Side P 39(Moriyasu Agui) 異郷での再会

「確かそんな名前です。友達ですか?」

 首肯すると同時に、彼が渡米しているという事実に驚く。邨瀬むらせは日本でのプロジェクトチームの参与だったが、役割としてはメールの解読要員である。研究目的がある程度固まってくると、彼の出番はあまりなくなっていき、同時に本業の作家としての仕事が忙しくなったこともあって、最近は連絡がおろそかになっていた。実はNASAに行くことも彼に言っていなかった。言い訳をすると、渡航準備や引き継ぎに追われて、バタバタだったからだ。


「では、さっそく来てもらえますか?」

 まさか、こんなところで邨瀬の名前を聞くとは思いもしなかった。嬉しさよりも戸惑いのほうが大きい。なぜ彼がNASAに来ているのだ。

 案内されたのは、小さな会議室のような部屋だ。

 金髪の若い女性研究員に身振り手振りを交えながら、ぎこちない英語で一生懸命説明しているのは、紛れもなく邨瀬むらせ弥隆よしたかだった。

「ポアンカレくんよ! ご無沙汰だな!」

「アメリカに来て早々、そのあだ名を聞くことになるとは思わなかったよ……」



 邨瀬が渡米した理由は、まさしく取材だった。実は、彼は新作の執筆を考えているらしくて、宇宙科学者たちの『お仕事小説』らしい。

 NASAの日本人研究員が主人公らしく、それに当たってどうしてもNASA内部の描写がネックになったらしい。リアリティを追求したい邨瀬は、いちかばちかで取材を申し込むためわざわざ渡米して、ゴダード宇宙飛行センターまで来たらしい。安居院守泰と時任光透先生の知人だと名乗れば、承諾が得られると思ったらしい。

「何だよ、ここにいるんだったら、早く教えてくれよぉ。こんなに苦労して申し込み手続きする必要なかったよ」

「俺だって初出勤なんだよ、今日がさ」


 邨瀬の英語は俺よりもぎこちなく、ところどころ翻訳機の助けを借りていた。ところどころ、俺が英語を通訳をして、女性研究員に伝えた。女性研究員は、上司に伝えると言って部屋を一旦出た。

「ってか、宇宙研究をテーマにするなら、NASAにしなくてもJAXAにすればいいじゃないか?」

「NASAに単身で乗り込んだ孤独な日本人研究員の成長物語を書くんだよ」

「何だ、もう俺の半生を書く気かよ」

「君の半生を書くのはノーベル賞獲るまで温めておく」

「獲る前提かよ。ってか、俺を主人公にしたら、バツイチのオッサンになっちゃうもんな」と自嘲した。まさかここに来て自分の離婚をネタにするとは思わなかったが。


「詞音ちゃんは元気か?」

 何気ない質問のつもりなのだろうが、俺の心に影を落とした。離婚してはや3年。養育費以外の繋がりはなく、舞理からは残念ながら何の情報もない。

「ごめん、デリカシーのない質問をしたな」

「まったくだよ」

 まだ軽口を叩けるほどの心の余裕はある。


 しばらくすると、女性研究員が戻ってきた。どうやら、安居院守泰に免じて取材を許可するが、研究内容は架空のものにしてくれ、とのことだ。

「ありがとうございます!」

 思い切り日本語で礼を言うと、「ドウイタシマシテ」と笑顔で返答してくれた。この女性研究員も、存外気さくな性格そうだ。

「失礼ですが、あなたのお名前は?」

「キャサリン・ティンバーです」

「キャサリンさん、安居院守泰はナイスガイです。将来ノーベル賞獲ると思ってますので、よろしくお願いします」

 片言の英語で、一生懸命説明している。変に持ち上げるのはやめてくれ。

「楽しみにしているわ」

 キャサリンは笑顔で返答する。真顔だと抜け目のない美人だと思ったが、笑顔だと印象が一気に柔和になり、そして魅力的に感じた。

 邨瀬が俺に耳打ちする。「キャサリンさんの連絡先、あとで俺に教えてくれな。ポアンカレくん」

 できるか、と俺は、関西の芸人のようなツッコミをNASAで披露してしまった。



 それからようやく、俺がお世話になるIIT study teamのボスや他のメンバーたちに自己紹介することができた。IITとは、Interplanetary information transmission(惑星間情報伝達研究)のことで、日本でやっていた我々のプロジェクトチームと趣旨が類似していた。だから、母国語が違っても、この専門分野における共通言語が多かった。論文も相当読んでいたし、飛び交う会話の内容は大抵把握できた。


