68話 クリスマスの夜のご褒美
学校が終わると、俺はまっすぐ家に帰った。
今日のために母さんが午後に有休を取ってくれたので、俺は安心して五十鈴を迎えることができる。本当は全部自分でできればいいのだが、すぐには無理だ。少しずつ進んでいくしかない。
「どうだ、これなら五十鈴ちゃんも楽しんでくれるはず」
「おおー」
母さんが居間に用意した料理を見て、俺は思わず声を上げた。
フライドチキンとポテト。さらにはミートパイ。
ここにシャンメリーとケーキが加わり、五十鈴がピザを持ってくる。最強すぎるな。
「ここまで贅沢な夕食があっただろうか……」
「あんたはないだろうね。でも、これで贅沢を覚えないほうがいいよ。お腹だるだるになったら五十鈴ちゃんに失望されるから」
「それは嫌すぎる……」
五十鈴と一緒に出かけるようになって、外食が増えた。それでも普段の食生活をバランスよくしているので、体脂肪は増えていない。筋肉が弱った分、体重は少し落ちた。
「お父さんは遅いみたいだから、今日は二人で仲良くやりなさい」
「母さんはどうするんだ?」
「台所でいただくよ。自分のチキンとポテトもあるのよね~」
贅沢するぞ~、とノリノリで言って、母さんは台所へ戻っていった。
五十鈴と二人きりのクリスマス。
周りがセットしてくれた。ありがたいことだ。
†
「こんばんは。今日はよろしくお願いします」
しばらく経ってから五十鈴が到着した。
雪の降っていない、普通の夜。ホワイトクリスマスとはいかなかった。
五十鈴を居間に通すと、彼女も「おお~」と感嘆の声を出した。
「これは、先輩のお母さまが?」
「うん」
「素晴らしいですね。一緒に食べないのでしょうか?」
「二人で楽しんでくれって」
「……そうですか」
五十鈴は微笑んだ。
台の上にピザの箱を置くと、五十鈴はコートを脱ぐ。もこもこの白いセーターに黒のロングスカート。白黒の私服はあまり見ないので新鮮だ。
「六時ですか。少し早いですが、お料理も冷めてしまいますしもう始めましょう」
「賛成だ」
ケーキとシャンメリーを冷蔵庫から出してくる。
俺たちはこたつを挟んで向かい合った。
互いのコップにシャンメリーを注ぐ。五十鈴の手つきは慣れていた。俺はおっかなびっくり。こういうところも追いつきたい。
「先輩、合図を」
「よし。せーの――」
『メリークリスマス』
二人の声が重なり、コップが軽く当たった。シャンメリーを飲むと、炭酸がじわじわと響いた。
「小学校に入ったくらいの年かな。シャンメリーとケーキでパーティーをしたことがあったんだ」
「では、そのとき以来なんですね?」
「そうだな。小学三年くらいになったら、もう野球選手になるための食生活を意識し始めてた」
「すごい三年生ですね。なかなかできないことですよ?」
「プロ野球選手の本を読んで、こういうことを気にしなきゃいけないんだなって本気で思ったんだ。その頃から本気でプロを目指してた」
「……難しいですね、人生って」
「まったくだ」
コップが空になる。
「では入刀といきましょう」
五十鈴がケーキを切り分けてくれた。相変わらず自分の分は少なめだ。
「食べきれないか?」
「どのお料理もいただきたいので、全部ほどほどにしておかないと駄目なんです」
ケーキを食べた五十鈴は、チキンを一つ、ポテトをほんのちょっと、ミートパイをわずかに切り取って口にした。ピザも一切れだけ。
俺はそれを見ながらどんどんチキンやピザを減らしている。ガツガツ食べると品がないので、なるべくゆっくり。
「ふうぅ」
「お腹いっぱいか?」
「ええ。小食なのが残念です」
五十鈴は立ち上がり、俺の横にやってきた。
「食べさせてあげましょう」
「な、なんだよ急に」
「スプーンを貸してください」
「あっ」
上手く取られた。
五十鈴は残ったケーキをすくうと、俺の前に差し出す。
「どうぞ先輩。あーん、と言ってくださってもいいんですよ?」
「い、言わないぞ」
「言ってくれないんですか?」
「ま、またそのずるい言い回しを……!」
「言ってほしいなぁ」
甘えるように言う。こんなの、逆らえるわけがない。俺はおとなしく口を開けた。
「あ、あーん……」
「はい、召し上がれ」
もらったケーキをたっぷり味わう。なんて甘いんだろう……。
「他にも食べますか?」
「い、いや。ちょっと休憩しよう」
食事もだいぶ終わってきた。ほとんど俺が食べていたのだが、ミートパイは完食、チキンとポテト、ピザも残りわずか。ケーキもそんなに余っていない。俺一人で食べきれる。
しばし沈黙が落ちた。五十鈴は下を向いている。
俺はタイミングを計って口を開いた。
「五十鈴、俺からクリスマスプレゼントがあるんだ」
「先輩から?」
「俺なりに本気で考えて買ったものだぞ」
俺は、部屋の隅に置いておいた紙の箱を取った。五十鈴の横に座って渡す。
「わあ……開けてもいいですか?」
「いいとも」
五十鈴がわくわくした顔で箱のシールをはがす。
「あ……」
出てきたのは写真スタンドだった。濃い茶色の、落ち着いたデザイン。横長で、大切な一枚を余裕を持って収められる大きさ。
「五十鈴とは何回か一緒に写真を撮ったし、すぐ見えるところに置いてくれたら嬉しいかな」
「わたし、写真は全部アルバムに入れたんです。でも、これがあればお気に入りの一枚を勉強机に出しておけますね」
五十鈴はニコッと笑った。
「ありがとうございます、先輩。大切にします」
慎重な手つきで、五十鈴がスタンドを箱に戻した。
「ではわたしからも」
今度は五十鈴が立ち上がり、バッグから四角い箱を取り出した。サンタカラーで包装されている。
「俺も開けていいか?」
「もちろん」
包装を取ると、出てきたのは白い小型加湿器だった。これ高いやつでは……?
