Side P 40(Moriyasu Agui) 熊本はやめてくれ

 邨瀬はノリノリだった。

 作家という仕事がこの男にとって天職なのだろうか。執筆に関わる行動力も積極性も目をみはるものがある。

 その後も、なぜか俺に、主人公の人物像だとか、物語の展開などのアイディアを聞かされる羽目になった。

 こんな店の中でネタばらししちゃっていいのか、と言うと、ここはアメリカなんだから日本語で話している限り問題ない、と胸を張る。

「いやぁ、そうかもしれんけど、逆に俺の楽しみは半減するだろ? 俺だって──」

 篁未来のいちファンなんだ、と続けようとしたところあることに気付いた。

 これって、まさしく学生のとき、未来の俺から送られてきた映画の内容そのものではないか。

 やはり、これは親友の邨瀬が生み出した作品で、おそらく小説はヒットし、そして実写化されたのだ。


 しかし、あの作品は地球に危機が訪れるC世界から送られてきたもの。ということは、B世界に向かっていると思われていたのが、実はやはりC世界に向かっているのではなかろうか。

「む、邨瀬! やはり、天王星はやめよう」

「何で? 俺の中では決定しちまったよ。天王星はみんな知っててイメージしやすいし、エメラルドグリーンにロマンを感じるし、こんな妙案はないよ」

「で、でもな……」

 ここで、何か作中の研究テーマの代案でも提示できれば良かったものの、残念ながらそれが出てこない。俺は、浅薄に天王星の謎に迫ることを提案してしまった自分を心から恨む。


 邨瀬は、俺が観た映画の内容までは知らない。伝えていない。映画の原作が篁未来だから、ここで教えてしまうと作者不明のパラドックスに陥る。それが、未来にどう影響するか計り知れないので、事情を説明するのははばかられる。

 うまく軌道修正しなければ……。


「よし、さっそくホテルに戻って執筆するよ! 鉄は熱いうちに打てが、作家としての俺のモットーだからな。ありがとう! ここは奢るよ」

「いやいや、割り勘だろ」

 と、無理にでも俺はお金を渡すが、そんなことはどうでも良かった。どうやって天王星を諦めさせようか。

 NASAでこのテーマを研究していると嘘をつくか。でも、太陽系でも遠方の天王星の研究が白熱しているとはあまり思えない。


「じゃ、改めてよろしく!」

 誘うときも強引だったが、解散するときもまるで台風のように過ぎ去っていった。

 果たして大丈夫だろうか。何としてもC世界に向かわないように、俺は頭を悩ませることになった。



 NASAに移ってからはじめの一週間は、かなり長く感じた。

 年をとると時間が短く感じられる『ジャネーの法則』は、子どものうちは、初めて経験することが多いから、毎日が新鮮で刺激的である。しかし、大人になれば、新しい経験が少なくなるため、生活に新鮮味が失われることから、早く過ぎ去っていくように感じられることも一因であると聞く。

 それは、確からしい意見で、実際にこれまで外国に行ったことも片手で数えるくらいしかないのに、海外に住んで、しかもNASAという宇宙に携わるブレインが集結する場所で、新しい発見が乏しい訳がない。

 アインシュタインの相対性理論とは無関係だが、ここでも、いかに時間とは相対的なものだなと、改めて感じさせられた。


 しかし、時間外労働や土日・休日出勤を殆どしないので、戸惑いはあるものの、余暇にはいろいろなことができそうだ。いまは荷物の片付け、食材や生活必需品の買い出し、引越に伴う諸々の手続きに費やされているが、いつか近隣の探索や新しい趣味の発見などをしてみたい。

 何て言ったって、独り身になった俺には時間があるのだ。でも、ふと思う。詞音が元気にやっているだろうか。お父さんと呼ぶ、あの屈託くったくのない笑顔と声が、いまでもふとした瞬間に蘇る。


 そんなことを考えていたら。スマートフォンがぶるぶる震える。

『土曜日、暇か? また飲みに行こう』

 邨瀬はまだアメリカに滞在しているのか。言い方悪いけど、暇なのかと心の中で盛大にツッコむ。と同時に、これだけ長期に滞在できるということは、それだけ収入も潤沢なのだろうか。先入観だが、作家も9割は鳴かず飛ばずなのだろうと思う。それが専業作家でここまでのことができるのは、やはり作家としての才覚があったと誰もが認める事実になろう。友人のますますの飛躍を嬉しく思う。


