Side F 19(Fumine Hinokuchi) 高校入学
今村さんとあたしは、今や部活の二大巨頭的な存在になっていたので、そのまま水前寺高校に進まないと聞いた部のメンバーにとっては衝撃が大きかったようだ。
ただあたしと違うのは、今村さんは部活を休まなかったことだ。9月の学園祭にも出ると言っていたし、3月の地方大会にもできれば出たいと言っていた。そんな暇あるの、と問いたかったが、それは前部長としての義理堅さがあったようだ。
今村さんがその後すごいと思ったのは、見事部活と受験勉強を両立させていたこと。中・高一貫だと気持ちが緩んで、成績が下降する生徒もいる中で、今村さんはどの科目も100点近く取っていた。あたしも概ねそれに近い点数を取ってはいたが、負けることもしばしばあった。それでも3位以下になることはなかった。今村さんとあたしが、3位以下を大きく突き放していたのだ。
そんな甲斐あってか、2月の受験まで好調をキープし続け、約15倍ともいう狭き門を、お互いに突破した。
熊本から揃って、演劇をやるために上京したのに、なぜか普通科に入学する。あとになって知ることになるが、水道橋高校にとってはちょっとした
演劇部の生徒たちは祝福ムード半分、今村さんとあたしがいなくなることをかなり残念がっているようだった。
3月にある地方大会。今村さんは中学3年間の演劇の集大成を魅せた。あたしは初めて、客席から彼/彼女らの演技を観た。演目は『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』ではなかったが、今村さんは見事ヒロインを演じていて、その演技力の高さに改めて舌を巻いた。高貴で美しい淑女の役。中学生には荷が重いような気がしたが、それでも見事に演じきっていた。悪いが、今村さん以外の誰がこの役を演じても、今村さんには及ばないような気がしていた。
その演技が光ってか、水前寺高校は二年連続で全国行きの切符を手に入れる。正直、今村さんが抜けて、同じクオリティーを保てるのか。後任のヒロインにはかなりの重圧がかかること必至だろうが、残念ながらそこまで気に懸ける余裕はあたしにはあまりなかった。
水道橋高校入学、入寮のための準備に日々追われながら、水前寺中学を卒業した。
†
水前寺中学から水道橋高校へ。
そして、そこには今村さんまで来ている。つい1年前には想像もしなかったことだ。
入学するや否や、東京での寮生活、ハイレベルな授業、加えて部活動では舞台芸術科の人間に交じって、劇の練習を夜まで重ねた。
知らない土地、知らない生徒、そしてはじめての寮生活。すべてがイレギュラーだった。正直1人では心が折れそうだったが、
それでも、あくまであたしと今村さんは普通科の人間。カリキュラムにバレエや日本舞踊や音声表現が組み込まれているわけではない。ただの演劇部員なのだ。舞台芸術科の生徒と比べれば不利である。
演劇部の多くは舞台芸術科の生徒で占められる中、ごく少数の普通科で何とか存在感を出したいと
今村さんは本当に強い人だ。水前寺のときよりも数段もハイレベルな授業にもついていくどころか、イニシアチブを取るくらいに好成績を収めている。それでいて劇の練習は微塵も手を抜くことをしない。持ち前の美貌もあって、既に舞台芸術科の三年生に匹敵するほどの演技力、表現力、存在感を獲得しているようだった。
「もたもたすると、あんたに抜かれるから、私だって必死なんだよ」
今村さんはそう言った。今村さんの性格から社交辞令ではないとは思うが、買い被りと断言できるくらい、いまのあたしは今村さんを脅かす存在にはなれていないだろう。
ただ、劇をやる上で幸運だったことがある。あたしには演技力以外にもう二つ、ありがたい才能があったのだ。
一つめは歌唱力。カラオケに行く趣味は昔からあまりなかったが、幼少期、家族で行ったときにかなり褒められた覚えがある。それが幸いにもいまに至るまで維持されているようだ。
二つめは柔軟性。お母さんは勉強ばかりさせてきたが、勉強時の姿勢にも厳しかった。猫背など姿勢が悪くならないように、ストレッチをさせられてきた。もともと柔らかかったのもあるが、日頃の努力もあって大してスポーツをやってこなかったあたしでも180度開脚やY字バランスはできる。
ありがたいことに、これらは舞台芸術科の生徒にとっては必要な要素らしい。今村さんは、バレエや音楽教室でそれらを培ってきたからか、しっかり備わっているが、あたしも
舞台芸術科の生徒は、そんなあたしたちを歓迎しなかった。というか、
先輩は、威信にかけて、売られた喧嘩を買わないわけにはいかない。ある劇の一節の演技をあたしに命じた。そして勝負しよう、と。
このくだりは、2年前のあたしがはじめて水前寺中学の演劇部に入ろうとしたときと一緒だ。でもあのときは宮本先輩に勧誘されて渋々だったが、今回は違う。
「分かりました」と言いながら、「脚本を最初から最後まで精読するので明日以降にして欲しいです」と注文を付けた。キャラクター像をあたしの中に築き上げるためだ。
即興での演技の勝負を目論んでいたのか、何でそんなことをするのか、舞台芸術科の生徒たちは疑問に感じていたかもしれない。でも、ただ感情を込めてセリフを言うのが劇ではない。物語の背景、登場人物のキャラクター、もし現実にこの世界が再現されたら、彼/彼女らはどう振る舞うのか、ということを想像しながら、自分という出力媒体を通じて具現化するのが劇だ、という明確な持論を有していた。
そんなあたしの哲学に、舞台芸術科の先輩は理解しようとしなかったが、いざ演じてみると、先輩たちには悪いが、彼女たちの演技は軽薄に見えた。
「相変わらず素晴らしい演技だね、詞音」
演じ終えたあと不意に聞こえて来た渋い声は、武藤監督だった。監督は名誉アドバイザーであり、ちょくちょく演劇部の練習も見に来ている。間違いなく忙しいはずだが、時間があればこうやって来てくれて、アドバイスをくれるのは栄誉なことだ。
どうもずっと演技を観ていたらしい。監督の言葉で白黒はついた。先輩は悔しさをぐっと堪えている。
「あとでいいかな?」
監督はこっそりあたしに声をかけた。あたしは頷くと、いっそう妬みの視線を感じた。
部長にも一言言って練習を抜け、指定された別室に行くと、そこには今村さんもいた。
「ちょっと気が早いかもしれないが、芸名を考えないか?」
「げ、芸め──!?」
「シー!」
監督は人差し指を口元に立てて静粛を求めるポースをした。
武蔵監督は声のトーンを落として続ける。
「
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