Side P 43(Moriyasu Agui) 篁未来による真実

 文字化けメールの内容は、あたかもこの世界の詳細を伝えることが、C世界回避の鍵と言わんばかりの出だしだった。


『その前に、2066年の地球の惨状をしたためる必要がある。巨大長周期彗星「RUINルーイン」が、2060年11月18日午後7時29分46秒に、フィリピンの西の海上に着水、衝突し、日本をはじめ太平洋沿岸の広い国々に高さ数百メートル級の超巨大津波をもたらした。同時に海底に衝突した熱エネルギーにより、衝撃波が発生し、広範囲に火災が発生した。火災による煙は、塵埃じんあいや水蒸気とともに上層大気に厚い雲を形成し、太陽光が大幅に遮光された。それにより、気温の急激な低下が起こり、氷河期に似た状態が続いている。衝突直後の津波災害や火災により世界で7億人が死んだが、その後の氷河期の飢饉ききんで発展途上国を中心に80億人が餓死がしあるいは凍死している。日本では90%もの人が死んでしまった。僕が生きているのは、衝突地点から離れたオクラホマ州の地下シェルターに避難していたからだ。現在、地下シェルターは地熱で温度が保たれており、地球上でいちばん安全であると言える。地下シェルターにいるのは、世界の要職、一流の企業家、技術専門職、文化人、スポーツ選手とその家族、子どもたち。このシェルターに暮らすのは10万人程度と考えられるが、この地球の荒廃ぶりを見て、これが限度だろう。ノルウェーのスヴァールバル世界種子貯蔵庫から、種子を輸入し、細々ではあるが、残った僅かな人間で飢えをしのいでいる状況だ』

 白亜紀末期、ユカタン半島近海を直撃し恐竜の絶滅をもたらしたときと、似たような状況が起こっている。そう推察した。しかし、この未来における世界人口がどの程度か分からないが、世界でおそらく8割以上の人が、気候変動により亡くなっている。つくづく人間は、自然の脅威にあまりに無力だ。シェルターに住まう10万人は、言わば世界の『上級国民』であって、安居院守泰も詞音も、そこから除外されたのだろう。


『僕が、シェルターに住むことができた理由は、この際瑣末さまつな話なので割愛する。問題は、ポアンカレくんこと安居院守泰がそこにエントリーできなかったことだ。ワームホールを活用して世界初の時空を超えた情報送受信システムを開発するという、科学史に名を刻むほどの輝かしい偉勲いくんを立ててきた彼ともあろう人物が、排除されてしまったことに言及したい』

 『ポアンカレくん』が登場し、どうも拍子抜けしてしまうが、文調からおふざけではないことは分かる。


『生前のポアンカレくんの送信メールを勝手ながら拝読したが、ポアンカレくんはあくまで、自分の計算式のミスによる誤ったプログラムで爆破ミサイルを発射し、引責という形で、火星テラフォーミングの実験台に愛娘を送り込むことになったと綴っていた。しかし、考えてみてほしい。いくら何でも、いち研究者の瑕疵かしで、愛娘を差し出すことになるだろうか。この世界では、安居院家の父娘おやこ関係は極めて良好だ。門河詞音は安居院守泰の娘であることを公言しているし、テレビの出演時にはたびたび父親のことを話題にし、仲睦まじい父娘関係を語っている。父娘でCM出演したこともあるくらいだ。そんなポアンカレくんが、地球の危機を回避し人類を存続させるという大義名分があるとは言え、愛娘を英霊えいれいとすることを、とするとは到底思えないだろう。何よりも家族を大事にしてきたポアンカレくんだ。パラレルワールドであっても、過去の君であっても、その気稟きひんと倫理観は揺るがないと確信している』

 この世界では、父娘仲が良好だということが判明した。そして、このメールに離婚だのそういう記述がないことから、夫婦仲も継続しているのだろう。

 しかし、次に書かれていた内容が、俺の想像からは大きく乖離かいりした、詞音に関する看過かんかできない情報であった。

『だからこそ、門河詞音をかばって、あのメールを送ったのだ。ポアンカレくんは、世界を荒廃から救うのに彼女を咎人とがにんである情報は不要であると判断して』

 咎人? 詞音が夭逝したのは、まさか彼女自身に原因があったというのか。C世界では何が起こっているのだ。知りたくないが、知らなくてはならない内容のような気がした。

『単刀直入に言う。この世界において、故・安居院詞音はを犯した』

 と表現するところが、苛立いらだたしい。邨瀬は文筆家だから、真相は最後まで明かさないような表現をする癖があるのか。単刀直入に言うのなら、罪の詳細を先に明かしてほしい。読むのが辛い内容なのが分かっているのだから、バッドニュース・ファーストで、嫌な情報は先に知っておきたいのが、人間の心理というものだろう。じりじりと迫る悲観的な情報を知ることは、荒廃した未来を迎えること以上にキリキリとした胸が痛みを味わわせる。


