Side F 26(Fumine Hinokuchi) 監督の追及

 武蔵監督に何か隠していることを追及された瞬間、どっぷりと冷や汗が出たような感覚がした。

 図星だ。どうしようか、あたしは困惑した。正直に打ち明けたいのはやまやまだ。しかし、一部とはいえ舞台芸術科の人間に知られていて、脅しの材料に使われている。そんなことを知ったら、今村さんの言うとおり、あたしたちは千載一遇のチャンスを失うかもしれない。


 しかし、世界に名を轟かす監督の炯眼けいがんを前に、誤魔化したり隠し通したりする自信はない。女優を目指し、その才能は認められていると思うが、キャラクターを憑依させて演技するあたしは、即興で演技して相手を欺くことなんてしたことないし、できる気がしない。


「すみません。具合が悪かったのは事実です……」

 嘘は言っていない。精神的な不調だ。

「そうか……。君らしくないな。休むか?」

「──はい」


 ここにはちょっとした控室がある。横になれるスペースはないが、椅子はある。なぜか、武蔵監督までここについてきた。隠しごとを看破されそうで、本心としては、いまはここにいて欲しくなかった。

「座りなさい」

 監督に促されるままに、椅子にかける。座った瞬間、どっと疲れが全身を襲った。精神の不調は、肉体的にも困憊こんぱいさせていたのだろう。


「詞音。かなり気負っているようだね。表情や動きが固いようだ」

 何もかもお見通しのようだ。その自覚はあるだけに辛い。

「すみません」

「これだけ、心身ともに固さが見られて、君の専売特許とも言える『憑依』が、これでは上手くいかないのではないかと憂慮している」

 実際、脅迫状を目にしてから、練習どころじゃなくなった。

「僕の映画に出るのは、君にとって重荷かい?」

 言われた瞬間、頭が真っ白になった。監督は、気を遣って言ってくれているのだろうが、引導を渡された気分だ。

「いいえ!」

 顔をブンブンと横に振って必死に否定する。デビュー作が名監督の手掛ける篁作品のヒロイン。これ以上の巡り合わせはないと言っても過言ではないほどの僥倖ぎょうこうなのだ。

「それならいいんだが」


 胸を撫で下ろした。が、それも束の間だった。

「じゃあ、余計に気になるな。今日は何で、動きが固かったのかな。肉体的な疲れというよりも、メンタルに起因して具合が悪いように見える。理由を教えてくれないか。監督と出演者の信頼関係は、いい作品を創り上げるためには不可欠だと僕は思ってる」


 言わねばならないのか。でも、姑息な理由で取り繕えるような相手ではない。

 あたしはとうとう観念した。


「……あ、あたしと今村さんが、監督の作品に出演すること、いまのところ秘密になっていますが、か、仮に、何かしらの理由で、外に漏れてしまったらどうします?」

 言ってしまった。聞いてしまった。もうあとには引き返せない。今村さんにゴメンと心の中で何度も謝罪した。


 しばしの沈黙。それは15秒くらいのものだったと思うが、この瞬間だけはまるでブラックホールに身を置いているかのごとく、長く、そして重苦しく感じられる。

 武蔵監督はどんな表情をしているのだろうか。恐ろしくて、直視できない。

 沈黙で窒息しそうになったとき、とうとう監督は口を開いた。

「……脅されているんだね」

 何を言っているのか即座に状況が理解できなかった。この監督は、すべてを達観しているというのか。武蔵監督は続ける。

 

間々まま、あることだ。華やかな世界に羽ばたこうとしている人間にとって、舞台芸術科ではなく普通科の、しかも最近来たばかりの一年生に出し抜かれようとしているんだ。ただでさえ目立つし、先輩にとっては鼻持ちならない存在だ。何か欠点や強請ゆすれるような秘密がないかと探りを入れられることも、この世界じゃ不思議じゃない」