 ダニエル・エリソン博士は、禿頭とくとうだが口髭くちひげ顎鬚あごひげが似合うダンディーな推定50歳代の男子だ。白人はなぜか禿げていても格好良いにになる。

 他のチームのメンバーは、俺と同じくポスドクが多く若かった。


 最初に日本語で話しかけてくれたのは、日系五世アメリカ人のミチオ・オニヅカ(鬼塚道央)。

 それから、邨瀬の対応をしたキャサリン・ティンバーもチームメンバーだ。彼女はカナダ出身。

 他にも北欧出身者、アフリカ系アメリカ人の黒人科学者、韓国出身、オーストラリア出身、インド出身者など、まさに人種の坩堝るつぼだった。

 時任先生のプロジェクトチームもなかなか個性派揃いだったと思うが、こちらのほうが凄いかもしれない。


 エリソン博士によると、週2回時任先生たちのプロジェクトチームとミーティングをしたいとのことだった。10年ちょっと前に世界を混乱に陥れたCOVID-19感染症を契機に、急速にインターネット会議が発達、普及し、手軽かつ安価にオンライン会議ができるようになった。映像も音声もクリアに伝わるから、まるで隣の部屋にでもいるかのように日本のメンバーに会える。だから、寂しさは感じないことだろう。

 余談だが、今回のNASA異動でも、俺の横浜理科大学のメールのアカウントも残していて、テレワーク可能なマイパソコンで確認ができる体制は維持している。加えて、JAXAで使っていたメールアカウントも利用可能だ。俺は、NASAでの個人メールも合わせて、業務用メールを3つも保持していることになる。正直、横浜理科大学のメールアカウントに、研究関連のメールはほとんど入ってこないのだが、C世界の俺が、このメールアカウントに送ってきたという客観的事実がある以上、消してしまうわけにはいかないのだ。


 挨拶回りと研究所の説明で初日を終え、夕方5時を迎えると、待っていましたと言わんばかりに邨瀬から連絡が入った。とにかく飲もうとのこと。

 ちなみに、アメリカは家族中心の社会なので5時をすぎてなお研究をしている者は殆どいないとのこと。改めて日本との違いを感じる。明るいうちに帰宅することにしばらくは違和感を覚えることだろうか。


 飲むにしても、来たばかりでどこに何があるか分からないと言うと、ちゃんともう行くところは考えてあるとのこと。ワシントンDCのデュポン・サークルと言う場所は、レストラン、コーヒーショップ、ダイブバー、ダンスクラブなどが集まっているらしい。

 地下鉄に乗って、レッド・ラインのデュポン・サークル駅に向かうと、目の前には自転車の車輪のような環状交差点ラウンド・アバウトが広がっていて、いかにも外国の繁華街らしい。マサチューセッツ・アベニューというところにある、アイリッシュ・バーに先に入っているとのことだ。アメリカに来てアイルランドかよ、と突っ込んだら、細かいことは気にしない、と言われた。環境が変わっても、やることは変わらないことに思わず笑ってしまった。


「何か、ポアンカレくんの個人的な興味で、NASAで研究がされていなさそうなテーマってあるか?」

 いま、もうそれを聞くか、と再び突っ込んだら、善は急げと言うだろ、と返された。邨瀬曰く、いま考えている新作は、主人公は日本人だが、ほぼ全編にわたりNASAを舞台にしているらしく、自分史上最高の傑作になると息巻いていた。でも内容が専門的だから、あまり専門的すぎると読者がつきにくいし、かと言って素人でも分かりやすい研究テーマじゃNASAっぽくないのではないかと悩んでいた。

 俺にしてみれば、そんなこと言われても、と言いたいところだが、彼とは付き合いもあるし、何と言っても文字化けメールを解読してくれた恩義もある。

「NASAで研究されているか知らんけど、個人的に興味がある宇宙の謎は天王星だな」

「ほう、その心は?」

「天王星ってさ、太陽系惑星で唯一、地軸が90℃近く傾いていて、横向きに自転してるだろ。まずそこが不思議なのと、太陽に対して垂直的に面している極地よりも、平行的に光が射す赤道付近の方がなぜか高温なんだ。俺の研究テーマとは無関係だけど、惑星で1つだけ他とは違う特徴が詰まっていて、しかもエメラルドグリーンで綺麗な天王星って宝石みたいで、子どもの頃から何だかロマンだったんだよな」

「よしこれで行こう! 凄いよ、ポアンカレくん!」と手をたたきながら喜びをあらわにする。

「決めるの早っ!」

「ってことで、ポアンカレくん、監修になってくれんか?」

「俺の一存じゃ……」思わず頭を掻いた。

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