『安居院詞音は、科学史の英傑、安居院守泰と、街に繰り出せば何十回とスカウトが来るくらいの美貌を誇る閘舞理の娘だ。両親の良いところを集め、増幅し凝縮させたような、誰もが憧れる詞音は、なるべくして有名になった。もちろん科学の道に歩むこともできたが、本人は女優としての道を選んだのだ。しかし、1つだけ致命的な欠点が彼女にはあった。自分の非を認めることができないのだ。天賦の才をふんだんに与えられた安居院詞音は、親からも周囲の大人からもされた。もちろんやっかみを買ってしまうこともあったが、天才科学者として名を馳せる安居院守泰の娘であることが、彼女を強く、大きく、そして増長させたのだ。才覚を鼻にかけ、後輩女優や芸能関係者を卑下する態度を取ることも多かった』


 にわかに信じられなかった。幼少期から顔立ちは著しく整った子であるのは、親バカを差し引いても認められるべき事実だと思う。しかし、4歳頃までの記憶とは言え、頑是がんぜながらも楚々とした一面もある少女である。もちろん、その後の生活環境の変化によっていくらでも変化する可能性はあるが、それでも、俺と舞理の監護下において、道を外れるようなことにはならないと思われるのだが、なまじ科学者として成功したことが、詞音をつけあがらせてしまったと言うのか。


『よって、女優としての地位をほしいままする一方で、も非常に多くなっていた。彼女の出演する映画やドラマ、バラエティ番組に至るまで、軒並み高い興行収入、高視聴率を記録する一方で、業界では尊大な態度を非難する声も絶えなかった。それでも、残念ながら彼女は態度を改めることはなかった。極めて特権意識が高かったようだ。そして、ついに事件は起こる』


 嫌なことが起こると分かっているだけに、続きを読むのがひどく躊躇ためらわれる。しかし、読まないわけにはいかなかった。


『彼女が運転する車が人をねたのだ』

 え? 呆気あっけにとられた。いや、呆気にとられてはいけないのだが、充分すぎるほど深刻な事態なのだが、詞音が傲慢ごうまんであるのとは無関係じゃないか、と思った。もっと、映画界の重鎮の逆鱗げきりんに触れるとか、そういうものを想像していたからだ。


『法定速度を超過した運転で、被害者は亡くなってしまった。しかも、もっと悪いことに、安全救護義務を怠り、その場を去ってしまったのだ。そして、被害者というのが、武蔵むさし紫苑しおん監督だったのだ。武蔵むさし紫苑しおんは、おそらく31年前でも有名になっているはずだ。そして、君が生きる時代の6年後、安居院詞音を映画業界に招き入れた人物だ』

 武蔵紫苑。映画『ハーシェルの愁思』製作を手掛ける新進気鋭の映画監督にして、邨瀬の高校の同級生。その人物をき逃げしたというのか。C世界の、それも未来の話なのに心が痛くなる。目の前にC世界の詞音がいたら、一喝してやっているところだ。


『一瞬にして罪人になっただけでなく、後ろ楯を失った門河詞音は立ちどころに業界を追い出された。同時に、ポアンカレくんも、長周期彗星の爆破失敗で糾弾されていた。服役を終えても、轢き逃げ犯にして「彗星爆破失敗の張本人の娘」のレッテルが貼られた彼女を、積極的に出演させようという奇特な映画監督もテレビ局も皆無。ひとえに、業界で高慢だったことがあだとなった。栄光も豪奢ごうしゃな暮らしも、すべて過去のものになってしまった。どうも、ポアンカレくんのPCに保存されていた手記によれば、この一連の事件は、仕組まれたものじゃないかという憶測をしている。つまり、門河詞音も、彼女を擁護していた武蔵監督も、ともに嫌われていたのだ。だから、彼女の乗る車に細工をして、酒に酔わせた武蔵監督を彼女の帰り道の道路を千鳥足で歩かせたんじゃないか、と綴られている』

 自分の娘だからというか、C世界の俺は、何とも詞音に甘すぎやしないか。仮に仕組まれた事件だとしても、安全救護義務違反なのだ。それだけは、どうあっても擁護できない。


『そんな彼女が、過去の栄光の奪回と父親の汚名返上のため、テラフォーミングへの実験に名乗り出ることになったのだ。頽廃たいはい的になった世界に加えて、不祥事による生き辛さを憂い、テラフォーミングの先に、新しい栄光が待っているのではないかと、わらにもすがる思いで、手挙げしたのだ。それが、死への片道切符だということも知らずに……』

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