78話 俺は堅実、彼女はロマン

 久しぶりに多島さんに連絡を取ると、アルバイトに来てもいいという返事をくれた。


 雇われる側から頼み込んでばかりなのもどうかと思うが、向こうからお願いされることはないので、こちらからアクションを起こすしかない。


 今日は薄曇りで気温の低い日だった。

 朝の掃除を終わらせた俺は、レジのうしろで多島さんとストーブに当たりながらコーヒーを飲んでいた。


「もうちょっとで卒業だねえ。思い出深い三年間だっただろう」

「人生がまるまる変わっちゃいました」

「専門学校は二年制なんだっけ?」

「そうです。一年制の学校もあったんですけど、どうせなら時間かけて勉強したいので」

「真面目だな。そこが君のいいところだ」

「それで、卒業したあとですけど……」


 そっと多島さんの顔をうかがう。冬でも頭にバンダナを巻くスタイルは変わらない。


「できれば条件のいい店に就職することが一番いい。うちはどこからも内定がもらえなかった時の最終手段だと考えてほしいな」

「そうですか……」

「ここは僕一代の店だから将来がないよ。恭介君が継いで大きくするっていうなら話は違うけど」

「うーん、イメージが湧かないですね」

「ま、その辺も二年間の勉強の中でわかってくるんじゃないかな。自分がなにをやりたいか。なにが向いているか」


 俺はうなずいた。いま結論を出す必要はない。

 多島さんがコーヒーを飲み干し、「ふー」と息をつく。


「今日もお客さんが来る気配はないねえ。冬場のスポーツ用品はちょっと手薄だからなあ」

「スキー専門店とかもありますよね」

「そうそう。スノボ専門店も見るし、長野はそういう店が充実してる。本気でウィンタースポーツをやりたい人は専門店に行くだろうし、これから始める人は大きなチェーン店に行くだろうね」


 やはり、個人の総合店だと難しいことも多いんだな。


「まあのんびりやろうよ」


 それでも多島さんはマイペースだ。俺は棚の整理をすることにした。


     †


 夕方、入り口のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいました」

「お前……」


 入ってきたのは制服にコート姿の五十鈴だった。いつもの白いカチューシャ。俺が贈った水色の手袋をつけてくれている。


「今日はアルバイトに行くと言っていたでしょう? どんな様子かと思って」

「見ての通り、時間を持て余している」

「お客さん、来ないんですか?」

「なかなか来ないな。今日は平日だから余計に」

「おや、彼女さんか。よかったらこっちにどうぞ」


 多島さんの案内で、五十鈴もストーブを囲むことになった。


「相変わらず仲が良さそうだね。わざわざ訪ねてくれるなんて」

「先輩とは会いづらくなっているので、外にいるならチャンスだと思ったんです」

「別に呼び出してくれてもいいんだぞ。家に来たっていいし」

「アルバイト先に顔を出すのはなかなかできないことなので」


 多島さんが笑顔になる。


「まあ、彼女さんみたいな人はこういう店に来ないだろうからね。店が華やいでいい感じだよ」

「今日は先輩とどのようなお話を?」

「そうだな――」


 多島さんがゆっくり話す。専門学校のこと、俺が将来どこに就職するか。


「先輩にはなるべく大きなお店に就職してもらいたいんですね」

「そのほうが人生を長い目で見た時に有利だからね。収入が少なくてもマイペースに仕事したいならうちでもいいんだけどさ、それは僕がずっと健康でいられたらっていう前提条件つきだから」

「なるほど……」


 五十鈴はこくこくとうなずいている。真剣な顔つきだ。彼女もこの先のことを一緒に考えてくれる。ありがたいことだ。


 多島さんが時計を見た。五時を回っている。


「さて、恭介君はそろそろ上がってもらっていいよ。またいつでも声かけてよ」

「いいんですか?」

「今日はもうおしまい。僕も片づけて帰るからさ」

「わかりました」


 俺は更衣室で前掛けを畳み、ジャンパーを羽織った。


「はい、お疲れさま」


 多島さんから封筒を受け取る。バイト代は手渡しなのだ。よくお礼を言ってバッグにしまった。


     †


 五十鈴と一緒に多島スポーツを出ると、大河原さんが待っていた。


「どうぞ」


 と大河原さんが後部座席のドアを開けてくれる。なんか、待遇がさらによくなっている……?


 二人で並んで座る。車の中は暖かい。


「大河原さん、先輩の家までお願いします」

「承知しました」

「すみません、バスで帰るつもりだったのに」

「いえいえ、私も運転が好きなのでお気にならさず」


 車が動き出した。


「先輩、さっきのお話ですけど」


 五十鈴が小さい声で話しかけてくる。


「どの話だ?」

「就職のことです」

「ああ。お前はどう考える?」

「基本的には先輩の意志にお任せですけど、あえて言うなら大きなお店でしょうか」

「ほう。理由は?」

「すべてがうまくいったらの話ですが――わたしがイラストレーターでやっていくとすると、収入が不安定になりますよね」


 俺はすぐに理解した。


「確かに、俺のほうが安定していれば余裕を持って生活できるな」

「はい。お父さんたちに頼るのはどうしても身動きが取れなくなった時だけです。わたしたちだけで道を切り開くには、安定感のある先輩と、当たった時に爆発力のあるわたしでしっかり支え合うことが重要だと思うんです」

「同感だ。最近調べてるんだが、ヒット作の表紙をたくさん描いてると画集が出せたりするんだろ? 五十鈴はそういうロマンを追い求めろ」

「先輩……」

「俺がちゃんと勉強して、五十鈴をがっちり支える。だから五十鈴は本気で絵を描き続けてほしい」

「なんだか、少し大人っぽくなりましたね」

「俺が?」

「はい。前よりずっと、近くにいると安心します」

「大人になった時のことを真剣に考えるようになったせいかな。俺もプロ野球選手ってロマンを追いかけてきたけど、性格的には堅実に生きるほうが合ってるのかもしれない」


 五十鈴が、俺の右手に左手を重ねてきた。


「先輩となら、どこまでも一緒に走れそうな気がします」

「走っちゃ駄目だ。お前はすぐ呼吸が……」

「もー、そこはお堅いままなんだからー!」


     †


 玉村泉美は今日も今日とて残業していた。

 ディスプレイと向き合っていると、スマホが振動した。


 ……大河原さん?


 彼からメッセージが送られてくる時は、たいてい五十鈴によくないことが起きた時だ。不安を感じながら画面を開く。


『今日はアルバイトだった新海君を家まで送り届けました。帰りの車の中で五十鈴様と将来について話しているのが聞こえました。二人とも、未来に具体的なビジョンを持っているのが伝わってきて私まで嬉しくなってしまいました。なので一応、そういう会話をしていたことをお伝えしておきます。』


 泉美の表情は自然にゆるんでいた。


 ……大河原さんからこういうメッセージが送られてくるなんて。


 ちょっと前ならありえないことだった。彼からのメッセージはいつも、五十鈴を病院に運んだといった内容ばかりだった。


 ……恭介さんが、みんなを変えてくれる。


 泉美はそれを嬉しく思った。二人の未来は、きっと明るい。

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