Side P 11(Agui Moriyasu) 天文学的情報通信

 3日くらいのインターバルを経て、いよいよ衛藤先生のところに持っていく。俺の骨子案に時任先生は賛同してくれたので、あとは細かいところを詰めて体裁を整えることに時間を費やした。

「え? 早くない? 持ってくるの?」

 冷静な衛藤先生にとっても、想定外のスピードだったようだ。ペーパーはA4サイズで8枚程度だ。投稿用の論文ではないし、図もさほど綺麗ではない。

 ペーパーに15分ほど目を通し、衛藤先生は答えた。

「こ、これは、実現可能だと考えてるのかい?」

「理論上は間違いなく可能かと思います!」俺の代わりに時任先生が答えた。

「まじか」衛藤先生も、時任先生の情熱に少し圧倒されているように見えた。


 ざっくり言うと俺の考えた案はこうだ。

 きもは、やはりワームホールを使うことである。非公表ながら存在を確認したというワームホールを使わない手はない。そこは、やはり時任先生の案にも織り込み済みのようだった。

 まず、地球上からデータを乗せた搬送波をワームホールに向かって飛ばす。ワームホールは当然、出口の方が時系列的に過去である必要がある。搬送波がうまくワームホールを通過できるかは課題だが、無事通過できたとして、それを地球に帰還させるのをどうするかだ。

 俺のアイディアはワームホールの出口付近に人工衛星を飛ばしておくというものだ。ワームホールの出口から射出された電波は人工衛星がキャッチする。人工衛星には極力大きなパラボラアンテナを付けておいて、電波情報を極力増幅して、今度は地球に送り返すというものだ。

 地球からワームホールは約2.5光年離れている。そしてワームホールの入口と出口には35、36年の時間差があるらしい。電波は光速で移動するので、つまりワームホールまでの往復で5年ほどの時間を要する。つまりワームホールで35年さかのぼれたとしたら、35マイナス5で、約30年前の過去にデータを送ることが理論上可能となる。


「ワームホールは見つかってるのか?」

「ええ。まだ非公表ながら発見されています。本当は緘口令かんこうれいが敷かれてるんですが、遠くない将来、おおやけになるでしょう。衛藤先生とか必要最小限の人には、いまの段階で言って差し支えないと考えてます」

「わ、分かった。しかし、仮に実現可能だとしても、これを使うのは、技術的ではなく倫理的にもかなりのリスクを背負う。つまり、30年後の未来人とデータ通信ができることになる。未来の技術を獲得するとか災害予測をするとか建設的な使い方もできるし、将来自分がどんな病気にかかるのか当たり馬券を買うことだってできるかもしれない。日本の保険業界やギャンブル業界はまちがいなく崩壊する」やや狼狽ろうばいしながら衛藤先生は言う。

「そんなこと、最初から分かってたんじゃないですか?」

「もちろん。私は不可能ではないかと思ってあの難題を突き付けた。しかし、こんなに具体的なものが早急に出てくるとは正直思わなかった。ワームホールを電波が通過できるのか未知数だが、理論上は確かに可能のようだ」

「約束どおり、協力して頂きますよ」

「分かりました。でも、先ほども言ったように、倫理的な問題を大いにはらんでいる。汎用性のある技術にして良いかどうかは、総務省に確認する必要がある」

 時任先生は顔をしかめた。画期的な技術を開発しても、おそらく法の壁に阻まれる。そして、せっかくの革新的な技術が、公にされずお蔵入りになる。これは時任先生をいちばん不快な気分にさせる問題だ。倫理的課題があるのは重々承知できるが、頭の固そうな中央省庁を懐柔しないといけないことを悟って、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 取りあえず、天文学的な距離の情報通信が可能かどうか。ボイジャーで既に可能にしている技術だが、ゆくゆくは幾光年という単位の情報通信を可能にしたい。どうしても情報通信の専門家の力が必要だった。

 俺たちは、衛藤先生の講座に所属している1人の女性研究員を紹介された。波多野はたのあまねという。銀縁眼鏡にポニーテールだが、長身でちょっと気が強そうなボーイッシュな印象の人物だ。


「衛藤先生から概要は聞いてますけど、本当にやるんですか?」

 波多野さんは整った眉をひそめながら言った。

「周ちゃん、もちろんやるよー! この天才ポアンカレくんと将来の科学の発展のためにねっ!」

 どうやら波多野さんは学生時代、時任先生のゼミを選択していたらしい。道理で最初からこんなに打ち解けていると思った。大学は狭い。

「こんな天文学的な距離の情報通信なんて、やったことないけど、基本はXエックスバンドかKaケーエーバンドでしょうね」

「なるほどね。直進性の高いマイクロ波でやってるんだ。針穴を通す精度じゃないといけないからね」

「もちろんやってみないと分からないですよ。『ウラシマ効果』が現れるくらいの遠い天体に電波を届けて跳ね返すんでしょ? 地球も天体もそれぞれ動いていて、途中には惑星や小惑星と言ったスイングバイの原因となるものもあるし、ターゲットの天体も電波を跳ね返すかどうか分からない。たとえ上手く反射しても、かなり微弱な信号になりますよ」

理科大うちの巨大パラボラではどうかね?」

「電波が戻って来るときに地球がちょうどその方向を向いてればいいですけど」

「あともう1つ、ワームホールを通過させるはできるか?」

「ワームホール? 先生の大好きな?」

 時任先生は相対性理論の講義をするとき、必ずタイムマシンの話をする。そのときワームホールの話題も必ず出る。大学で『ワームホールと言えば時任先生』と言う生徒も多いかもしれない。

「ああ」

「でも、あれって不安定なんでしょう? 『負のエネルギー』があれば理論上可能という話の」

「通過する瞬間崩壊するかもしれないが、安定だと仮定してどうなる?」

「正直なところ分からない。搬送波も乱れると思いますけど」

「そっか。あとは、数光年先のワームホールの出口周囲で、電波を反射させる衛星の存在だな」

 実は数光年先に人工衛星を飛ばすことは極めて難題である。距離が遠すぎる。地球から最も遠くに到達した人工物として知られるボイジャー1号ですら、秒速約17kmである。秒速約30万kmの光とは比べ物にならない。数光年先の標的に人工物を放つとして、ボイジャーくらいの速度では、到達する頃には人間文明が終わっているかもしれない。

 しかし、近頃、ソーラーセイルという技術が確立されつつあり、飛躍的に移動速度を上げることを可能にすると期待されている。ソーラーセイル(太陽帆)を搭載した宇宙機を宇宙ヨット、太陽帆船などと呼ぶが、薄膜鏡を巨大な帆として、太陽などの恒星から発せられる光やイオンなどを反射することで宇宙船の推力に変える。こいつを実現できれば光速の5分の1ないし4分の1くらいのスピードでの移動を実現できるのではないかと言われている。

 上手くいけば、標的のワームホールまで10年くらいで到達するはずだ。

「でも、先生、これって過去に向かって電波を送るってことなんですよね? どうやって相手に届いたかを確かめるんです?」

 そうだ。未来に送るときと違って、過去に送る場合、送り主自身が過去にタイムトラベルしない限り、確認しようがない。いくら画期的な技術であっても証明する手立てがない以上、愚論として取り合ってくれないだろう。しかし、事も無げに時任先生は言った。

「簡単だよ。自分たちが受信者になればいい」

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