Side P 12(Agui Moriyasu) 邨瀬のPN

「え?」波多野さんは、時任先生の提案に対して、彼女の端正な顔立ちにおおよそ似つかわしくない頓狂とんきょうな反応をした。先生は説明を補足する。

「逆転の発想さ。送られてきた情報が未来のものであると証明できればいい。どこかでその技術を確立したら、きっと未来の自分もその技術を使って未来から現在の自分に情報を送って来るはず。例えば、未来の自分が、例えば来年以降に起こる事件とか、自然災害とか、日本一になるプロ野球球団に関するデータを送るとする。そして実際にそのとおりになれば、過去にメールを送ることの裏付けになる」

 そこまで聞いて、実際に自分に送られてきたメールが、未来からのものである可能性を示唆されていたことを思い出した。もしこれが本当で発見されたワームホールを使用したのなら、あのメールが発信されたのは約30年後の自分で、30年の間に少なくともそれを可能にする技術を確立したことになる。これは他ならぬ、技術的にも倫理的にも実現可能となった証左ではないか。

 そして、やはりあの映画も未来の作品で、あの美麗な女優も『未来人』なのだろうか。


 その後も波多野さんと時任先生は議論を交わし合った。普通なら無謀と思えるプラン。自分で考えておきながら自分でも突っ込みどころ満載なのに、先生はすべて波多野さんの指摘を論破した。


「電波の方はOKだ。あとはワームホールを発見した観測天文学のチームにさっさと論文をパブリッシュしてもらうこと、宇宙ヨットを手配するためJAXAジャクサを取り入れること、地上で受信するための世界中の巨大パラボラを複数確保すること、総務省の承諾を得ること。ざっと課題はこんなもんだな」

 先生はさらっと言っているが、相当労力を割くような作業に感じる。JAXAは簡単に話に乗ってくれるのだろうか。世界中の巨大パラボラに受信させる許可など下りるのだろうか。

「総務省が何と言うかだな……」先生は頭を掻きながら言う。

 思わず「そこ!?」と突っ込んでしまった。

「ま、大丈夫だ。暴論かもしれないが、理論的に可能なものは、できるかできないかを議論するよりもやるかやらないかを議論するに重きを置きたい」

 いかにも先生らしい意見だ。先生は続ける。

「それに、ポアンカレくんの、未来からの映画配信という客観的事実があるからな。技術的にも倫理的もクリアされているはずだ」

 それって、あのメールが未来のものっていうことで確定ですか、と心の中で思わず聞いてしまった。


 その夜、少し久しぶりに邨瀬から電話がかかってきた。

『タイトル考えてくれたか?』

 しまった。原稿は読んでいたが、忙しかったのでやっつけ仕事のように読んだ。内容は覚えてはいるが、タイトルのことはすっかり忘れていた。

「ごめん、読んだ。読んだんだが、考えてない」

『ボアンカレくーん!』

 声のトーンから、邨瀬は怒っているわけではなく茶化しているのだと分かる。それでも少し申し訳ないと思った。

「分かった。ちょっといま考えるから2、3分待ってくれ」

 しばしの黙考。実験アイディアを考えるのとはまるで使っている脳の領域が違うような気がする。使い慣れない筋肉を動かしているようで、少し頭が痛くなる。

 なかば捨て鉢な気分で、やっと一つ絞り出した。

「……『オームは二度死に二度蘇る』」

 その作品は、殺したはずの被害者が蘇るというトリッキーな設定だ。電気ショックで殺人未遂犯の記憶どころか自分が襲われた記憶も失っているが、犯人も探偵役もそのトリッキーな設定に大いに狂わされる展開が面白い。

 しかし、このタイトルはネタばらしではないか。言ってみたものの、あまりにも酷いタイトルに自嘲した。「悪いが忘れてくれ。真剣に考える」

『すごい! 安居院あぐい守泰もりやす大先生! 敢えてネタばらしのタイトルなのに、これはめっちゃ興味を惹くタイトルでもあるな! つい口ずさみたくなるような響きと文字数。このタイトル、いただきね!』

「ちょっと、待──」

『やっぱ、お前さんに相談して正解だった! 最高だよっ』

 もうすでに、鬼の首を取ったような感じになっている。大丈夫かよ。

「あの、売れなくても俺を責めるなよ」

『そんなことはしないさ。売れなくてもお前さんのせいにはしないし、売れたら親友のアイディアだと吹聴する』

「本当かよ?」半信半疑で俺は邨瀬に突っ込む。「そんじゃ、もし売れたら、マージンくれよ」

『もちろんさ! よーやく『コロナ』もようやく終わりかけってとこだし、俺のおごりでパーっと奢ってやるさ』

「冗談だよ。お前とはずっと対等の関係でいたいさ」

『ありがとうな。ポアンカレくんがノーベル賞獲ったら、半生を美談にして執筆させてくれよな』

「地味な俺の半生なんかを作品にしたら、邨瀬むらせ弥隆よしたかのペンネームけん本名に傷がつくぞ」

『ご謙遜を。お前さんみたいな充実した人生を送れる人はそうそういないさ。そんときは取材させてくれよ』電話の向こう側で邨瀬が笑っているのが分かる。「考えとくよ」と言って電話を切ろうとしたとき、邨瀬が引き留めるように話題を変えた。


『あ、実はな、ペンネームで思い出したんだけどな』

「まだ何かあるんかい?」

『実は変えようと思って。いや、何かさ、邨瀬弥隆って名前、覚えられにくいような気がするんだよね。邨瀬も弥隆も読みにくいし、かと言って読みはインパクトに残りにくいし』

「そうかな?」俺は軽く異を唱えた。『むら』という漢字は確かに一般的に使用するものではないが、ずっと付き合っているとさほど気にならなくなる。もっとも俺の安居院あぐいだって、大概は初見で読んでもらえない。しかし、異を唱えたのは、ひょっとしてペンネームまで考えてくれ、と無茶ぶりを喰らう可能性を回避するための防衛本能が暗に働いたかもしれないと、自分自身を分析する。

『でな、俺考えたんだ。比較的インパクトに残りやすそうなペンネームを』

 意外だった。先ほどの流れからすれば、その案まで求められるかと思ったからだ。それはいくら何でも荷が重すぎるので、ホッとした。

「どういうのなんだ?」

 気軽に聞いたが、その次の瞬間、俺は雷に打たれるような衝撃を受けることなんてつゆほども思っていなかった。

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