Side P 19(Agui Moriyasu) メールの真意1
一週間ほどして、相変わらず研究と育児に忙殺されていた俺にメールが来た。邨瀬からだった。
邨瀬とはこの間会って飲んだあと、言われるがままメールを送った。大学生時代に受信した謎のメールだ。本当ならば容量を食うので早めに破棄すべきなのだが、あまりにも謎めいていたので、破棄せずにいまもずっととってあった。
邨瀬は文字化けの部分だけを送って欲しいと言ってきた。お求めのとおり文字化け部分をコピー&ペーストして、彼に送ったのだが、ほんの一週間前なのに俺は忙しすぎて、そのことすらすっかり忘れてしまっていた。
『悪い、また会えないか?』
メール本文にはそう書いてあった。これだけでは何の件か分からないが、文字化けメールの転送に返信する形で送られてきたので、きっとその件だということは察知できた。
今度は居酒屋ではない。居酒屋を指定してこなかったのだ。学生時代から俺と
「どうしたんだ? 焦ってるようで、珍しいな」
「思ったより事態が深刻のようでな」
売れっ子作家の仲間入りを果たした邨瀬は、連載中の小説もあるという。少年ジャ◯プの漫画家と同じように、期限に追われて結構焦ると言っていた。そんな邨瀬が、メールや電話ではなく、間を置かずに俺と会いたいと言って来たのだから、真剣さが窺える。
俺は唾をごくりと呑んだ。
「で、呼び出したのは、例のあれか?」
「そうだ。あれの件だ」
あれとは言わずもがなだ。邨瀬は続ける。
「まず、執筆の片手間で、文字化けの解読をやってたから、時間がかかって悪かった」
「悪くないさ。だって、急いで欲しいなんて言ってなかったし」
「そうだな」
邨瀬にしては珍しい。言葉を選んでいるようにも見える。
「何て書いてあったんだ?」
「その前に一つ約束して欲しい。いまから解読内容を紙に書いたのでそれを見せる。黙って呼んでくれ。そして、驚く内容が書いてあるけど、決して驚かないでくれ。少なくとも声を出さないでくれ」
「分かった」
約束事が一つではないような気がしたが、黙っておいた。
邨瀬が、リュックから紙を取り出した。
『件名:【必読】怪しいメールではありません! 捨てずに必ず読んで下さい!』
のっけから、怪しさがプンプンと匂い立つ見出しで面喰らった。逆にスパムだと思って捨ててしまいそうだ。本文に移る。
『前略、31年前の俺へ。
このメールは、計算上、あなたが見ている31年と3か月15日未来から送信しています。その頃と言えば、まだ自分が大学生の頃だったから、こんなことを書いても絵空事にしか思わないだろうけど、この31年もの間に、ワームホールを使って過去に向かってメールを送信する技術が確立された。その技術を使って、2052年の世界からメールを送っています』
やはり、あのメールは未来からのメールだったのだ。技術が確立されていることが裏付けられたことになる。
『さて、本題ですが、このメールを送っていることは、誰にも言わないで下さい。本来は倫理上、過去へのメール送信は厳しい倫理審査が必要で、このように私的な送信は違法です。このメールは倫理審査を通していませんが、敢えて禁断のスイッチに手をかけました。こちらの切迫した状況を察して下さい』
既にこのメールのことを邨瀬に話している。時任先生にも話したような気がする。もはや俺は、未来の自分との約束を破ってしまっている。しかし、文字化けしている以上、不可抗力だと心の中で言い訳をする。
『何でこんな身の危険を冒してまで送っているかと言うと、やって欲しいことがあるからです。またひょっとして知りたくもない未来のことを無理やり知らされるかもしれないので、不快に思うかもしれないけど、背に腹は代えられない状況だ。助けて欲しい』
本題と言っておきながら、なかなか本題に入らない。敬体と常体が混在している。未来の俺はこんなに回りくどくなっているのか、単に思考がまとまっていないだけなのか。
『やって欲しいことは、言われたとおりのメールを、2046~2048年の俺に送って欲しい。それだけだ。そのメールは後ほどメールで送る』
簡単なことのように言っているが、相当難しいことである。
「お前さんは、そのメールは受け取ってるか?」
邨瀬は俺に問う。古い記憶を
「確かあった」
「中身は?」
「分からん。文字化けしてた」
文字化けデータを解読しようと、そのときは殊勝な心意気もなかったので、俺自身気にも留めていなかった。
「念のため、俺に解読させてもらえないか」
俺は首肯した。ひょっとしたら超がつくほどの機密事項かもしれないが、俺が手元に置いておいても始まらない。信用のおける邨瀬に読んでもらうのが得策と考えた。
メールの本文はまだまだ続きがある。
『ちなみに、動画データが添付してある。未来に作成された映画だ。容量の都合上分割して送っているが、できれば観て欲しい。貴殿はきっとそれに出ている主演女優に惚れることになる』
「何だこれは?」邨瀬は首を
俺は少し恥ずかしくなった。図星なのだ。俺は確かに映画“Herschel’s melancholy”の彼女に恋をした。人生で初めての一目惚れだった。その後、彼女の見目麗しい容姿が頭から離れなかった。映画の彼女によく似た舞理と逢ったのは運命かと思った。吸い寄せられるようにアプローチし、結婚することになった。
『その女性は、パラドックス回避の都合上多くは言えないが、私に深く関係している女性だ。つまりこのメールが届いている頃の私は、これから出会う人間ということになるが、とても大切な人物だ。その彼女は、結論から言うと、あと8年少々もの間に確実に死を選ばされる運命にある。でもいまから遡って31年の猶予があると思っている。つまり貴殿が私の言うとおりにすれば、その彼女の命も、こちらの切迫した状況も確実に回避されます』
非常に重い文章だ。未来の俺が住んでいる世界で、あの映画の人物が命の危険にさらされているということだ。詳細は分からないが、『SHION KADOKAWA』という人物と関わりを持ち、彼女を救えるかどうかはこの俺の手に懸かっているというのだ。
いまは2029年。すでに7年半くらい放置してしまったことになる。果たして大丈夫なのだろうか。
「なるほどな。でも、未来のお前さんが過去にメールを送るのであれば、直接2046~2048年のお前さんにメールを送りゃいいのに、と俺は思うんだが」
邨瀬は言った。事情をよく知らない人間が聞いたら、そう思うのは妥当だろう。
「それはな、いまのところ発見できているワームホールは1個だけなんだけど、こいつの入口と出口では約36年の時間差があることが分かっている。ワームホールまでの距離は約2.5光年だから、往復で5光年。光速で電波を飛ばして、差し引き約31年のタイムラグが生まれる。過去にメールを送ると言っても、この固定された時間差の過去しか送れないことになってるんだ」
「ほう。だから、一旦過去に送ってから、未来に送るわけだな。未来は任意で時間を指定できるのか」邨瀬は思った以上に真剣な眼差しで俺を見てくる。
「理論上は、光速で電波を飛ばす距離を長くすればいい話だから、任意で指定はできる。しかし、いま成功しているのは、エッジワース・カイパーベルト天体くらいの距離を往復させるのがやっとだ。何光年もの距離を往復させるなんて……」
すると邨瀬から意外な答えが返ってきた。
「素人考えかもしれんけど、俺はできると思うよ。比較的簡単な方法で」
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