんだ。それこそ決死の形相って奴ではないか。この表情だけで話は信用して良いだろう。


「なるほど尾崎に事情を聞いて欲しいと言う事だな」


 尾崎は頑固なところはアカネに似ているが、見た目のキャラと裏腹に繊細、いや繊細過ぎるところがある。アカネに爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ。代表の加茂には面識がないが、もう一人は見覚えがあるぞ。


「覚えて頂き光栄です。あの時の準優勝の神藤高校の者です」


 へぇ、あいつか。この伊吹が尾崎の指導を受けたようだが、


「尾崎は怒ったのだな」


 あの指導嫌いの尾崎が良く引き受けたものだな。そのどこかでトラブルが起ったぐらいで良さそうだが、尾崎もイイ仲間を持ってるじゃないか。怒った尾崎を宥めるために、ここまでしてくれる奴はそうそういないぞ。


「麻吹先生、どうかお願いします」


 こいつら・・・そこまで本気か。


「待て、土下座はするな。そんな安易にするものではない。あれは最後の最後に他にどんな手段も無くなった時にするから価値があるのだ。心配しなくとも尾崎はわたしの可愛い教え子だ」


 男なら泣くなと言いたいが、許してやろう。オフィスの前に何日も張り込みをやって、紹介状を求めに十津川くんだりまで行ってるからな。さてどうするかだが、伊吹の腕を少し見ておきたいな。


「伊吹、三十分やるから撮ってこい。この近所の風景だ」

「今からですか?」

「それぐらい協力しろ。カメラは貸してやる。それと加茂だったな。お前も見てやるから撮ってこい」


 さて、二人を追い払ったところにマドカがやって来た、


「ツバサ先生、尾崎さんになにがあったのですか」

「たいしたことではない」


 マドカに事の概略を話し、


「これはおもしろいぞ」

「ツバサ先生も好きですね」

「そう言うな、大切なステップだ。マドカも協力してくれ」


 手配をあれこれさせて・・・・・・帰って来たな。まずは伊吹だ。


「見せてみろ」


 ほほう、これはイイ。思った以上の掘り出し物だぞ。さすがはテルだな。あの指導嫌いの尾崎が手を出したくなる気持ちがわかる。さては手を出し過ぎたのが原因かもしれん。それはともかく楽しみな素材だ。


 こっちが加茂か。あははは、楽しい写真だな。うむ、これでイイ。写真を楽しもうが素直に現われている。これも、どうも尾崎の手が入ってる形跡がする。あいつは下手だ嫌いだと言いながら、指導も案外上手い気がするぞ。


 尾崎の指導の欠点は、マドカやわたしの指導しか見ていない点で良かろう。尾崎にとって指導のモデルはそれしかなく、なおかつ自分も含めて成功例しか知らない。尾崎も天才だが、それだけの経験で多種多様な弟子に対応できるはずもない。


「マドカ、どう思う」

「加茂さんは、写真とはやはりこう楽しむものと感じます。伊吹さんは、伸びる可能性を感じます。今後の精進を期待します」


 相変わらず綺麗にまとめるな。


「伊吹、来週の月曜の朝八時にオフィスに来い。泊り支度だぞ」

「一泊ですか」

「それはお前次第だが一泊では無理だろう。心配するなメシも宿も用意する」


 二人が帰った後に、


『カランカラン』


「ツバサ先生はそこまでされるのですね」

「ああ尾崎にとって欠かせない経験だ。ついでに伊吹のためにもなるじゃないか」


 時期もちょうど良い。アカネが育休中だから人手に余裕がある。


「でもそこまで行けば、アマの範疇を越えてしまいますが」

「尾崎にもうアマの仕事は残っていない」


 写真はプロとアマの境界がかなりあやふやだ。これも一つの目安だが、アマ用のコンクールに血道を挙げる連中がアマ、それ以上がプロとして良いかもしれん。ここも単純な見方かもしれんが、アマ用のコンクールに血道を挙げるレベルではプロは遠すぎる。


 アマ用のコンクールはプロの領域のレベルのものは応募させない。審査員に格上げというか、棚上げにされるぐらいと思えば良い。そうしないと延々と賞を独占してまうから新しい芽が出にくくなる。


 ここも誤解を招くといかんから補足しておくが、プロと言ってもアマでないぐらいの意味に過ぎん。本当のプロとは写真で食えることだ。そこまでの距離がまた遠いのがプロの世界でもある。


「しかしテルさんとは懐かしいですね」


 テルは本来ならマドカの次にプロになるべき男であった。サトルはそう信じていたし、わたしもそう見ていた。とにかく優秀な奴で、アシスタント段階を三ヶ月でクリアしているし、撮影延期だってたったの三回だった。この記録はエミさんや尾崎が更新するまでアンタッチャブルとまで言われていたからな。


「あの課題がやはり」

「うむ、あれはサトルもわたしも今でも悔やんでいる」


 わたしもサトルにテルの課題を相談された時に良く出来ていると思ったよ。プロになるべきエッセンスが巧妙に散りばめられていて、文句の付けようがないとさえ見たのだ。


「でもアカネ先生が」

「ああ、アカネは時にとんでもない物が見える。ハズレも多いのが難点だが、余計な時に良く当たる」


 サトルもそうだが、わたしも課題の克服法をおおよそ予想していた。というか、そういう道筋をおそらく通ると見ていたのだ。はっきり言う、そうなるとしかわたしですら考えられなかったのだ。


