Side P 22(Agui Moriyasu) 絶望

「まじか!」大きな声で邨瀬は驚く。ここがカラオケの部屋で良かった。

「ああ、2060年ってことは俺らは還暦くらいだから、普通ならまだ生きている年だ。当然、舞理や詞音もな」

「ところでさ、いまさらなんだが、送られてきた文字化けメールはこれだけか?」

 邨瀬の指摘で思い出した。他にもいくらかメールを受信していた。文字化けのテキストデータだったので、記憶から消えかかってしまっていた。

「そう言えばもういくらか受信していた」

「それ、早く言ってくれよ」邨瀬は珍しく俺に突っ込みを入れた。しかし、忙しいと分かっている邨瀬にすべて解析してくれというのも、気が引ける。そんな胸の内を読むかのように邨瀬は言った。「全部解読させてくれんか。もちろん口外しないから」

「分かった。忙しくないのか?」

「忙しいけど、将来の地球の、世界の命運が懸かってんだろ!?」

 正直、ここまで肩入れしてくれる邨瀬が意外だった。未来の俺が言っていることが正しければ、やるべき目標は決まっている。

「分かった。転送する」

 ちょうどそのときだった。俺がテーブルに開いていたノートPCにメール受信の通知が来た。未来の俺からのテキストメール。文字化けしていたのですぐ分かる。俺はポータブルWi-Fiを持ってきていて、それを繋いでいるので、セキュアな大学のメールもこの場で受信できるのだ。


 『螽倥′豁サ繧薙□縲よ掠縺城?シ繧?』いつもと違って短い。

「見せてくれるか?」邨瀬が乗り出してきた。


「『娘が死んだ。早く頼む』──だそうだ……」


 邨瀬が文字化けの文を、見ただけで読めたことも大いに驚いたが、内容はそれ以上に胸に突き刺さるものだった。


 どうやら、最初のメールで言われていた俺の大切な女性とは、娘であることがはっきりした。最初のメールを受信してから6年ほどが経過。そのときは2052年と言っているわけだから、いまのメールは2058年に送られていることになる。2060年に地球に彗星衝突ディープインパクトが起ころうとしている。それより早く詞音が命を落としてしまったというのか。現に、送り主である未来の俺は生きているわけだし。

「どういうわけか、娘さんの死因は、地球消滅が直接の原因じゃないみたいだな」

 邨瀬も同じところが引っ掛かったようだ。でもなぜ? いつ亡くなった? まったく分からない。将来のことであっても、娘が30歳くらいという若さで死んだと聞いて穏やかでいられるわけがない。邨瀬が続けた。

「ひょっとして、いままでポアンカレくんがスルーしてしまった文字化けメールに、答えが書いてあるかもしれないな」


 ひとまずそのメールはすべて邨瀬に転送して、別れた。メールを消去していなかったのが不幸中の幸いだったが、もっと早く邨瀬に相談しておけばと本気で悔やまれる。


 何と、邨瀬は連載中の小説を、二週間ほど休載するらしい。メールの解読に全力を注ぐのだろう。つくづく申し訳ないことをしたと思う。

 このことは、到底俺ひとりで背負いきれるものでなく、時任先生に伝えようと思っている。いままで放置していたツケが回ってきた。とにかく指定された未来にメールを転送しなければならない。


 帰宅後、詞音に「遊ぼ」とせがまれるも、ショックでどうすることもなかった。何せ、30前後でこの子は死んでしまうのだ。本当はぎゅっと強く抱擁してやりたいのに、それ以上の強い憂鬱が、その気力さえも奪ってしまっていた。

「パパどうしたの?」

「ああ、ごめん。何でもないさ」

 俺の異変は舞理にも悟られてしまった。育児うつからなかなか脱出できないでいる舞理に心配されるとは、俺も夫/父親失格だなと自嘲した。

 間違っても、メールの内容を舞理に知られてはいけない。俺自身、この衝撃と重圧に耐え切れずに押し潰されそうになっているのだから。


 翌日、時任先生に研究の合間に時間を作ってもらった。一時間ほどのまとまった時間を。JAXAに就職してから横浜理科大学に行くことも少なくなっていた。先生と会って話すのも久しぶりのことになる。

 他人に聞かれたくない内容だと言うと、わざわざ時任先生は大学のセミナー室を手配してくれた。

「珍しいね。ポアンカレくんが畏まって、そんなことを言ってくるなんて」

「急にすみません」と前置きして、改めて大学院生時代に謎のメールを受け取ったことを話し、それから文字化けしたメールの内容を話した。その間余計な口を挟まずに、ただ時任先生はじっと顛末を聞いてくれた。何でもっと早く相談しなかったんだと、おとがめを喰らうやもしれないと覚悟していたが、一切そんな発言もなく。

「なるほどな。やはり未来から送られたメールだったんだな。しかも、ポアンカレくんがその道の第一人者として活躍している、という事実も聞けて本当なら喜んでいいはずの内容だけど、それ以外の内容が重すぎる」

「すみません」俺は再度謝った。

「謝ることじゃないさ。とにかく、地球消滅規模の危機を回避するためには、指定された時間にメールを転送することなんだな。目標が明確で何よりだが、悠長にしていられるわけではない」

 意外だった。時任先生がすんなりと内容を鵜吞みにするなんて。科学者だから、多少なり懐疑的な目で見るかと思ったのだが。

「先生、信じるのですね」

「僕は信じるさ」言下に答えた。「未来のポアンカレくんといっても、僕の教え子には変わらない。教え子を信じない先生にはなりたくない。特に他ならぬ君のことだからね。さあ、未来の君に計算式を伝えて、地球を守ろうじゃないか」

「ありがとうございます」素直に礼を言った。


 すると、待ち構えたかのようにスマートフォンが振動した。邨瀬からの電話である。時任先生に一言断ってから電話を取る。「もしもし」

『急に悪いな。まだすべてを解読したわけじゃないけど、大事そうなところから伝える。あとに、指定された時間に転送しなければならないようだ』

「嘘だろ!」

 俺は時任先生がいることも忘れて大きな声を出してしまった。

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