76話 カチューシャとバレンタイン

 二月十四日。

 五十鈴から『今日は欠席しました』というメッセージが来た。

 どうやら体調を崩してしまったらしい。

 一月はけっこう安定していたので、こういう連絡を受けるのも久しぶりな気がした。


『もしお暇でしたら、家に来ていただけませんか?』


 さらにそんなメッセージが送られてくる。具合が悪いのに俺と話しても大丈夫なのだろうか。


 まあ、元気づけるのも彼氏の役割かな。


 昼前。

 俺は出かけることにした。


     †


「ごめんなさい、情けないです……」


 会うなり、五十鈴が謝ってきた。

 玉村家に着くと、ハウスキーパーの中山さんが五十鈴の部屋まで案内してくれた。平日なので修介さんも泉美さんもいない。


「最近よかったのにな。賞も獲って全部上向きになるかと思ったけど」

「現実は甘くなかったです」


 五十鈴はベッドに横になっている。エアコンが入っているので室内は暖かい。


「先輩、寒くないですか?」

「平気だぞ」

「暑すぎるとそれはそれで気分が悪くなるのでほどほどの温度にしているんです」

「なるほどな。ま、俺はちょうどいいよ」


 それに、俺の家にはエアコンがないので暑い寒いは慣れている。


「なんか不思議な感じだ」

「なにがですか?」

「五十鈴がそのままの髪型だと」


 すかさず、五十鈴が頭を押さえた。


「へ、変ですか?」

「いや、いつもカチューシャしてるだろ。寝てる時はそれがないから逆に新鮮でさ」

「た、確かに。つけていない時のほうが少なかったかもしれません」


 五十鈴と言えば白のカチューシャ、みたいなイメージが俺の中にある。例外は寝込んでいる時と、一緒にプールに行った時くらい。


「小さい頃、お母さんが買ってくれたんです。よく覚えていないんですけど、わたしはそれをすごく気に入ったみたいで、カチューシャを買う習慣ができたんです」

「今まで続いてきたわけだ」

「なんとなく、つけていないと落ち着かないんですよね。周りは誰もしていないので、どうしても浮いてしまうんですが」

「お嬢様っぽさがあっていいと思うぞ」

「それ、どうなんでしょう? カチューシャ=お嬢様という発想は……」

「つけてると上品に見える。そのせいじゃないか?」

「漫画でもカチューシャをしているお嬢様キャラは多いです。だいたい白いワンピースもセットで」

「あー……」


 それは最強に清楚だ。


「自分を飾りたいんじゃなくて、習慣だったから今もつけてる。五十鈴の場合はそういうことなんだな」

「はい。……なにもしてないわたしはどう思います?」


 俺は五十鈴を見つめた。さえぎるもののない黒髪。


「綺麗、だな」

「そ、そうですか」

「カチューシャがあるとかわいいって感じがする。なにもしてないと綺麗って言葉のほうが似合うかな」

「あぅ」


 五十鈴が変な声を出した。布団を引っ張って口元を隠す。


「どっちにしても美人だ。それは間違いない」

「あ、ありがとうございます……」


 ぼそぼそと言う五十鈴だった。


「ところで、今日休んだ原因はなんなんだ? いつもの、急に来る体調不良か?」

「いえ、なんというか……」


 返事が鈍くなる。やがて、五十鈴はベッドの横にある内線を取った。中山さんに「アレを持ってきていただけますか?」と頼んでいる。


 受話器を置くと、五十鈴はベッドから出た。水玉模様のパジャマ。


「大丈夫なのか?」

「はい。このために先輩に来ていただいたので」


 ドアがノックされる。五十鈴が応じ、中山さんから小さな袋を受け取った。俺と五十鈴はカーペットの上で向き合う。


「これを、恭介先輩に渡したくて……」


 そっと差し出されたのは、チョコの入った袋だった。

 そこで俺はようやく気づいた。今日はバレンタインデーだ。


「……もしかして、チョコ作ってたら具合悪くなったのか?」


 五十鈴は苦笑した。


「不良生徒ですよね、わたし」

「作るの、けっこう時間かかるんだろ」

「作るだけならまあまあです。ただ、昨日は味に納得できなくて何度も作り直していたんです。そしたらものすごく時間がかかってしまって、結局深夜まで……」


 寝不足は五十鈴の大敵だ。そこに自分から踏み込んでいった……。


「あのな」

「わ、わかってます。いつも恭介先輩に『無理するな』って言われているのは。でも、その、バレンタインは今日限りじゃないですか。絶対に逃せない日だったんです」

「修介さんたちは止めなかったのか?」

「昨日、お父さんたちは深夜まで残業だったんです。帰ってきた時わたしがまだキッチンに立っていたので怒られてしまいました……」


 それは仕方ない。


「そこからお母さんに手伝ってもらってようやく納得のいく味になったんです」

「体調を犠牲にして」

「はい……で、でも、そのくらい先輩に理想のチョコを食べてもらいたかったということなんですよ」

「学校を休んだことの言い訳にはなっていないようだが」

「うぅ、次からは気をつけますので許してください……」


 五十鈴が頭を下げた。つい、責めるような言い方になってしまった。俺のためにチョコを作ってくれたのは嬉しいけれど、体調を崩されるのは悲しいのだ。


「じゃあ、今いただいてもいいかな」

「どうぞ。先輩の好みに合う味になっているといいんですが」


 俺は袋を開けた。チョコはハート形になっている。


「愛の形です。えへへ」

「いただきます」

「ノってくれなかった……」


 落ち込む五十鈴の前で、俺はチョコを食べる。

 ……うん、うまい。

 ほどよく甘く、しつこすぎない。食べやすい味だ。


「甘さひかえめでちょうどいいな。おいしいよ」

「よかったぁ。甘すぎないほうがいいと思って、そこで悩んだんです」

「その努力は確かに受け取った」

「ありがたき幸せ」

「なんだそれ」


 俺は笑った。五十鈴らしくない言い回しがおかしかった。


「ぜひ、持って帰って食べてください。この時期ならすぐに悪くなることはないので」

「そうさせてもらうか。ありがとな」

「喜んでもらえてよかったです」

「ホワイトデー、ちゃんとお返しするから」

「本当ですか? 先輩の手作りクッキー、楽しみです」


 うわっ、さりげなく市販のクッキーという選択肢をつぶされた。こいつなかなかの策士だな……。


「ま、まあ、ちょっと作り方を勉強してみるよ」

「わたしが教えてあげてもいいんですよ?」

「土日の、体力に余裕がある日に頼む」

「はい……」


 しゅんとする五十鈴であった。

 ともかく、彼女からバレンタインのチョコをもらった。大切に食べよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る