Side F 36(Fumine Hinokuchi) 千載一遇の再会

「いきなりどうした!?」

 突如、撮影現場から遁走とんそうしかけたのだ。当然ながら武蔵監督から詰め寄られる。

「すみません。知ってる人がいたんです。とても大切な……」

 正直、自分でも意外で不思議だった。あの瞬間、憑依状態から解脱げだつさせるほどの力が働いたのだ。

「──君のお父さんか」監督はすぐに察した。あたしはコクリと首肯する。

「気持ちは分かる。でも、撮影なんだ。共演者もいるし、スタッフもいる。スケジュールもある。悪天候の場合を見込んで、予備日もあるけど、全体的に余裕はないんだ」

 申し開きはしない。完全に、あたしに非がある。プロを目指すものとして、あんな行動はご法度だ。

「……申し訳ありません。他人の空似だったと思います。もうあのような行動は致しません」

 他人の空似と言ったが、遠くにいながら、あたしから憑依を解いて、あそこまで行動を起こさせる人物が、果たして単なる空似だったのだろうか。本能的な、衝動的な行動だからこそ、第六感が働いた。そこに、紛れもなくあの人物が生き別れた父親であるかのような、奇妙な真実味を帯びているような気がする。


 武蔵監督は、ひとつ溜息をつく。

「それに、一応これは、君のお母さんとの約束なんだ。何で、あそこまでお父さんと会うことを拒絶するのか僕には分かりかねるが、約束を破るのは僕の信念にもとる。たとえバレなくても」

 そうだ。ここで軽率な行動を起こしてしまっては、世界の武蔵監督の名声を傷付けかねない。パスポート申請に協力してくれただけでも、監督とお母さんに従うべきなのだ。

「分かりました。以後、気を付けます」

 半分、自分に言い聞かせるつもりの返事だった。


「今日の撮影は、これで終わりにしよう。初めての海外で、疲労も溜まっていることだろう。帰宅したらゆっくりと休みなさい」

 はい、とだけ言って素直に従った。


 しかし、帰りの車の中でも、バートン監督の家でも、自分の軽率な行動が頭の中を駆け巡った。憑依を武器に、女優としてのキャリアを積んでいこうと、順風満帆じゅんぷうまんぱんに進みつつあった中での初めての大きな失態。武蔵監督や共演者たちの期待を裏切ってしまったに違いない。

 自分の粗相にも落胆したが、あの人物のことはやはり気になった。あの人がお父さんだと仮定して、なぜあの場にいたのか。そして、なぜ逃げたのか。ありえないような仮定かもしれないが、本当にあの人があたしのことを娘だと認識していたのなら、逃げるのではなくて、むしろ自ら駆け寄って、久しぶりの再会を喜ぶのではなかろうか。


『これは運命なの。もし、いまあんたとお父さんが会うことになってしまっては、18年後全人類を破滅に追い込むことになる』

 不意に、パスポート申請前にお母さんから聞いた、常軌を逸したような発言が思い出される。ひょっとしてこれが本当の話で、お父さんもそれを確信しているのだろうか。

 そうであれば、逃げたことは一応の説明はつくことになるが……。とは言いながらも、その事実を裏付けるための客観的証拠が少なすぎるし、確認を取ることも困難を極める。

 唯一、お母さん以外で、その事実を知っているかもしれないのは篁先生だけど、武蔵監督を経由せずにあたしからコンタクトを取ることは、これまた難しい。


 もやもやを抱えながら、今日は眠りに就く。その日の夜はどんなご飯を食べたのか、バートン監督や今村さんたちと何を話したのかすら、思い出せなかった。



 そして、一夜が明ける。

 あたしは不安を抱えていた。何に対する不安なのかうまく表現できない。お父さんと思しき人に邂逅かいこうしたこと、しかし、それによって撮影を中断させお咎めを受けたこと、あの人物がお父さんだとして、逃げた理由が分からないこと、千載一遇の再会のチャンスをなくしてしまったかもしれないこと、いろいろなもやもやが複雑に交錯している。

 現に一睡もできなかった。初日の夜はしっかり寝られたのだから、緊張や時差ボケとは違う。明らかに、前日の動揺を引きずっている。


『ちょっと、お疲れじゃない?』

『はい、すみません』

 メイクアップアーティストは千尋ちゃんではなく、現地アメリカのスタッフだ。イッコー・ウエムラさんの同業者にして親友らしく、メイクの腕は一流だが、サバサバしていてとっつきづらい。しかも、日本人のあたしに対しても全く容赦のない早口の英語だから、話を聞くのにかなり神経を集中させなければならない。いっそ黙っていて欲しいくらいだが、逐一、話しかけてくる人だった。武蔵監督(もしくはバートン監督?)の息がかかっている人かもしれない。すでに粗相をおかしてしまった新米女優のあたしが、メイクさんを無下むげにすることもできない。


『ボストン近辺には、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学、ボストン大学とか、名門大学が多いけど、現に人口の3分の1以上が大学生とか研究者と言われているわ』

『そうなんですか』

 早口だが、辛うじて聞き取りはできる。まさに学園都市だ。世界的規模の名門大学が集まる。改めてレベルの高さを感じる。

 当たり障りのない相槌あいづちでやり過ごそうかと思っていたとき、このメイクアップアーティストから、聞き流すことができないことを言われた。

『ボストン会議場コンベンション展示場エキシビションセンターで世界的な学会も開かれるし、この街で研究者の日常を描いた作品を撮影するのは、運命的なことだと思う。現に、いまその会議場で、国際航空宇宙学会の学術大会が開催されているみたいね』

『え? もう一度言って下さい』

『だから、ボストン会議場&展示場で国際航空宇宙学会の学術大会が開かれているんだって。ひょっとして、「ハーシェルの愁思」のような研究をやっている専門家が、会場に集結しているかもね』

 ということは、NASAにいるはずのお父さんは、ボストンに来ているかもしれないということか。

『その学会って、いつからですか?』

『いつからか分からないけど、おととい会議場の周辺を歩いていたときには、ポスターパネルで案内されてたし、今日もあったわよ』

 ボストンで宇宙の権威や学者が集まる学会。NASAの職員なら当然行くのではなかろうか。

 やはりあの人物はお父さんだったんじゃなかろうか。そんな蓋然性の高さがまさにあだとなった。


 どういうわけか、うまく椎葉美砂が憑依しないのだ。まるで、あたしの中から姿を消してしまったかのように召喚することができない。

 いままで、環境が変わろうが、スタッフや共演者が変わろうが、しっかり憑依してくれた。しかも、昨日まではちゃんと美砂がいたのだ。

 なぜ、急に憑依ができなくなったのか。

 しかし、ゆるぎない心当たりがあった。お父さんが近くにいるんじゃないか。そして、あたしのことに気付いてくれて、どこかで見守っているんじゃないか。

 でもここで憑依してしまうと、お父さんの存在をあたしの中から消してしまいそうで怖かった。お父さんの視界に移りながら、視界に映っているのは閘詞音じゃなくて椎葉美砂である事実を、どうしても是認できなかった。


「どうした、詞音!」

「まさか、憑依できないの!?」

 武蔵監督だけじゃなくて、今村さんにも叱咤される。


「仕方ない。今日はスケジュールを変更し、美砂のいないシーンを撮影しよう」

 何てことだ。ボストンに来てから、全くと言っていいほど、仕事がちゃんとできていない。不甲斐なさと申し訳なさにさいなまれながら、キャシーやモーリッツなどが演じるシーンを見守ることしか今日はできなかった。

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