 ここでアカネに見えて、わたしに見えなかったもの。それは写真の質。これはとにかく例が少なくて今でも断言できないのだが、壁を越える時に二つのタイプがあるして良さそうなのだ。


 一つはわたしやアカネ、マドカのタイプだ。これも単純化すれば、加納アングルを駆使するタイプとして良い。エミさんや、尾崎、野川もこの系統に属する。


 もう一つはサトル・タイプだ。タケシもそうで、こちらは加納アングルに基本的に頼らない。少しは使えるが、言い切ってしまうと使う必要すらないのだ。


 この二つも、写真を極めて行けば一つになる可能性があるが、現時点ではわたしの写真とサトルの写真は松と杉ぐらい違いがある。だからあのアカネでさえ、サトルの写真は真似しにくいし、似た物は撮れても遠く及ばないものになる。


「マドカもサトル先生の写真は撮れませんし、タケシさんのも無理です」

「ああ、わたしもエッセンスぐらいは取り入れられても、あの写真は撮れない」


 アカネの危惧はテルの写真がサトル・タイプであるとまずしていた。ここも当時は情けないことに、そこまで分類できるほどの差があるかどうかが、わたしもサトルも疑問であったのだ。


 さらにアカネはサトル・タイプが加納アングルと相性が悪いとし、無理に習得しようとすると、永久に出られない迷路に入り込んでしまうとしたのだ。言っとくが、こんなに筋道立ててアカネが話したわけではからな。理解するのに苦労した。


 わたしもサトル、アカネ、マドカと成功させ慢心があったと思う。テルがアカネの言う加納アングルの迷路に入る課題とは思えなかったのだ。それ以前にアカネの言うサトル・タイプと加納アングルとの相性の悪さにも懐疑的だった。サトルはもっとで、アカネの危惧を笑い飛ばしてテルにあの課題を与えた。


「タケシさんと同じ反応と見てよろしい気がします」

「それで良いだろう。でも悔しいな、タケシの時もわたしには見えなかった」

「アカネ先生もでしょう」


 アカネは見えていた気がする。そうあの甲陵倶楽部の課題への心配のしようだ。もっとも、その辺は微妙で、自分の弟子である分、客観評価は甘くなるし、アカネも無意識のうちに感じていた恋愛感情が影響した可能性も否定できない。


 それでもタケシは最後にアカネを撮ると言う突破口を見つけてくれたが、テルは迷走の末にオフィスから逃げてしまった。あの時にサトルと悔しさのあまり、二人でやけ酒を飲みまくったのを良く覚えてる。


「写真甲子園の時もバツが悪そうにしておった」

「神藤高校から十津川高校への異動も、もしかしたら」

「可能性はある。県立校と言っても和歌山から奈良にそう簡単に移れるものか」


 テルもオフィスを逃げ出した負い目があるだろうが、わたしも課題の選択をしくじり、テルをプロに出来なかった苦い思いがある。


「それでも、あの二人にあえてお会いになり、ツバサ先生に紹介状まで書かれたのはやはり」

「そうだろう。テルも自分の弟子が可愛かったのだろう。とくに伊吹は出色の才能としてよい。あれだけの才能を埋もれさせるのに忍びなかったでよかろう」


 やはりテルは本物であった。三年前の写真甲子園で本当の意味でマークしたのはテルが率いた神藤高校であった。ブロック審査会ではどう見ても負けていたからな。審査委員長の池本の話も尾崎には伏せたが、


『本当のステージごとの特別賞はファーストが神藤、セカンドとファイナルが摩耶。最優秀個人賞は摩耶の尾崎君でした』


 そうファースト・ステージは神藤がトップで、セカンド・ステージで尾崎の傑作ショットのお蔭で摩耶が並んだのが真相だ。まさに五分五分の首位争いだったのだ。ファイナルも先に紹介されたのが神藤で、これが実に良く出来ていた、いやそんなものじゃない。本来なら写真甲子園の記録に残る傑作として良い。表情には出さなかったつもりだが、半分ぐらいは観念していた。


 勝てたのはエミさんの存在だ。エミさんの組み写真の才能は伊吹を凌いでいた。その差は条件が過酷になるほど著明に現れたとしか言いようがない。エミさんの紡ぎあげたシンフォニーは神藤の傑作でさえ霞ませてしまったのだ。


 だがあれは決して伊吹の才能のすべてが劣っている意味ではない。エミさんのシンフォニーは別次元の作品だ。あれはプロの組み写真でも及ばない。三人の異なる個性をあの次元で融合させるのは、まさに世紀の天才のみがなしうるものだ。


 それにしてもテルの作り上げた神藤高校のチームは素晴らしかった。摩耶学園がいなければブッチギリの優勝であったろう。それより嬉しかったのはテルがまだ写真への情熱を失っていなかったことだ。そのテルの愛弟子、この麻吹つばさ、心して受け取ったぞ。


「テルさんとまたお話できる日があると嬉しいですね」

「ああ、そんな日がいつか来ると信じている」

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