43話 線香花火で夜を過ごす

 五十鈴は母さんと長話に興じていた。

 そこにときどき俺が言葉を発するという感じで、気づいたらどんどん時間が過ぎていった。


 いつしか外は薄暗くなっている。


「五十鈴ちゃん、夕飯も食べていく?」

「いえ、そこまでしていただくわけには……」

「いいじゃない。あなたと話すの楽しいし、帰りは送っていくわ」

「大丈夫です。迎えは来てくれることになっているので」

「そうなの? じゃあ無理強いはよくないわね」


 母さんがしょぼんとする。


「えーと……」


 五十鈴は迷う素振りを見せてから、携帯に文字を打ち込んだ。すぐに返信の音が鳴る。


「九時くらいまでならよさそうです」

「ありがとう! 気合い入れて夕ご飯作るわね!」


 母さんが台所へ飛んでいった。俺は追いかける。


「どのくらいかかりそう?」

「一番自信のある天ぷらそばをやるつもりだから、一時間あれば」

「じゃ、なにかで時間つぶさないとな」

「花火でもすれば?」

「あったっけ?」

「去年の余りなら」


 去年も花火をやった記憶はないが。


「去年は地区の役員だったから、子供たちの花火イベントに出たのよ。それでなんとなく使い切れなかったのをもらってきちゃって。たぶん下駄箱に入ってるから」

「わかった。ありがとう」


 俺はすぐ玄関に行った。目当ての花火セットはすぐに見つかった。


「五十鈴ー」

「なんですかー」

「語尾を真似するな」

「いいじゃないですかー」


 最初の丁寧な印象は消え、かなり砕けた雰囲気になっている。


「花火が残ってた。よかったら夕飯できるまで一緒にやらないか?」

「いいですね。線香花火をやりましょう」

「他にもあるぞ」

「煙を吸うと危ないので……」


 その危険を忘れていた。


「じゃ、虫よけスプレー吹いてな」

「はい」


 俺たちは庭に出た。我が家の庭は狭いが、二人で花火をするくらいの余裕はある。バケツに水をくみ、チャッカマンを用意した。


「花火はとても久しぶりですね」


 五十鈴が線香花火の束を取り出した。一本つまんで、差し出す。


「お願いします」

「よし」


 線香花火に火をつける。自分のやつにもつけた。


 俺たちに言葉は必要なく、自然と手を伸ばして線香花火同士を近づけた。

 ちりちりと柳になって、玉を作っていく線香花火。周りは静かで、花火のジジジ……という音がよく聞こえる。


 まだ遠くの空がうっすら紫色ににじんでいる。そんな時間帯。五十鈴の顔はかすかにしか見えなくて、もっと近づきたくなる。


「先輩のほうが先に落ちそうですね」

「そうかもしれない」

「わたしのは安定してますよ」

「まだわからんぞ」

「どうでしょう……あっ」


 五十鈴の玉が先に落ちた。その少しあとに、俺の線香花火も落ちる。五十鈴がクスッと笑ったのがわかった。


「負けてしまいました」

「いやいや、いい勝負だったよ」

「でも、わたしたちの関係にそっくりな花火でしたね」

「……どういうことだ?」


 ちょっと間があった。


「恥ずかしいことを言いますけど……」

「安心しろ。お前はいつも恥ずかしいことを言ってる」

「ひ、ひどいですよ先輩。わたしを痛い女みたいに……」

「痛さとは別方向にヤバい時があるよな」

「うぅ」


 五十鈴が顔を下に向けた。またしても間が挟まる。


「わたしが先に落ちたということですよ」

「花火が?」

「そうではなくて……恭介先輩に」

「ああ、なるほど」


 確かに、五十鈴が先に俺を好きになった。向こうが落ちてきているのに俺はまったく気づかず、野球に打ち込んでいた。


 そしてあの怪我があって、五十鈴との時間が生まれて、俺も彼女に落ちた。なるほど、俺たちの関係と花火はシンクロしていた。


「なんていうんだっけ、そういうの。詩的な表現って言うんだったか?」

「そうやってわたしを辱めようという魂胆ですね」

「べ、別にそんなつもりはない。ただ、花火と重ねるのが上手かったから」

「自然と浮かんできたんです。落ちるって悪い意味で使われがちですけど、恋に落ちるという表現もありますし」

「しっくりきたよ。さすが五十鈴」

「褒めてもなにも出ませんよ」

「そんなこと言わずになにかくれ」

「どうしてそうなるんですか!?」

「褒めたから……」

「そのくらいでお礼をもらおうなんて甘いですよ! もっとわたしの心を動かすようなことをしてもらわないと」

「今日、うちで夕飯が出る」

「それは恭介先輩の手柄ではありません!」

「手強いな」

「むしろこれで折れる人間は弱すぎます」

「駄目か……」


 俺は引いて、二本目の線香花火に火をつけた。五十鈴にも二つ目を渡す。


 二人で静かに、火が落ちていくのを見つめる。

 家の中の明かりが、五十鈴の顔をわずかに浮かび上がらせている。


「五十鈴……綺麗だ」

「ひうっ!?」


 五十鈴はびっくりしたのか、花火を落としてしまった。


「せ、先輩っ、そんないい声でささやかないでください!」

「そんなつもりは……」


 いい声だったのか。無意識だったのに……。


「先輩の声は野球で鍛えられているからかっこいいんですよ。その声でささやかれたら心臓もバクバクしちゃいます。……ふぅ」

「すまん。でもお前をびっくりさせようとしたわけじゃないんだ。花火を見てる五十鈴の顔を見ていたらつい……」

「綺麗に、見えました?」

「うん」


 五十鈴は大きく息を吐き出した。


「先輩、抱きしめてあげましょう」

「急にどうした」

「今のはお返しが必要だと思いました。立ってください」

「お、おう」


 俺は言われるままに立ち上がった。五十鈴がスッと前に来て、俺を抱きしめてくれた。


「先輩に綺麗と言ってもらえて幸せです。でも、連発しないでくださいね? たまに言われるから嬉しいんです」

「ああ。本気でそう思った時だけな」


 五十鈴の小柄な体を愛おしく感じた。脆くて壊れてしまいそうな、儚げな姿。俺が守ってあげなければ、と思う。世話をしてもらってばかりでは駄目だ。


「恭介ー、五十鈴ちゃーん」


 母さんの声が聞こえた瞬間、五十鈴がすばやく離れた。


「ご飯できたわよー」

「今いくよ」


 返事をすると、母さんが台所に戻っていく気配があった。


「じゃ、片づけて行くか」

「はい。また素敵な思い出が増えました」

「……そうだな」


 線香花火をバケツの水に沈めて、俺たちは家に戻った。

 こういう何気ない夜が、俺にとっては大切な宝物になっていくのだ。

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