Side F 12(Fumine Hinokuchi) 疑心暗鬼

 事件の前日、あたしは最初に頭に描いた『ヒパティア』像を再現するために、メイク道具を千尋ちゃんと探し求めていた。と言うのも、千尋ちゃんのメイクは完璧すぎる。あたしのような没個性的ぼつこせいてきなルックスでも、シンデレラに変えてしまう。今村さんのように最初から綺麗な人に至っては、造形のように美しくさせるまさしくだ。でも、あたしの描いた『ヒパティア』は完璧ではない。人造人間アンドロイドと言っても、どこか粗雑での稚拙なのだ。だから独りぼっちで小惑星に取り残されたときに、アンドロイドなのに気が触れたように狂ったり泣き叫んだりする。だからもっと化粧も洗練されていないほうが良い。あたしから珍しくそう提案し、千尋ちゃんも他の部員も賛同してくれた。しかし、ちょうどあたしの『ヒパティア』に近付けるための化粧品を切らしていた。だからその日は少しだけ早く部活を終えて、その化粧品を買い出しに行ったのだ。千尋ちゃんは部費でファンデーションや乳液を数点購入する。


 そして事件当日、初めてのそのメイクをさっそく試そうと、自前の濡れたおしぼりで顔の汚れを拭った。いつもと違い少しヒリヒリした感覚を抱えながらも、いつも通り千尋ちゃんにメイクを頼んだ。そしてその10分くらいたったところだった。あたしは異変に気付いてがらにもなく叫んだ。

「な、何で!!?」

「どうした!?」

 部員は当然ながらあたしの方を見る。

 あたしは顔の痛みに気付いて鏡を見ると、顔が見事に紅くかぶれてしまっていた。

「化粧品が合わなかったの?」

 女子部員の誰かがそう言った。まさかアレルギー反応を起こしてしまったのか。

 確かにあたしは肌が強い方ではない。晴れているときにちょっと日に当たっただけで皮膚が紅く、痒くなる。普段、メイクらしいメイクを自分でしないので、化粧品で顔がかぶれる可能性がごっそり頭から抜け落ちていた。奇跡的に今まではかぶれなかっただけで、たまたま昨日買った化粧品があたしの皮膚に合わなかったと言うのか。それにしてもこの荒れ様は酷い。

「そ、そんな……」戦慄わなないているのは千尋ちゃんだ。「何で? そんなはずないのに……」

「そんなこと言って、園田さん、それを狙ってたんじゃない?」部員の誰かが言う。

「そんなわけない! こ、これは今村ちゃんが使ってるのと成分はほとんど同じなんだから。あたし、狙ってなんかない! 信じて!!」

 いつも明るい千尋ちゃんが、泣きそうな顔になって訴えている。千尋ちゃんには、あたしの肌が弱いことを伝えていない。故意でやったとは思いたくないが、現にあたしの顔は真っ赤である。そしてだんだん痛くなってきた。なぜか両てのひらまで痛い。


 遅れて部室にやって来た宮本部長は、騒動に気付いた。

「ど、どうした? な、閘さん、顔が……! と、とにかく早く水で洗おう。中村なかむらくん、おけに水汲んで来て!」

「部長! 園田さんが用意したメイクが原因のようです!」

 またどこか悪意をはらんだ状況報告。いじめられっ子の肩を持つ千尋ちゃんにまで、精神的な危害を加えようとしようとするのか。

 しかし、とにかく顔がピリピリ痛い。明らかに自然に起こる痛みのレベルではない。顔の赤みといい、確実に何か原因がある。せないことに掌まで痛い。そこではっと気付いた。

「閘さん、掌まで真っ赤だぞ! 痛いのか?」

 宮本部長がいち早くあたしの手の異状を察した。あたしは「はい」と小さく頷くと、宮本部長は言った。

「これは、化粧品が原因じゃないと思う」と言った。そして続けて「閘さん、いつもおしぼりを使ってなかったか? 見せてくれ」

 あたしも気付いた。顔だけでなく掌も痛くなると言えば、化粧品と言うよりも化粧前に使ったおしぼりに原因があるだろう。

 すると、一年生部員が桶に水を汲んで来てくれたので、まずは洗い流した。すぐに痛みが消えるわけではないが、冷水のおかげで少しすっきりする。

 宮本部長はおしぼりを触って、少し様子を見て言った。

「石灰水が混ぜられているかもしれない。俺も触った指が痒くなった」

 石灰水? 私は心の中で反復した。石灰水は確かにかぶれの原因になる。そして学校でも手に入る化学薬品だ。

 石灰水に浸されたおしぼりで顔を拭えば、どうなるか想像に難くない。劇本番の1週間前にあたしと千尋ちゃんを狙った悪質な仕打ち。腹が立つのを通り越して無性に悲しくなってきた。こんな顔では『ヒパティア』どころではない。

「誰がやった!?」

 部長は石灰水が原因と断定し、犯人が名乗り出るのを待っている。しかし、誰も名乗り出ようとしない。

「今村さんじゃないと?」誰かが小さな声で言った。

「私じゃない! あたしは『ヒパティア』役を閘さんに委ねたんよ!」

「でも、一年生のとき、閘さんをいじめてたじゃない?」

「私じゃない!」

 完全に部の雰囲気が疑心暗鬼で満たされている。これでは練習どころじゃない。当然このままじゃ本番で良い演技ができるはずもない。

 あたしは顔の痛みをこらえて、努めて作り笑顔をして言った。

「石灰水じゃないです。これ。あたしが自分で持って来た化粧水のせいだと思います。昨日ついでに自分用で買ったんです!」

「は?」

 部員の誰もが素頓狂な声を出した。

「すみません。あたしの皮膚がかぶれやすいだけに。申し訳ないけど、『ヒパティア』は今村さんに、ソフィア研究員は一年生の緒方おがたさんにお願いします」

「ええ?」緒方さんは今村さんの役を貰ったことになり、動揺している。

 とにかく部の雰囲気を良くしなくては。あたしは化粧水を買っていないし、宮本部長の見解どおり悪意のある誰かにおしぼりを細工されたと思っている。犯人は憎いが、劇をボロボロにされてはそれこそ犯人の思うつぼではないか。そう考えると、実は部員の中に犯人がいるとは限らない。


「待って!」今村さんが叫ぶように言った。「やっぱり顔が治るのを祈って『ヒパティア』は閘さんでいけないかな」

 今村さんには珍しく懇願するような物言いだ。

「どうだ?」と宮本部長。あたしに聞いているのだろうか? しかし、ばちゃばちゃ顔を洗っていて、顔を上げられる状況じゃない。

「メイクは顔の赤みは隠せると思うけど、皮膚には良くないです」と千尋ちゃんが言う。

「頼むから、あんたに『ヒパティア』をお願いしたいの!」今村さんが懇願している。真剣さから彼女が演技していると思えないし、ゆえに犯人とも思えない。

 あたしは急いで清潔なタオルで顔を拭いて言った。

「わ、分かりました。顔が紅いのは『ヒパティア』の未熟さと人間臭さを表現するのにちょうどいいかもしれませんね」

 我ながら偉そうなことを言ってみせたと思う。犯人がたとえ見つからなくても、完璧な演劇で見返してやる。それが報復だと言わんばかりに。

 そう考えると、顔と掌の痛みも、勲章のような妙な心地良さに感じた。

「やってやろうじゃない!」あたしは自分自身に気合いを入れた。

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