50話 保健室もおなじみになった
空気が冷たくなってくると体調管理も大変だ。
五十鈴は特にそうだろう。
九月の終わり。週の真ん中。
『保健室にいます』
――と五十鈴からメッセージが送られてきた。どうやらまた体調不良を起こしたらしい。
昼休みになると、俺はすぐさま保健室に向かった。
「あら新海君。玉村さんなら窓際のベッドよ」
今日も白衣姿の鈴見先生に教えてもらい、俺はベッドのカーテンを開けた。
五十鈴は布団をかけて横になっていた。衣替えまであと数日あるので、まだブレザーはない。
「先輩、ごめんなさい」
「気にするな。こういう時もある」
俺はベッドの横のイスに座った。
「この時期はとにかく寝込んでばっかりなんです」
五十鈴の声は小さい。顔はいつも白いが、今日はさらに白い気がする。
「顔色、めちゃくちゃ悪いぞ。早退したほうがいいんじゃないか?」
「そのつもりです。午後になったら……」
「今すぐじゃ駄目なのか?」
「先輩のお昼ご飯がなくなってしまいます」
「そっか」
優しい彼女を持って幸せだ。
「前は一緒に食べたけど……」
「今日は、すみませんけど先輩お一人で食べてください。お弁当はかごに置いてあるので」
「わかった。いただくよ」
とはいえ、すぐにがっつくつもりはない。
しばらくそのまま静かにしていると、鈴見先生が出ていく音が聞こえた。
「今日は色仕掛けする元気もないか」
「なっ、どうしてそうなるんです!?」
「二回もここで仕掛けてきたことを忘れたとは言わせないぞ」
「うっ……」
さりげなくブラを覗かせてきたことが思い出される。なぜか、ここではその手の策略が多いのだ。
「わかりました。やればいいんですよね」
「その返事はおかしい」
「だって、先輩は期待していたんでしょう?」
「そういう意味じゃない。単なる感想であってやってほしいとかこれっぽちも思ってないぞ」
五十鈴が体を横向きにして、ニヤニヤし始めた。
「今この布団をどかしたら、いいものが見られるかも」
「しない。見ない」
「もう、すぐそっけなくするんだから。少しは乗ってください」
「デリケートな話題だと思うんだが? この前も胸がどうとかって話したけど、ああいうのって気まずくならないか?」
「わたしは別に」
強い……。
「下品なことはしていないつもりですからね。先輩がちょっと慌てるくらいのラインを攻めてるんです」
「ちょっとの刺激が俺には強すぎるんだよ」
「女性と関わったことがないから」
「そう」
「わたしで慣れればいいじゃないですか」
と言ったあと、五十鈴が「違うな」とやけに低い声でつぶやいた。
「先輩が他の女性に慣れるのは歓迎できません。駄目ですよ」
「他に仲良くしてる女子とかいないから。野球部の女子マネとだって雑談したことない男だぞ」
「でも、まったく話したことがないなんてありえないでしょう」
「野球の話以外はしたことない。だからこれだけ話せるのは五十鈴一人だ。安心していい」
「信じてますよ。わたしはこう見えて嫉妬深いんですから」
「怒られないように善処するよ」
「あっ、怪しい言い回し! さては陰に女が」
「いないって。お前だって俺のやばすぎる不器用さは知ってるはずだ」
「ふふ、冗談です。先輩が気安く話せる相手はわたしだけで――」
「失礼しまーす」
聞き覚えのある女子の声。
「新海君がいるって聞いたんだけどー」
「俺はここだぞ。一番奥」
「入っていいの?」
確認しようとして五十鈴を見たら、目を限界まで細くしていた。
「ま、待て……」
「いいですよ。開けてもらっても」
「い、いいってよ」
「はーい」
カーテンを開けたのは、新聞部の
「玉村さん、調子悪いところごめんね。新海君、探したんだよ?」
「な、なにかあったっけ?」
「このまえ頼まれた写真。ほら、野球部にいた頃の写真をお母さんが見たいって言ってたやつだよ」
「あ、ああ。それな」
「全部用意できたから東棟まで持ってったらいないんだもん。探し回っちゃったよ。――はい、どうぞ」
「サ、サンキュー」
俺は分厚い封筒を受け取った。
「新海君、声が震えてる気がする」
「な、なんでもないさ」
「ふーん。ま、一緒に写真選べて楽しかったよ。じゃあまた、なにかほしい写真があったら言ってね」
「お、おう」
「じゃあねー」
光崎は風のようにいなくなった。
「…………」
「…………」
あとには重苦しい沈黙だけが残った。
今週の月曜日の朝、俺は光崎と二人っきりで写真を選んでいたのだ。まさかあれが今になって響いてくるとは……。
「楽しく、一緒に写真を選んだんですね?」
「しょうがないじゃないか……」
「そうですね。先輩のお母さまが見たいと言ったのなら仕方ありません」
「そ、そうだよ。ツンツンしないでくれ」
「嫉妬深い女なので不機嫌になりました」
「ご勘弁を……」
頭を下げる。
そのままでいると、クスッと笑う声がした。
「顔を上げてください、先輩」
「はい」
「なんで敬語なんですか?」
「不機嫌にさせてしまったので……」
「また真面目すぎる恭介先輩になっていますね。深刻に受け取らないでください」
「許してくれるのか?」
「そもそも怒ってないですし。写真を選ぶ時、できればわたしも一緒にいたかったですけど」
「事前に言っておくべきだったな……」
「光崎先輩と恭介先輩の関係は知っていますから、疑ったりしませんよ。おどかしすぎてしまいましたね。ごめんなさい」
ふう、と五十鈴は上を向いた。頬が赤くなっている。
「さっきまで寒気がしてたんですけど、話していたら体温が上がってきました。先輩との会話は健康にいいみたいです」
「大げさだな」
「精神的な影響って大きいんですよ? 好きな人と話せる。プラスに決まってます」
「でも、無理はしないでくれ」
「ええ。今日はおとなしく早退します」
俺はうなずいた。症状を重くしないことが第一だ。
「じゃ、弁当をいただこうかな」
「外は寒いですよ。先輩も体調を崩さないようにしてください」
「おう、気をつける」
俺は五十鈴の弁当箱を手に、保健室の外にあるベンチに座った。
風は冷たくなったが、俺たちの関係はどんどん熱くなっている。
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