 どう反応したらいいか分からない。察してくれているのは嬉しいことだが、それを受けて、どういった審判を下すのか、あたしたちへの処分はどうなるのか気が気でない。


「……す、すみません」

 やっと絞り出した言葉は、凡庸な謝罪だった。そして、暗に、脅迫されていたことを認める言葉だった。

「謝ることじゃない。謝るべきは、強請ってきた人間であって、もっと言えば、他の人間に分かるような形で君たちに接してしまった僕の配慮の無さを謝罪すべきだ」

「あ、あたしたちはどうなるんでしょうか?」

「どうなるって?」

「映画出演のお話は、なかったことになるんでしょうか?」

 ついにいちばん気がかりなことを聞いた。

「そんなことあるわけないよ。僕は、この映画にどうしても君たちを抜擢したいんだ」

「本当ですか?」

「実は、さっき、リハ室のグランドピアノの中に封筒を入れた今村さんを見かけた。どう考えても怪しいじゃないか。ひょっとして、と思って、覗いたら、高校生にはありえない額のお金が入っていたから、回収したんだ。これは後で、彼女に返しておく。そんなことする必要ないってさ」

 ようやく霧が晴れたような気分だ。冗談ではなく、監督が神様に見えた。でも、秘密は漏らされてしまうかもしれない。それも、元はあたしたちの会話を聞かれてしまったことによって。

「秘密なんて、漏れたら漏れたで構わない。SNSで拡散したければ、させときゃいい。どうせ非公式な情報なんだから、根拠のない噂は、ほとぼりが冷めりゃそのうち消えていくもんさ」

 武蔵監督は、こんなことじゃ動揺しないらしい。さっきまで、くよくよしていたことが、すごくちっぽけな悩みに思えてきた。


ねたみを買うというのは、それくらい君たちの演技が本物だという裏付けだ。どーんと大きく構えてなさい。そして、絶対お金を差し出しちゃダメだ。悪におもねって、君たちの夢や志が歪んでいくことのほうが問題なんだ。しっかり演技を磨いて、最高のデビュー作にしよう!」

「はいっ!」

 やっと、あたしは監督を直視することができた。武蔵監督に感謝し、このような人格者に出会えた運命にも心から感謝した。



 その後、無事に20万円は今村さんのもとに戻った。何で20万円を武蔵監督が回収したのか、何で武蔵監督が脅されていることを知っているのか、訳が分からない今村さんはひどく動揺し、あたしを追及しようとしたが、武蔵監督が事情を説明してくれたおかげで、ようやく理解してくれた。何と言っても、この件で映画出演の話がおじゃんになることがないと分かり、安堵あんどしたようだ。


 そして、内々に顧問の北原先生の耳に入り、一連の事件の調査が行われた。実は武蔵監督は、リハーサル室のグランドピアノの響板の中を覗いた部員をチェックしていた。その部員は、舞台芸術科の一年生の渡邉わたなべさんで、上下関係の厳しい舞台芸術科において、先輩に従順な使いっ走りとしてこき使われている。今回も深い事情を知らずに、受け子役として利用されたが、北原先生と武蔵監督から、封筒に20万円が入っていたことを聞かされ、誰の指示なのかと問いただされたら、隠し通すことはできない。


 すぐに、黒幕の人物は明らかになった。案の定、あたしと今村さんのことをよく思っていない先輩ら3名であることが分かり、停学ないし訓告処分となった。渡邉さんは、本当に深い事情を知らされていなかったらしく、注意を受けただけにとどまった。



「じゃあ、心を入れ替えて、練習に励もう」

 幸か不幸か、今回の一件で、少なくとも舞台芸術科の生徒には、あたしと今村さんが、武蔵監督のオファーを受けていることを知るところとなった。これで心置きなく『ハーシェルの愁思』の練習に打ち込めることになった。


 8月、夏休みも真っ盛りのある日。あたしたちは、武蔵監督に呼ばれて、指示された施設に赴いた。その施設とは、何とJAXA。府中ふちゅう航空宇宙センターという、JAXAの研究施設だ。

「今日は、君たちに会ってもらいたい人がいるんだ」

 JAXAというだけで、いち女子高校生にとってめちゃめちゃ敷居が高いのに、武蔵監督が会わせたい人と会うだなんて、緊張を隠せない。ある会議室らしき部屋の一室で、深呼吸しながら待機する。

 しかし、心の準備をする暇もなく、その人物は扉を開けて入ってきた。


「あ、どーも。こんにちは。『ハーシェルの愁思』の原作者のたかむら未来みらいと言います」

 白髪の少し交じったやや長めの髪に口髭、眼鏡をかけて黒いTシャツを着たその人物は、日本を代表する人気作家というオーラはあまり感じさせなかったが、あたしは嬉しさのあまり感極まって泣きそうになった。

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