Side P 37(Moriyasu Agui) いつしかのデジャヴュ

「本当ですか?」

 理事長を前にして、俺は欣喜きんきした。

「NASAはこちらの要求を飲んだ。それどころか、予算をつけて共同研究をしたいと言ってきています。はじめから、JAXAの研究に莫大な社会的価値があると思って、我々に声をかけてきたと思える。過去への情報通信技術について、正当に利用されれば将来発生しうる有害事象を回避できるのだから、さもありなんと言えばそのとおりだが……」

 我々の研究に価値を見出してくれたことは嬉しい。しかし──。

「いいんですか? JAXAうちの研究を取られてしまう可能性もありますよ」

 時任先生は慎重だった。研究者として当然の懸案事項だろう。世界の歴史を変えるかもしれない大発見を、『日本発』、『日本初』の快挙にしたくないのか。共同研究という大義名分のもと、手柄の山分け、もっと言えば横取りされるのではないかと、矜持の高い者は怒り出すかもしれない。

「逆です。この技術は使い方を誤ると大変なことになる。莫大な恩恵と同時に、維持・管理をしっかりやらないと社会そのものの仕組みが破綻しかねない。そのリスク・マネジメントをJAXAだけで背負うのは荷が重い。であれば、最初からアメリカを巻き込んでしまった方が良いだろうというのが私の考えです」

 なるほど。一理ある。極めて公益性が高い技術であるとともに、私利私欲を満たすための凶器にもなり得る。技術開発の功績よりも、リスクヘッジの確実性を取ったわけだ。


「それでも、NASAは共同研究という姿勢は崩さないと言っています。それだけ、NASAがこの研究に興味を持っているということになる」

「そういうことなら安心しました。安居院先生とともにプロジェクトを完遂することは、私の悲願でもありました。そして予算も付けてくれるなら、願ったり叶ったりです」

 時任先生はそう言うと、俺の方を向いた。「って、ことでいいかな? ポアンカレくん」

 理事長の前でその名前はよしてくださいよ、と思いながらも「はい」と頷いた。



「ってなわけで、ポアンカレくんは、ポスドクとしてNASAに旅立つことになった! みんな拍手!」

 プロジェクトのメンバーから拍手が起こるが、それよりも驚きのほうが大きい。この瞬間まで、他の誰にも相談しておらず、サプライズ的な発表だから当然である。半信半疑だろう。

「マジっすか!? すげぇ」

「どういう経緯で?」

「コネですか?」

「どれだけお金積んだんですか?」

 言いたい放題だが、こう軽口を叩いてくれる仲間と、物理的に離れてしまうことに寂しさを感じる。


「安居院さんは僕らの誇りです! 世界の安居院になって、ノーベル賞狙ってください!」

 どうやら、みんな背中を押してくれているようだ。ありがたい。ありがたいが、約1名浮かない顔をしている。それは、この中で最も浮かない顔が似合わないメンバーだ。

「センセ、マジで行っちゃうの?」

 慧那だった。涙を浮かべてるようにも見える。普段そんな表情を見せない人だから、余計に気がかりである。

「ごめんな、慧那。でも研究が一緒にできないわけじゃない。共同研究をやるからには、定期的にリモート会議をすることになるだろう。画面越しに互いの顔は見えるさ、きっと」

 それでも、やはり伏し目がちだ。

「ポアンカレくんは間違いなく、NASAあっちでうまくやり遂げる。そうしたら、日米での人事交流が活発になる。慧那にも渡米のチャンスは来るかもしれないな」

「安居院センセさ、何か、ポスドクと言っても、その後はNASAで勤めるかもしれないんでしょ? 片道切符で日本には戻ってこないんでしょ? 寂しすぎます」

 驚いた。理事長室の会話を慧那は聞いていたというのか。

「廊下で聞こえちゃったんです。時任先生が意気揚々に独り言言ってたのを」

 時任先生のせいだった。

「マジで? NASAに正式採用されるんですか?」

 他のメンバーたちが次々に言う。

 いずれバレる話なら、先にバレておいたほうが傷が小さくて済むような気もするので、そこまで気にしないが。

「決まったわけじゃない。そういう可能性も視野に入れてるにすぎない」

「でも、理事長相手に、期待を持たせるだけ持たせて、実は違ってましたぁなんてこと言わんと思うし、共同研究をお願いしてくるくらいだから、それだけの待遇を用意するのも変じゃないし、実際、安居院センセの頭脳に触れたら、NASAが手放さないだろうし」

 慧那は、いかにも世間知らずそうな風体だが、意外にも社会を分かっているようだ。

「あたしもポスドク受けに行こうかな」

「マジで!? ちょっと待ってくれ、慧那。ポアンカレくんだけでも痛いのに、2人も放出するのは僕としても辛い」

「ジョーダンですよ。時任センセ。あたしみたいなギャルは受けても出願したとこで受からんだろうし」

「いや、ルッキズムじゃなくて。能力なら、君なら受かってしまうかもしれん」

 時任先生と慧那は、あーでもない、こーでもないと言い合っている。


「でも、送別会をしなきゃいかんですね。我らが安居院大先生がNASAに栄転するのに、祝杯も挙げれないなんてメンバーとして失格です」

 野口銀河が言う。要は飲みたいだけじゃなかろうか。

「別にいいよ。祝杯なんて……」

「挙げさせてください! さっそく今夜! じゃないと慧那ちゃんが諦めつきません」

 日向陽太も言う。

 俺は、飲み会は特に望んでなかったが、結局その場のノリで飲むことになった。結束が固いのは良いことだから、これ以上固くしてどうする、とも思う。



 また、いつしかのように、飲んで泥酔した慧那を解放しながら送り届けることになった。運良く電車が2席分空いていたので、座ることにする。

「そろそろいい年なんだから、お酒自重しろよ」

 言ってから、女性に対して年齢のことに言及するのはセクハラだったかと思ったが、慧那は特に反応しない。やはり酔いが回ってそれどこじゃないかもしれない。


 しかし、1分後。

「センセー。いい年って言ったっしょ? そろそろセンセ、あたしの気持ちに答えてくらさいよぉ」

「え?」寝てたんじゃないのか。

「え、じゃないでしょ? いい年だなんてセクハラオヤジ! あたしを傷物にした責任取って結婚しろぉ」

 酔いが回っているのは分かるけど、そんなこと言うなよ。乗客の視線を感じて痛い。

「まだ武蔵小杉まではあるんだから、寝とけ」

「いい年ってお互い様でひょ。センセだってバツイチ独身なんだしぃ」

「頼むから、もう寝てくれ」

 これ以上、恥を晒さないで欲しい。


 武蔵小杉に着いて、少しスッキリしたようだが、千鳥足だった。普通の靴ならそうじゃなかったかもしれないけど、心はギャルの慧那は、ヒールを履いて、輪をかけて歩きにくそうだ。取りあえず、烏龍茶を2本自販機で買う。

「センセぇ、公園行きたい」

 いつしかのデジャヴュだ。涼しい風に打たれたいなら付き合ってやるか。

 ベンチの方を指差すので、ゆっくりと歩く。ベンチの目の前に来たちょうどそのとき、ヒールのかかとが、地面の軟らかいところに嵌ってしまったのか、慧那がバランスを崩した。


 ぐらっと俺にもたれかかるように倒れ込む。その勢いで俺の上半身はベンチに仰向けになるように倒れ、それに引きずられるように、慧那が倒れ込んできた。ちょうど俺にまたがるように……。

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