たとえ人でなくなっても

 本人が言ったその通りに、アンデンサスの攻撃は粘着質だった。


「ふは、はは! 面白いのう、まこと面白い! 最近の冒険者はどいつもこいつも軟弱だと悲嘆に暮れておったが……若人わこうどよ、さあわしに挑め! 乗り越えんとする気概を見せよ!」


 前方からは少女の声で発せられる哄笑こうしょうが聞こえる。だがその姿はもはや、絶え間なく降り注ぐ魔術の嵐でろくに見えない。


 アンデンサスの戦術は単純——物量である。


 炎、氷、雷、氷、雷、炎、炎、また炎。次々と終わる気配なく迫りくる高階位魔術は、情報を複雑化させながらひたすらこちらに防戦を強いる。


 この程度でレリックの『収納』が破綻することはない。幾分か面倒くさいと感じるだけだ。

 ただそれが意味するのはあくまで戦況の膠着こうちゃくであり、別の場所で打開策を見出さなければならない。


「……にしたって、だ。この底なし具合、いったいどうなってる?」


 レリックの胸中に満ちるのは、不可解さだった。


 魔術系に属する宿業ギフトが持つ能力はわかりやすい。

『汎用魔術を詠唱なく高効率で使える』というものだ。


 もちろん、定義の面で言うならば逆ではある。『汎用魔術を詠唱なく高効率で使える』のが魔術系宿業ギフトなのではなく、『魔術系宿業ギフトの能力を詠唱を用いて低効率で再現する』のが汎用魔術なのだ。


 ただ現代において、汎用魔術はもはや一般常識というべき水準レベルで普及しているため、魔術系宿業ギフトの持ち主もまた汎用魔術の再現という形で宿業ギフトを行使する。現象をいちから構築し形を与えるよりもその方が楽であり効率的だからだ。


 アンデンサスとてこの例に洩れない。

 彼が放っているのは、形の上では汎用魔術である。


 伝承位レジェンド、『三重厄災魔導トライディザスター』。

 文字通り、炎と氷と雷という三つの『厄災』属性を『魔導』領域——第七階位相当まで行使できるという規格外の宿業ギフトだ。汎用魔術として運用するなら莫大な体内魔力オドと長文節の詠唱が必要なそれを、彼ならば詠唱もなく連続して放つことができる。


 ただ、レリックはいぶかしむ。

 その放つ頻度と回数が——幾ら伝承位レジェンドだからといっても、限度を超えているのではないか。


 たとえ詠唱が必要なくとも。たとえ燃費が抜群によくても。

 彼が魔術を使い始めてから、かれこれ十分近くが経過している。この間、ほぼ休みなしで延々と、最低でも第五階位以上の魔術ばかりを連続で放つなど、幾らなんでも


「あんたが連れている、その!」


 レリックは推論を叫んだ。


「……さてはか?」


「ほう」


 問うと同時、魔術による怒涛が止まる。

 三属性によって立ち込めた煙が晴れていく中、少女の背後にいた老爺ろうやが——今までただ鎖を引いていただけでひと言も発しなかった『本体』が——初めてしゃがれた声で、くつくつと含み笑った。


「「まあ、さすがに察するよな」」


 少女と老爺が同時に語る。声は重なって聞こえた。

 そしてそこから先は、


「察しの通り」と、少女。

「このむすめは、儂の貯蔵庫……魔力源よ」と、老爺。


 交互にふたりが、話を紡ぎ始める。


 老爺が曰く、

「歳を重ね、技は磨かれていった。魔術は研ぎ澄まされていった」


 少女が曰く。

「だがそれとは逆に、肉体は衰えていく。老いとともに手足はえ、体内魔力オドすらも減っていった。魔力効率は上がっても魔力量は下がっていく。どれほど努力を重ねても、これではただ停滞しているだけだ」


