Side P 27(Agui Moriyasu) 皮肉な対偶
舞理は何を言っているのか。
きっと悪い冗談か何かだろうと
舞理は続ける。
「いま、何を言ってるんだ、と思ったでしょ? でも、私、気付いてたんだよ。守泰くんがパラレルワールドの存在を証明しようと思っていること」
「……え?」
驚きと困惑を隠しきれない。どう返答すれば良いのか判断ができないでいる。緘口令が敷かれていて、機密性の高いこの情報を、どのように知り得たのだろうか。
「ゴメン。守泰くんのノートを見ちゃった」
「ノート?」
俺は、アナログなことに、紙に鉛筆で計算式を書いて解を導こうとする習慣がある。ノートは、俺の汚い字で書き殴られていて第三者には読みにくいはずだし、そもそも素人が解読できるような易しい情報ではないはずだが。
「そう。私も元JAXAの職員の端くれだよ。しかも、研究職に憧れていた人間だから、ずぶの素人じゃないの。ノートに書いてあることから、おそらくだけど、将来、地球の存続の危機とも言えるくらい恐ろしいことが起ころうとしている。それを阻止するために、十数年後かの未来に情報を送るプロジェクトを立ち上げてる。でも未来に飛ぶのは、人間ではなく電波だから、ここにいる人間には、十数年後にならないと、このプロジェクトが成功したかどうか分からない。だから、パラレルワールドをいち早く証明しようとしている」
舞理の慧眼に、俺は畏怖すら感じた。寸分違わず、正確に俺の身に起きている状況を把握している。
結婚して6年も経つのに、妻のことをこんなに見くびっていたとは、
「大丈夫よ。きっと機密情報なんでしょ? 誰にも言ってないから安心して」と、さらに俺の胸の内を読むかのように付け加えた。
「あ、ありがとう。お、恐れ入りました」
「でさ、パラレルワールドの分岐点を見つけるんでしょ? 私が見つけた答えが『離婚』なんだよ」
「は?」
まったくもって意味が分からない。このプロジェクトに俺が参画していることが、彼女の
「守泰くんは、頭いいはずなのに自分のことになると驚くほど鈍くなるね。未来から送られたメッセージには、
論理が飛躍しているんじゃないか。しかし、一度深呼吸して冷静になって考えてみると、実は一理あるようにも思える。
『C世界』ならば『夫婦円満』であるという命題が真であるとした場合、『夫婦円満』が『C世界』であるための必要条件となる。よって、『夫婦円満でない』ならば『C世界でない』という
「……マジか」思わず独り言ちていた。
「本当は私だってこんな解決の仕方なんて思い付きたくなかったよ。でも、将来の地球と詞音の命運が懸かってるんでしょ? だったら、綺麗事は言ってられないと思うんだ。残念だけど……」
「でも、夫婦関係を保ちながら、C世……、いや地球の危機を回避する方法がきっとあるはずだ。それを裏付けるため、パラレルワールドの分岐点を探してるんだから──」
「いや、無理でしょ?」即答だった。「だってさ、パラレルワールドを自由に行き来する方法がないんだよ。どうやって証明すんの?」
それはそのとおりだ。現時点で、パラレルワールドに行くどころか、その存在すらきちんと証明されていない。未来の俺から送られた(と思われる)メールという情況証拠しかない。いまの俺たちは、極めて不安定な地盤の上で、プロジェクトを敢行しているのだ。
「だから、いま地球の危機を回避する最も確からしい方法は、未来から送られてきたメールから窺える世界とは違う未来を無理矢理創り出すこと。離婚しないとしたら、詞音か私か守泰の誰かが死ぬしか、方法を思い付けない」
「……そんな物騒な!」
論理としては筋は通っているかもしれないが、仮定であっても急に家族の誰かが死ぬなんて言われて、動揺しないわけがない。
「もちろん、ここで死ぬわけにはいかないから、最も傷口が小さいのは私たちが離婚すること。こう言えば諦めがつくでしょ?」
「……」
ものすごいロジックだ。離婚するための理由として、ここまで殊勝で大義名分に溢れるものは他にあるだろうか。一方で、舞理が俺に愛想を尽かしている、もっと言えば、浮気をしているのを隠したいがあまり、こんなことを言い出しているのではないか、とも勘繰ってしまう。
「ひょっとして、私が守泰のこと嫌いになったんじゃないかと疑ってるでしょ?」
図星である。「大丈夫。それだけは断じてないよ。私は想いを伝えるのが下手くそだから、伝わりづらいけど、守泰と付き合ってからずっとあなたに一途なんだから。たぶん離婚しても好きで居続けると思う」
そう言うと、今度は舞理の瞳が
「私だって、離婚なんて
感極まったか、涙が舞理の頬を伝った。こんなとき、俺はどう返答すべきなのか、最適解など思い付くはずがない。
「……抱いて。思いっきり。せめて最後は、いい想い出に浸らせて……」
徐ろに、舞理の浴衣がはだけ始めた。詞音を産んだ後とは思えないほど、神秘的で艶やかで美しい肢体を惜しげもなく見せつけた。舞理の瞳は涙で潤んでいて、それがかえって妖艶さを増していた。
俺は動揺のせいか頭が整理できずにいると、異議は唱えさせないと言わんばかりに、唇で俺の唇を塞いだ。久しぶりに味わう唇の柔らかさで、俺の微かに抵抗する力すら奪われていく。
突然の離婚を宣告され、久しぶりにして最後の情事は、いままで味わったこともないほどの快楽と虚無感を俺にもたらした。何とも複雑な感覚だった。
†
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