第四章 アレクシス17才、リゼット15才
第32話 牛犀車
アレクシスとリゼットの婚約から、一年が経った。
リゼットは中等部を卒業し、正式にヴィクトルの通訳として採用されることになった。今は毎日、坂の上にあるヴィクトルの豪邸に通勤している。
オリガもヴィクトルの秘書のような仕事をしており、ヴィクトルが通訳のリゼットを伴って出掛けるときは、オリガがリゼットを
オリガはリゼットがジンシャーンに来た時に、一番最初に声をかけてくれたリーダー格の女子だった。リゼットの当時たどたどしかった帝国語をバカにしたりせず、ずっと面倒を見てくれた。
親友となった今でも、リゼットを妹のように優しく見守る、お姉さんのような存在だった。
アレクシスはヴィクトルと親友とはいえ、女癖の悪い彼がリゼットと二人きりで仕事をするのを嫌がった。
オリガが一緒にいるから、ここで働くことを認めたようなものだった。
リゼットは働き始めてから、ヴィクトルとオリガが一緒に住んでいることを知った。
オリガの亡くなった兄が、ヴィクトルの乳兄弟だったらしい。その縁で二人が一緒に住んでいることは、他の子たちには周知の事実で、オリガは当然リゼットも知っていると思っていたらしい。
アレクシスは一緒に住んでいたリゼットと婚約したが、ヴィクトルはいろんな女子と噂がある。
オリガはそんなヴィクトルに、どこか冷たい態度で接していて、リゼットは優しいオリガの新たな一面を知ることになった。
***
その日、リゼットはヴィクトルにお休みを貰っていた。
というのは、以前、横笛を教えてくれた笛吹きのアーインが久し振りにリゼットに会いに来て、〈あってほしいひとがいる~ん〉と、伝えてきたからだ。
遠いところには行けないことを告げると、その人はバオアン平原の外れ、つまりジャングルの入り口まで来てくれるらしい。
誰なのか尋ねたけど、〈あってみてのぉ、おったのしみぃ~♪〉と嬉しそうにして、言う気がなさそうなので、聞くのをやめた。
タルール人の移動の足は、エーミャという駝鳥だ。リゼットが小柄とはいえ、同じ小柄でも力が強くて体力のあるタルール人とは違うので、一人で乗るのは絶対無理だと断った。
するとアーインは、
リゼットは、父ロナルドが「牛犀はゆっくりしか進まないから、出掛けるのに時間がかかる」と愚痴っていたのを思い出し、父が乗るぐらいだから安全だろうと、「それなら行く」と伝えた。
朝、約束の時間に「牛犀車」を引いて、アーインがやってきた。自分は
リゼットはンケイラに夕方までには戻ると行って、たくさんの補水液やランチの入った鞄を肩にかけ、断熱マントを羽織ると牛犀車に乗った。
〈リゼリゼはカルイから、ダバダバがよろこんでる~ん〉
と嬉しげな思念を伝えてきた。
リゼットに優しいスピードでジンシャーンを下っていく牛犀。どうしてこれに乗るのはロナルドぐらいなのか不思議に思った。
……リゼットはその理由をすぐ知ることになる。
ジンシャーンの門を通りすぎると、アーインが
〈ソレソレ~! いけいけ~! ダバダバ~!〉
という思念とともに、タルール人の発声器官から妙な音を出した。
牛犀はその音を聞いたとたん、狂ったように走り出した。構えてなかったリゼットは危うく牛犀車から落ちそうになり、必死にしがみつく。
「待って! とめて! アーイン! ストップ~!」
必死に叫ぶが、アーインはリゼットの体が、牛犀車から跳ねて揺れているのを見て、楽しそうだ。
リゼットは、牛犀はゆっくりしか進まない、とか言った父を恨んだ。
〈ダバダバのスピードは「ゆっくり」と「はやい」のふたつしかなーい。「はやい」は、にもつのおもさによるよーん〉
とアーインが説明してくれた。リゼットが軽くてスピードが出せるから喜んでいる、らしい。
だがリゼットには、とてもこのままバオアンの穀倉地帯を抜けるまで、牛犀車に乗ったままでいられるとは思えなかった。
前方にアレクシスの研究所が見えてきた。そうだ! と、リゼットは思い付いた。
「アレクに頼むから、止めて!」
と言うと、アーインは〈ヒー!〉と声にならない思念と音を出し、牛犀は前足で急ブレーキをかけた。
アーインは、リゼットの為にアレクシスが見つけてきたお調子者の笛吹きだ。アレクシスのことは苦手らしく、彼の前では、非常におとなしくなる。
〈アレアレさまには、ナイショっていわれてる~ん〉
リゼットは、ショボくれるアーインをよそに、アレクシスの研究所の目の前まで来ていたので、牛犀車から降りて研究所まで歩いていった。
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