3話 初めてのメロンソーダ

「お待ちしていました」


 翌日の放課後。

 昇降口へ行くと、駐輪場の脇にあるベンチに玉村五十鈴が座っていた。


「……じゃあな」

「そうはいきません」


 通り過ぎようとしたが、割り込まれて塞がれた。


「玉村、お前にも友達とかいるだろ? そっちを優先しろ」

「いませんよ」

「えっ」

「まあ、そのことはあとで話しましょう。今日は行きたいところがあります」

「ま、待て。どこに行くんだ?」

「行けばわかります。お時間ありますよね?」


 思いのほか強引な女子である。とはいえ時間があるのは確かだ。


「わかった、ついてく。ついてくから引っ張るな」

「はい。ではこちらへ」


 先行する玉村を追いかける。学校を出ると、すぐ近くにコンビニがある。そこに黒い車が止まっていた。見るからに高級車っぽいが、玉村はまっすぐそこへ向かっていく。


「お待たせしました」


 玉村が高級車のうしろのドアを開けた。


「さあ先輩、どうぞ」

「どこから突っ込めばいい?」


 くすっと玉村が笑う。


「わたしの父は玉村建設という会社の社長なんです」

「はーん、やっぱり金持ちだったか」

「おい貴様」


 ドスの利いた声がして、運転席から背の高い男が出てきた。四十代くらいで、髪をオールバックにしている。


「なんだその口利きは。五十鈴様に無礼を働いたら、この従順なる使用人、大河原おおがわら義道よしみちが容赦せんぞ」

「す、すみません……」

「大河原さん、ヤクザではないのですから、もっと穏便に」

「は、失礼いたしました。ですが五十鈴様に対して『金持ち』などと吐き捨てるように言う男は信用なりません」


 吐き捨てるように言ったつもりはまるでないのだが……。


「先輩、怪しいところに行くわけではありませんから安心して乗ってください」

「まあ、そういうことなら……」


 俺はおっかなびっくり車に乗り込んだ。オレンジの香りがする。座面は適度に沈んでちょうどいい柔らかさだ。


「では出発いたします」


 大河原さんが言って、車を動かした。


 市内を北に走る。俺の家もちょうどこっち方面だ。

 途中で右折してやや細い道を走っていくと、右側に〈NAMIKIなみき〉と看板の出た店があった。


 壁が黒く塗られた木造らしき円筒形の建物。屋根は三角錐の形になっている。


「わたしのお気に入りのお店なんです。一緒になにか食べましょう」

「わかった」


 お茶のお誘いというわけだ。このくらいならつきあえる。


 大河原さんは車で待っているらしいので、俺と玉村の二人で入ることになった。


 店内にはテーブル席が五つあった。奥の窓際の席に案内される。


「五十鈴ちゃんいらっしゃい。そっちの子は彼氏さんかな~?」


 カウンターの向こうから、二十後半くらいと思わしき女性が声をかけてきた。茶髪をポニーテールにした、ちょっとつり目っぽい人だ。


「あちらの方は店主の並木さんです」

「ああ、だから店名がNAMIKIなんだな」

「がっしりしてて頼りがいのありそうな彼氏さんだね~」

「彼氏ではなく、学校の先輩です。最近知り合ったので」

「ふうん?」

「まだ普通の関係です」

「ん、そういうことにしとこう」


 玉村はうなずき、メニューの書かれたボードを差し出してきた。


「わたし、ここのメロンソーダが好きなんです。氷も口に入れやすい大きさで」

「メロンソーダねぇ。昔から野球やるなら炭酸は飲むなって言われてきたから実は味を知らないんだよな」

「なんともったいない。でしたらぜひ試してみるべきです」

「じゃあ、せっかくだから……思ったより高いな」

「わたしが払うのでご心配なく」

「待て待て。後輩に金を払わせるなんてありえないだろ。ここはちゃんと、自分の頼んだ分を持つ形でいこう」

「わたしは二人分くらい余裕ですけど」

「ダメだ。俺の気が許さん」

「……そうですか」


 玉村は少し嬉しそうな顔になった。本来なら先輩である俺がおごってやりたいところだが、ワリカンが精一杯だ。


 二人でメロンソーダを頼む。