 老爺の声で、老爺が曰く、

「そんな中、孫が生まれた。初孫だ、いものよ。目に入れても痛くないほど、とは誇張ではないぞ? ぬしらもいずれわかる」


 少女の声で、老爺が曰く。

「だがな。儂のカルマは、この身に宿った業は、それ以上であったのよ」


 彼らは——彼は、言った。


「この娘の宿業ギフトは、百万位エクスレア、『那由他なゆた魔力泉まりょくせん』」

「常人の数千、数万倍の魔力量を持つというものよ」

「それを知った時、儂は一線を超えた」

「思い付いてしまったのだ」


「この身体に宿る無尽蔵の魔力を用い」

「この身体で研鑽した魔術を行使すれば」


「「儂は……遥かな高みに行ける、とな」」


「禁書に記された先代文明の技術、先史遺物アーティファクト、そして『玄天こくてん教団』に集う同志たちの持つ数々の貴重な宿業ギフト、なによりも……トラーシュ=セレンディバイトが残した、儂ですらもおののくほどのすいに至った呪術」


 老爺が笑った。少女の顔で。


「それらすべてを駆使し、成し遂げたのよ。孫の精神を消し去り、我が魂に——つまりは疑似的な二重ダブル宿業ギフト


 少女が笑った——老爺の声で。


 それはあまりにおぞましく、あまりにも醜悪で。

 あまりにも人の道に外れた、悪魔の所業だった。


「何故だ『大魔導』。何故、そんな外法げほうに手を染めた」

「さっきも言ったであろう? 儂は儂が衰えるのが我慢ならなかった、と」

「そうじゃない」


 レリックは血を吐くように、老爺へ言う。

 握った拳が力を込めすぎて痛い。苛立ちで胸の鼓動がうるさい。


「あんたは、仲間だったんだろ。かの『第七天アラボト』の一員だったんだろ。ギルマスフワウの婆さんや、キースバレイドの爺さん……あの人たちと一緒に、迷宮に挑んだ英雄だろう!」


 何故なら、レリックは知っている。

 冒険者ギルドのマスター、フワウ=ヒスイのことを。

『剣神』、キースバレイド=ルビスウォーカーのことを。


「婆さんが子供のできない身体なのを知ってるはずだ。爺さんに家族がいなくて寂しい思いをしてたのを知ってるはずだ。なのにあんたは子供に恵まれ、孫までできて、その幸せをにして——何故だ? 老いさらばえることに耐えられなかっただって? 本当にそれだけなのか? それだけのことで、あんたはこんな……かつての仲間たちに、恥ずべきことをしたのか!」


「知ったふうな口を利くかよ、小僧が!」


 怒号はレリックのものよりも遥かに大きく、老人と少女どちらの口から発せられたのかわからないほど荒れ狂っていた。


「貴様がなにを知っている、なにをわかっている? 儂らのかつての冒険の、あの夢の、あの日々の、あの結末を! 敗北と屈辱の、絶望のなにを! 英雄だの伝説だのと、欺瞞ぎまんに塗れた虚飾を語り聞かされただけの貴様らが!」


 レリックたちはその気迫に、思わず一歩をたじろぐ。


 アンデンサスは憤怒から一転して皮肉げな表情を浮かべ、しかしみなぎる魔力を剣山のように尖らせたまま、口調だけは静かに続けた。


「儂らは古龍に負けた。人に勝てる相手ではなかった。故に敗走し……その過程で、ラタトゥスが死んだ」


『帰らざる神眼』ラタトゥス——。

 彼に関する詳しいことは、今ではあまり知られていない。英雄たちはみな当時、その死についてもくし語らなかった。故に『帰らざる神眼』とおくりなされ、他の六人と同じく英雄として祭り上げられた。


「地上に戻った後、仲間の三人が街を去った。アイシャはあいつの命を救えなかったことに絶望して。トールエンドとジクトムはすべてを諦めて。フワウとキースバレイドはここに残り、後進を育むことに人生を捧げた。冒険者ギルドを大きく発展させていけば、いつか自分ではない他の誰かが古龍に打ち勝ってくれると信じてな。そして儂は……」


 自嘲めいた笑みとともに己の額を押さえながら。

 アンデンサスは、吐露した。


「……儂は、諦めきれなかったのだ。古龍に打ち勝つことではない。ラタトゥスの夢を、だ。あいつは、我が親友は、いつも言っておった……、と。深層下辺の更に奥、蟻地獄を抜けた先。あるかもしれない最終階層外套領域を、いつかこの目で見てみたい——と」


「まさか……」


 彼の告白に、レリックは目を見開く。


「あんたが迷宮を拡張したのは……のは」

「左様」


 そして老爺は頷いた。


荒唐こうとうと蔑むか? 無稽むけいと笑うか? だが儂は決めたのだ。深層下辺を経ずしてその下へと辿り着く、と。壁の中を掘り進み、あの忌々しい九頭九尾の古龍をやり過ごし……外套がいとう領域へと直接に降りる、と! 中層ここで行っていたのはな、そのための実験にして実検よ」