 話はトントン拍子に進み、初日とは違う店に決まった。美味しそうなスペインバルを見つけたというので、そこに行きたいと言うからだ。アメリカに来たんだから、アメリカらしい食事をしろよ、と言ったが、アメリカらしい食事って何だ、と聞かれてしまった。確かに、俺もよく分からない。


 そして、その土曜日の夜はすぐやってくる。ワシントンDCは、そこまで治安は悪くなさそうだ。もちろん、どこかにはスラム街もあるのかもしれないけど、大統領のお膝元だからか、警備は厳重なのかもしれない。


「どうだい? NASAは?」

「まぁ、やっぱり言葉が不自由するね。こっちの表現したいことがうまく伝えられない」

「それでも、きっと凡人に比べりゃ、不自由のレベルが違うんだろうな。日常会話レベルなら、お茶の子さいさいなんだろう?」

 さぁ、と首を傾げた。1週間が経過し、初日に比べて耳は慣れてきているが。英語は得意でも苦手でもないと言ったところ。英語検定は準一級までは取ったが、一級はレベルが高すぎて受検していない。


「ところで、今日はどういった用件なんだ?」

「親友だろう? 用件がなきゃ誘っちゃダメなのか? 特に、おみゃあさんがアメリカにいるとなりゃ、これからそうそう飲めないんだ。『飲みめ』しておきたいじゃないか」

 それもそうだなと思った。でもきっと、彼のことなら、執筆に関する相談があるだろう。

「言っとくけど、まだ監修になるかどうかは聞けてないぞ」と、先に予防線を張っておく。

「そりゃ、1週間なんだ、まだ。さすがにそこまで俺は図々しくないぞ」

 それを聞いて安心した。ワインをぐびっと飲む。渋味とコクに富んだ濃いワインだった。


「取材してたんだろう? アメリカで」

「ああ。でも、実は、一昨日まで2泊3日でスペインに行ってたんだ。もちろん取材でな」

 俺は、思わずワインを噴き出しそうになった。

「どうした?」訝しげに俺を見る。

「いや、何でもない」

 本当は何でもない訳なんかない。むしろ大ありだ。あの映画にはサグラダ・ファミリアの映像があった。作中に登場させるつもりなのだろう。

 サグラダ・ファミリアに行ったのか、とは敢えて聞かなかった。聞いて事実を確かめるのが怖かった。でもきっと行ったに決まっている。C世界への道のりを歩んでいるではないか。いっそのこと、アルハンブラ宮殿にでも変えてくれ、と懇願してみるか。でも、きっとかなりの渡航費をかけていることだろう。それに、理由を問われても答えられない。作者不明のパラドックスが及ぼす影響が計り知れない。

 そんな、俺の葛藤には気付かぬがごとく、話題を変えてきた。

「でな? いま悩んでるのがな。作者の出身地だ」

「出身地!」

 そう聞いて、一生懸命俺はあの未来から送られてきた映画の詳細を思い出す。しまった、こんなことなら、ちゃんともう一度観ておくべきだった。

「地方出身のほうが、いいような気がするんだ。いかにも地元の期待を背負っている感じがするだろう? 例えば九州の山村出身ってのはどうだ?」

 九州と聞いて、記憶が蘇る。作中では、確か帰郷したヒロインがさつま揚げを食べていたか。いや、待て、さつま揚げにしては餅のように伸びていた。あの郷土料理は……?

「具体的には候補はあるんか?」

「熊本だ」

 まさかの一択。候補も何も、決まっているのか。

 熊本と聞いて思い出す。映画でヒロインが食べていたのは、ではなかったか。何せ、舞理の故郷なんだ。多少の知識はある。

「熊本はやめてくれ!」

 俺は懇願した。表向きは元妻の出身地だからだ。

「でも、熊本は、熊本城もあるし、阿蘇山あそさん草千里ヶ浜くさせんりがはまもある」

「鹿児島にすりゃいいじゃんか? 種子島たねがしま宇宙センターがあるし」

「だって、舞台はNASAだ。種子島は登場しない」

「……」

 よく分からんが、かと言って、熊本でなきゃいけない理由もよく分からない。

「でも、ポアンカレくんがどうしても熊本がダメならやめるか。監修を断られるのも嫌だし……」

 監修をやらなきゃ、熊本にされてしまうというのか。何か、交換条件を突き付けられたような気がする。

 ともあれ、熊本を回避すれば、俺が観たあの映画とは違う作品になるはず。であれば、C世界に向かうことはなくなるだろう。とこのときは安堵していた。


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