「なあ」

「なんでしょう」

「さっき、友達がいないようなことを言ってたよな。本当なのか?」

「はい、いませんね。わたし、どうも話しかけにくいらしくて」

「そうかあ?」


 俺は特に抵抗なく話せているが。


「わたしの感覚が他の方と違うので、無意識にひどいことを言ってしまっているようで」

「無自覚マウントってやつだな」

「そう言うのですか?」

「いや、適当に言っただけだ」


 当然のように二人分の代金を支払おうとしているところからも裕福さを感じる。その余裕が一般庶民を苛立たせるのかもしれない。


「玉村、ハンバーガー食ったことあるか」

「いいえ?」

「やっぱりな。ファーストフードは食べたことないって顔してる」

「わたしにはこの喫茶店がありますし、他にも好きなお店はたくさんありますから」


 たぶん、本人が自然に言っているつもりのこういう言葉が、クラスメイトには上から目線に感じられるのかな。


「あの……不愉快がことがあったら遠慮なく教えてください。もしかしたら、そこにクラスの皆さんと仲良くなれる鍵があるのかもしれないので」

「わかった。でも、自分を殺して送る学校生活はそんなに楽しくないと思うぞ。お前が変える必要を感じないなら、無理することはないさ」

「そうですね……。変えることと言えば、大河原さんが強面こわもてなのと車が大きいのとで、一部からはヤクザの娘だと思われているらしいのです。これについては訂正すべきでしょうか?」

「するべきだ」


 というか、距離を置かれてるのってそれが一番の原因なんじゃ……。


「できるなら小さい車で来たほうがいいかもな」

「父に提案してみます」

「ちなみに、車は家に何台あるんだ?」

「六台ほどあります」

「金持ちだ……」


 俺の家も両親が一台ずつ持っているが、維持費がきついといつもぼやいているくらいなのに。


「玉村が嫌じゃなければ、庶民っぽいところを見せていくとクラスメイトとの距離も縮まるかもな」

「そうですね。努力します」


 そこでメロンソーダが運ばれてきた。


「ごゆっくり~」


 並木さんが笑顔で去っていく。


 メロンソーダ。飲むのはこれが人生初。

 緑の炭酸に四角い氷。刺さったストロー。


「いただきます」


 玉村が一言こぼし、ストローに口をつけた。

 俺も飲んでみる。


「うまい」


 飲み込んだ瞬間、思わず声が出た。

 口の中に広がる甘さ。シュワシュワした感覚がたまらない。


 俺は大真面目に、炭酸系の飲み物は口にせず生きてきた。骨が強くならないとコーチ陣に指導されていたからだ。周りが気にせず飲んでいても、俺はこらえてきた。


 しかし野球を辞めた今、もう気にしなくてもいい。

 世の中にはこんなにおいしい飲み物がある。それを知れただけでも、この時間には大きな意味があった。


 俺は夢中でメロンソーダを味わった。玉村が声をかけてこなかったのでじっくり楽しむことができた。


「はあ……」

「満足できましたか?」

「ああ、最高だった。スポーツドリンクもいいが、こういうのもいいな」

「お口に合ったならよかったです。誰かにこのお店の味を知ってほしかったので」

「誘ったのが俺なんかでよかったのか?」

「もちろんです。先輩に野球以外のことを教えるのはわたしの使命ですから」

「そんな大げさな話になってたのか……」


 ちょっと呆れたが、俺のことを考えてもらえるのは嬉しい。


「変なことを訊くが、いいか」

「どうぞ」

「お前から見ると、俺は面倒を見てやりたくなるタイプなのか?」

「そうですね。放っておけません」

「そうか」

「迷惑ですか?」

「いや」


 こういう、知らなかったことを教えてもらえる時間は有意義だ。


「野球をしなくなって、時間の使い方がわからなくなってたんだ。よかったらもうしばらく相手してくれ」


 それが俺の、今の素直な気持ちだった。

 玉村は少し首を傾け、微笑んだ。


「もちろんです」

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