「……不可能ではないかもしれないね」


 それに応えたのはレリックの背後にいるキッフスだ。


「深層下辺は五百メートラ四方の広場。天井の高さは確か、百メートラほどと聞いている。だとしたら、深層中辺の端から三百……いや五百ほども直下に進めば、或いはいけるかもしれない」


 きょうを抱いたのだろう。

 どこか楽しそうに、嬉しそうに。その妄想めいた行為を検証する。


「迷宮の恒常性があるせいで、今までそういった手法は俎上そじょうにさえ乗らなかったけれど……これをたとえ束の間であっても抑えられるとするならば、可能性としては見えてくる。いや、常識にこだわっていては壁を越えられないとはよく言ったものだよ。壁だけにね、ははっ!」


「ほう? 儂の夢を肯定するか? だったらぬしも儂とともに来ぬか?」

「いや、それは嫌だ」


 だが、目を輝かせて語っていたのとは裏腹。

 アンデンサスの冗談めかした——おそらくは半ば本気の——誘いを、キッフスは間髪容れず断じる。


「アナタの計画プランには確かに実現性と可能性がある。或いはいけるかもしれない、と思わせるものがある。でも、ただそれだけ。『行けるかもしれない』というだけだ」


 指を立てて振りながら、彼は続けた。 


「逆に問おう。行ってどうする? 外套領域に辿り着いたとして、そこからなにをする? 深層下辺の更に先、完全に未知の領域だよ。調査するのかい? 資源を採取するのかい? 魔物に挑むのかい? いずれにせよ、そのための人員は? 補給は? 予算は? そもそもアナタのやり方では、迷宮の復元を遅延させるだけで——いち時的に道を作るだけで、多大な人命が消費される。そのような方法と状況で、経路を確保することができるのかい?」


 法とか倫理の話を一切しない辺りがキッフスらしい。


「わかるかい? アナタはつまり『見たいだけ』なんだ。だから採算も手間も考えず、手段も選ばず、到達そのものが目的になってしまっているんだ。やれやれ、友人の夢だかなんだか知らないけれど……『帰らざる神眼』も、無体なことを言ったものだね。ただ見るだけでは、冒険にはならないだろうに」


 そして——相手の感情を一切考慮しない辺りも、だ。


 今は亡き親友の夢と、それを実現させるための妄執。その双方を無碍むげに否定された老人は、もはや怒号すらあげなかった。


 表情は見えない。

 俯き加減に、ただ感情を飽和させて無機質にすらなった声音で、つぶやく。


「……『轟炎瀑布フレイムVII』。『凍て野分クリスVII』。『雷華天網ライトVII』。『轟炎瀑布フレイムVII』。『雷華天網ライトVII』。『轟炎瀑布フレイムVII』」


 一瀉千里いっしゃせんりまくされた魔術たちが、波濤のごとく豪雨のごとく、レリックたちに襲来する。


「あっ怒らせてしまった」

「態度が軽い!」


 まったく悪びれた様子もないキッフスを睨みつけながら、レリックはそれに対応する。今までと違って緩急も付けず、第七階位の魔術ばかりがまとめて押し寄せてくる。その様はアンデンサスの怒りそのものである。


「まあいいではないか。どのみち『特級こちら』としては、あれをなんとかしなければいけない訳だし……幸い、キミたちだけではない、ボクらもいる。特級が四人も揃っているのだから、どうとでもなるだろう?」


 実際に矢面に立つのはあなたじゃないだろうとか、ひょろっと出てきて相手を怒らせるだけ怒らせて引っ込むなよとか、言いたい文句は山ほどある。

 が、今はその時ではない。


「まあ僕としては、あなたが誘いに頷かなかっただけよかったと思おう」

「失礼な。ボクにだって『特級』の矜恃きょうじくらいはあるのだよ?」


 そうこう言っている間にも激しさをいや増していく魔術の嵐を来た端から『収納』しながら、レリックは目を細めた。


「そうか、だったらこの癇癪かんしゃくを起こした爺さんに……特級の矜恃、見せてやろうじゃないか」

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