Side P 35(Moriyasu Agui) 内閣府

 京王けいおう線で、府中駅から新宿駅、それから東京メトロまるうち線で国会議事堂前こっかいぎじどうまえ駅へ。

 独身時代は、それこそ東京都心部にも、プライベートでよく繰り出していたものだが、結婚して子どもができてからは、その回数もめっきり減ったものだ。もう32だし、飲み歩いてはしゃぐこともない。年相応に落ち着いてきた証拠だろうか。


 しかし、今日は、内閣府に行くということで、そんなテンションというよりも緊張感を高めている。

 主に説明するのは、理事長と部門長だから、俺が緊張する必要はないのかもしれないが、それでも地球の将来、詞音の命運が懸かっている。


 国会議事堂前駅で下車すると、目の前に内閣府の建物があった。いちおう、JAXAを所管する省庁の1つだから、一礼でもしておいた方が良いか、などと益体もないことを考えていると、タクシーに乗った理事長と部門長が来た。

「理事長の大月おおつきひろしです」

「第三宇宙技術部門の南雲なぐも宇雄たかおです」

「横浜理科大学の理論宇宙物理学講座で、プロジェクトチームリーダーの時任ときとう光透みつゆきです。よろしくお願いします」

「第三宇宙技術部門技師でプロジェクトチーム副リーダーの安居院守泰です」


 最近ではすっかりJAXAに染まっているが、時任先生は横浜理科大学の協力で派遣されている身だ。うやうやしく挨拶を交わすので、俺自身もつられて挨拶する。

 俺自身、理事長とは直接会うことがまずない。スーツが身体に馴染んだオールバックの威厳のある人物だ。思えば部門長にも、一介の平社員である俺はあまり会うことがない。南雲部門長は禿頭とくとうで小柄な人物だ。


 セキュリティゲートがあるので、受付に声をかける。数分後、秘書らしき人物が足早に降りてきて、案内されるがままに部屋に赴く。

 特別応接室と掲げられた広い部屋に、いかにも高そうな調度品が並べられている。重厚感ある椅子に腰を掛けていると、5分ほどして、テレビでしか観たことのない人物が来た。

 内閣府特命担当大臣だ。名前を空閑くが暁郎あきおと言ったか。眼鏡を掛け、いかにも抜け目のない人物という印象を窺わせる。

 随行しているのは秘書官だろうか。3人くらいいる。JAXAも世間的に見ればお堅いイメージがあり、俺も堅い人間の1人なんだろうが、それに輪をかけてビシッとした人だ。国家公務員の中枢を支えるのだから、キャリア官僚なのだろう。理系一色で生きてきた俺とは、きっと別世界の人物。


 理事長を筆頭に名刺を交換した。俺も、ほとんど交換することのない名刺を、見様見真似、慣れない手付きで交換した。

 大臣以外は、秘書官と、宇宙開発戦略推進事務局長と準天頂衛星システム戦略室長だ。名刺を見るだけで威厳が伝わってくると思うのは俺だけだろうか。


「今日伺ったのは、他でもない、未来への電波送信のための、準天頂衛星システムの利用についてのお願いです」

 俺は説明資料一式を取り出して配付した。 

 理事長は、工学部出身の技術屋として下積みをしてきた人物だと聞いたことがあるので、素人ではもちろんないが、相手(大臣)は政治家なので、宇宙工学や理論物理学には明るくないだろう。そんな相手に、今回のプロジェクトチームの立ち上げの理由から、人工衛星使用の必要性に至るまで、仔細しさいに、しかしながら要点を押さえて分かりやすく説明した。


 俺は、この専門的で素人では複雑怪奇な話を、ちゃんと理解してもらえるか、いや、理解できなくても当該プロジェクトの必要性を分かってもらえるかという懸念があった。一見、まるでファンタジーのような案件。虚構ではないかと一蹴されてしまっては、頓挫してしまう。

 相手は、言葉1つで国のかじを動かしてしまうほど影響力のある人物なのだ。それだけに、今日のミッションは重大任務なのだ。


「よく分かりました。財務省との折衝はお任せください。このプロジェクトを滞りなく進められるよう、補正予算を組みましょう。あと、人材が必要な場合は、可能な限り手配しますので、宇宙開発戦略推進事務局にお申し付けください。できるだけ急いだほうが良いでしょうから、我々も最大限、力になります」

 空閑大臣の力強い返答に安堵した。正直、中央省庁に対する先入観から、もっと難航すると思っていた。

 これだけ、すんなりと聞き入れてもらえたのは、やはり理事長の力と、分かりやすい説明の賜物たまものだろう。

 ひょっとしたら、担当者レベルで事前に調整が行われていたかもしれない。でないと、ここまで早急な決断はできなかっただろう。


 もちろん俺自身も、準備の一端を担っていた人間の1人だが、この一大決断をサポートしてくれた、おそらく数多くの省庁職員に心の中で感謝した。


「おつかれさんです! 時任先生! 安居院さん! 安居院さんのスーツ、見慣れないせいか、似合わないですね」

「ホントー、センセーのスーツ姿。新入社員みたい!」

 研究室に戻ると、プロジェクトチームのメンバーが、軽口のオプション付きで労ってくれた。それが、いまは何かと心地良い。随行者の1人にすぎないのに、疲労が溜まっていた。実験計画を立案したり、計算式を眺めるほうが難解なはずなのに。


「順調に進んでいる。間違いなく、B世界への軌道を大きく外れることなく邁進まいしんしているはずだ。プロジェクトチームのみんな。これからもよろしく頼む」

「はい!」

 一同、もちろん私も含めて、威勢よく返事をした。



 そして、時は流れ、5ヶ月後……。

 準天頂衛星システムを活用した電波の送受信計画は、何百回、いや何千回の試行錯誤を経て、ついにその技術を確立した。C世界の俺からのメールでは、半年という猶予だったので、まさしくギリギリで技術確立を間に合わせたことになる。

 単に、強力な電波を人工衛星間行ったり来たりさせ続けるという、一見生産性のなさそうなプロジェクトだが、確かに未来に電波を送るプロセスなのだ。


 あとは、15年後、その電波を地球上に向かって飛ばせば良い。地球上のアンテナがキャッチし、地球上のパソコンが確かに受信すればいいのだ。

 電波からすれば、光速で移動し続けている以上、その間の時間の経過はなく、地球上にいる我々からすれば、時間は経過しているので、ウラシマ効果で未来への電波の受信が成立する。


 しかしながら、やはりこの技術が最大に真価を発揮できるのは、やはり未来から過去への情報伝達だ。この技術が確立し、正当に使用されれば、我々を脅かす数多の災害、災厄を回避することが叶う。

 そして、未来から実際にメールが送られているという客観的証拠がある以上、理論上だけでなく、現実にその技術が可能であったということだ。ちゃんと正解があるという事実は、大いにやる気を奮い立たせる。

「今度は、過去への送信技術の確立だ。ワームホールの存在も確認しているし、宇宙ヨットのミムジーも順調に飛び続けている。確実にこの世界がB世界に向かうように、このプロジェクトチームでそれを達成したい」

 時任先生の呼びかけは、プロジェクトチームの結束をさらに強くした──と思われた矢先だった。


「時任先生、安居院さん。大月理事長がお呼びです。理事長室に来てくださいとのことです」

 電話を受け取った野口研究員からだった。

「理事長!?」この呼び出しが、俺の人生の大きな分岐点だった。

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