「先輩にも体調に気をつけていただきたいと思いまして……」
「あ、ありがとう……」
もちろん嬉しい。けど、俺の考えていたクリスマスプレゼントとはだいぶ違った。俺が知らないだけで加湿器のプレゼントって普通なのだろうか? それともズレているのは五十鈴か?
いや、そんなことはどうでもいい。五十鈴がこんなに素晴らしいものをプレゼントしてくれたことがなによりも重要なのだ。
「大事に使うよ」
「ぜひ。ちなみに、わたしも同じものを部屋に置いています」
「なるほど。おそろいにしたかったのか。これなら、いつか五十鈴がうちに泊まることになっても安心だな」
「いつになるでしょうか」
「さて……」
ごまかしてしまう臆病な俺だった。彼女を家に泊めるというのは、とても大きなイベントだと思うのだ。そこは慎重になってもいいはずだ。
返す言葉がなくなって、室内はなんとも言えない静寂に包まれた。
食事は終わり、プレゼント交換もできた。
あとは迎えが来るまで五十鈴と和やかに過ごすだけ……。なにを話そう?
ちょこんと正座している五十鈴の頬は赤かった。ストーブは入れているが、暑くなりすぎただろうか。
「先輩、こっちに顔を近づけてくれませんか」
ハッとさせられた。そうだった。五十鈴との約束があったのだ。
「ご褒美のキスです。わたしはいつでもかまいませんので」
専門学校に合格したら、俺たちは――。
「ほ、本当にいいんだな」
「わたしはこの瞬間を待ちわびていたんです。お願いします」
「わかった」
俺は五十鈴と向き合った。そっと、両肩に手を乗せて顔を近づける。
五十鈴が息を吸うのがわかった。小柄な体がたまらなく愛おしい。
「いくぞ」
自分の唇を、五十鈴の唇に重ねた。ケーキの甘さがまだ残っている。甘ったるくてとろけそうになるような、甘美なキス。
「んっ……」
五十鈴は目を閉じている。やがて両手を俺の腰に回してきた。俺たちは密着して、唇を押しつける。彼女の柔らかい唇に、俺の心がどんどん沈んでいく。
「んん、んぅ……」
五十鈴の甘い吐息。このままずっとキスしていたい。そう思わせるほど満たされる瞬間だった。
けれど、もう離れないと。
俺たちのキスには制限時間があるのだから。
「はあ、はあ、ふう……」
顔を離すと、五十鈴が荒い呼吸をこぼした。少し待つと、徐々に落ち着いていった。
「前より長くて、熱かった」
五十鈴が潤んだ目を向けて言う。
「恭介先輩のキス、素敵でした」
「俺も、最高によかったよ」
笑顔を交わす。
五十鈴の顔は赤い。きっと俺も同じ。
クリスマスの夜に、熱い熱い一瞬をともにした。絶対に忘れない。
「五十鈴、いつものように、俺の腕に寄りかかってくれないか」
「……わかりました」
俺が座り直すと、五十鈴がすぐ横に来て、右腕に頭を当ててきた。
「迎えが来るまで、そうしていてほしい」
「……では、先輩の腕にお世話になりますね」
彼女の甘い香りに包まれて、これ以上ないほど幸せを感じた。
俺たちの思い出にまた一枚、鮮烈な瞬間が記録された。
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