Side P 44(Moriyasu Agui) 閘舞理の慧眼

 俺は引き止めなかったのだろうか。そんな、俺の胸の内を読むように、メールは続いていた。

『もちろん父親であるポアンカレくんは全力で引き止めた。散華さんげするだけだと言って必死に。しかし、ポアンカレくんの後ろ楯は、爆破ミサイルの失敗により、以前ほどの威光はなくなってしまった。彼女自身、ポアンカレくんの力に頼ることができなくなったと考えたようだ。一方、テラフォーミング実験の第一号として名乗り出た詞音は、一躍時の人となった。煽てられているとも知らず、火星行きロケットに乗った詞音たちは、植樹化が中途半端なままの火星で、1時間もたずに絶命した。しかばねも骨も回収されずに』


 何といういたたまれない世界だろう。C世界では、俺は詞音に愛情を注ぎすぎるあまり増長させ、その結果、自らの手で破滅への道を辿らせてしまったということなのだ。


『こんな未来は、ポアンカレくん自身、ご所望でないだろう。だから俺は、何年もかけて、君の唯一の遺品である津波で壊れかけたノートパソコンを修復し、ロックを解除し、過去へのメール送信技術を使って、本来通過させないといけないメール送信の倫理審査も敢えてすっ飛ばして、31年前のポアンカレくんに提言する。君にとっては辛い話だが、敢えて話す。まず、君と舞理さんは離婚しなければならない。ポアンカレくんは、娘を愛するあまり、何でも褒めてしまうきらいがある。かつて、横浜理科大学時代に、勉強に行き詰まったときに、この俺に対しても優しい言葉をかけてくれていたな。文筆家という新しい可能性を俺に見出して、助言してくれた。そのおかげで俺は大成した。いち友人である俺に対してもこれだけ優しいのなら、娘に対してはもっと愛情を注ぐことは想像に難くない。しかし、相手が年端のいかない子どもなら、褒めて自信を与えすぎて、人を見下す性格になってしまうことはあり得ることだ。だから、そうならないために、まず、父娘を引き離す必要がある。でも、この世界では、現実、単身赴任中でも積極的に連絡を取り合っていたから、物理的に引き離すだけではいけない。離婚して、まったく連絡を取らないくらいの別れ方をする必要があるのだ。このメールが届いた世界では詞音は9歳くらいになっているはず。まだ遅くない。酷なことを言っていることを承知で敢えて言う。いますぐ、離婚して永遠の別れを誓ってくれ。それが、詞音の死を回避し、君の死を回避し、そして長周期彗星衝突という悪夢から地球を救う必要条件だ。親友よ、よろしく頼む』


 長いメールは、過去の俺への懇願で締めくくられていた。

 このメールをどのような気持ちで綴っていただろう。シェルターに住まうとは言え、荒廃しきった地球。親友の非業ひごうの死を経験し、一縷いちるの望みをかけて、過去にメールを送る技術を活用して送ってきたのだろう。


 奇しくも、俺は舞理と離婚している。それは、舞理は俺が詞音と一緒にいることによる弊害を予見していたのだろうか。確かに、舞理は妙に先見の明がある。だから、前もって愛し合っている最中さなかに俺と離婚するという道を選択したのだろう。彼女の慧眼に感服するとともに、舞理と詞音は元気にしているのか、身を案じた。



 その後、『ハーシェルの愁思』は日本のベストセラー……とはいかなかったようだ。

 やはり、理学部出身でさらに、NASAに取材し、俺の『なんちゃって監修』により著述された書籍。俺が読んでも、素人には難しい内容じゃないかと思ったところもある。天王星の環の形成に関する記述では、ロシュ限界とか潮汐ちょうせき分裂とか、理系の人間ではないとイメージしにくい記述もあった。


 いわゆる、俺みたいな宇宙オタク向けといったところだろう。書評も賛否両論。一般的な読者層のニーズを軽視した作品と酷評する者もいれば、新たな篁の魅力を存分に引き出した作品で、科学者の成長譚、恋愛譚としても秀逸と称賛する者もいた。

 確かに、一部の難解な用語を度外視すれば、NASAに挑んだ日本人科学者のサクセス&ラブストーリーとして、充分に面白いと言える。

 それを裏付けるように、売上を放物運動に見立てて、は高くないが、が大きく、緩やかなロングセラーになっている。結果的に売上部数は多くなり、数ある篁未来の代表作の1つに数え上げられるようになる。ファンの中では、隠れた名作として語り継がれることになる。



 そんな『ハーシェルの愁思』の映画の撮影が開始されるという情報を、いち早く邨瀬からの電話で知ることになる。上梓から7年が経過した頃だった。

 安居院守泰は43歳になっていて、年相応に一人称を『俺』ではなく『私』に改めている。『ハーシェルの愁思』のことも忘れかけていたときだ。


門河かどかわ詞音しおんって、詞音ふみねちゃんだろ? 武蔵紫苑が、熊本のとある中学校で、ダイヤの原石をヘッドハンティングしたらしい』

 『詞音ふみねちゃんだろ?』と確認されても、私にはそれを確認する手立てがないが、これまでの情況証拠から、その可能性は極めて高い。やはり、詞音は舞理の実家のある熊本で生活していたのだ。とにかくここまで育ててくれたこと、舞理に感謝するしかないだろう。しかし、本当に映画に主演することになるとは。


 邨瀬は、アメリカで撮影すると言った。ひょっとして、NASAを撮影現場にするのかと聞いたところ、ポアンカレくんと会ってはいけないという制約で、JAXAを少しNASA風にアレンジして、舞台をセットしているという。しかし、通勤の道中、それからスペインでの撮影は、現地で行うとのこと。


 そっか、やはり私は、詞音と会うことは叶わないらしい。元気な娘の姿を確認することはできるが、あくまで銀幕越しということか、と落胆する。つまり、ロードショーまで待てと。


 ところが、運命の悪戯いたずらは、私に思いがけない場所で思いがけない邂逅かいこうをもたらした。

 ボストンで開催された国際航空宇宙学会の学術大会に参加したときだ。ホテルから会場まで向かう途中で、偶然にも映画の撮影と思しき現場に遭遇した。その日は、まだ時間に余裕があったので、映画好きの私は、物珍しさでのぞいてみようと思ったのだ。

 いま考えると、この現場を覗こうと思ったのは、神様がそうさせたんじゃないのか。無神論者で科学者の私が、非科学的なことを言うのはおかしな話だが、そう思わざるを得ないほどの因縁だ。

 驚いたことに詞音らしき女性がいたからである。


 12年越し。しかも4歳以来、写真ですら彼女の姿を確認したことがない中で、強い確からしさをもって娘を認識した。舞理の生き写しのような彼女は、ボストンの街中で、堂々たるパフォーマンスを見せていた。自称、映画つうの私をうならすほどに。


 ちょっと覗くだけのつもりが、ちょっと欲が出た。もう少しだけ長く、もう少しだけ近くで、彼女の活躍を観たいと。たぶん、詞音は、私の顔を覚えていないだろうし、中年のおじさんになった私を肉親だと識別できないだろう、高をくくった。

 しかし、それが逆効果だった。

 彼女と目が合ってしまった。目が合った瞬間、明らかに私のことを意識したかのようだった。撮影中にも関わらず。


「お、お父さん! 待って! 詞音ふみねだよ!!」

 何と、詞音は私に向かって叫び、走り出した。まずい。

 私は、彼女に会ってはいけない宿命。この世界はC世界には向かっていないと信じてはいるが、証明する手立てが何もない以上、感動の再会を喜び、抱擁して涙を流すわけにはいかないのだ。

 胸が張り裂ける思いだった。私はその場を遁走とんそうした。何も罪のない娘が伸ばす手を振り払ったのだ。

「すまん、詞音」

 誰にも届かない呟きで、独善的なみそぎを済ますことしかできなかった。


 酷くない気持ちを引きずりながら、後日、私はショウマット・アベニューで立ち寄ったレストランで、いかにも書き慣れていない詞音による楷書のサイン色紙を見て、ひとり涙を流した。


 その後、まるで詞音への贖罪しょくざいの如く仕事に、研究に没入した。いや、贖罪と言っては詭弁きべんか。そうすることで、詞音と舞理を忘れようとしていたのかもしれない。



 そして、さらに2年超の月日が経過した。

 NASAでの勤務も、ポスドク時代を含めて10年も経過し、自分で言うのも変だが、入った当初に比べると板についたと思っている。

 再婚はしていない。再婚が望める年齢の時は、正直、舞理に未練があった。そして、ようやく未練が薄れ、年貢の納め時だなと思ったときには、結婚適齢期を過ぎたになっていたというわけだ。昔、私に気があるような素振そぶりのあったあの星簇慧那も、私の知らないJAXA研究員と結婚している。


 しかし、映画版『ハーシェルの愁思』のロードショーの情報で、皮肉にも舞理、詞音との一家団欒いっかだんらんだった頃の記憶が舞い戻ってきた。この映画は、詞音が演じる作品。少なくともC世界ではそうだった。

 この世界が、やはりC世界だったのか、はたまたB世界なのか、そのいずれでもないのかまだ分からない。邨瀬によると詞音が主演だと言う。この世界の未来が、C世界である可能性を捨てきれず複雑だが、やはり、娘が元気で、しかも華やかな世界に身を置いて活躍していることに、やはり喜びは隠せない。


 その複雑な気持ちは映像化作品を観て、一気に払拭される。

 これは、私が大学4年生のときに観たあの作品なのだろうか。

 確かに、あの時は、ワームホール通過による影響か、映像も音声もところどころ乱れていた。しかし、それを差し引いても、液晶越しの女優は、『芸名:門河詞音』は美しく、きらびやかで、光り輝いていた。世の中の、それまで美しいと思っていた森羅万象が、霞んでしまうほどに。


 その感動は、私が詞音の父親だからではない。それを証明するように、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子ぎんじし賞を受賞したのだ。


 私は、我慢できずに、便箋びんせんを取り出した。

 タイピングばかりで、すっかり日本語をしたためることが久しくなった手で、お世辞にも綺麗とは言えない無骨な字体で、ペンを滑らせた。

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