Side F 07(Fumine Hinokuchi) 頑張ってみるよ

 千尋さんに「始めよっか」と言われたものの、いまさらながらどこが課題のシーンの始まりのか分からない。

「あの、どこから」

「えっとね……」そう言って脚本をぱらぱらめくり始めた。「ヒパティアを乗せた小惑星探査機が、地球に帰還するシーンからと聞いてるよ」

 本当にクライマックスのシーンのようだ。おそらく、そんなに長くないシーンのはずだ。しかし、無事に帰還して生みの親である博士と感動の再会を果たすシーン。『大粒の涙を流す』というト書きもあり、博士役の宮本先輩と抱擁するシーンもあり、濃密だ。

 脚本を読んでいると、帰還中にもドラマがあった。探査機は大気圏に突入するため、かなりの高温環境にさらされる。感情と感覚を有するアンドロイドが、熱に悶え苦しむシーンだ。このシーンは正直辛いなと思った。狭い宇宙船の中で大声でのた打ち回るし、涙も汗も流さないといけない。これはかなり大変だ。

 ちなみに、アンドロイドに汗も涙もへったくれもないだろう、とつっこみたくなるが、人間同様に生理現象なども再現された超精巧な人間型アンドロイドという設定らしい。だから、小惑星への移住実験で人間の代わりにモニタリングが行われるようだ。実際にそんな未来はやってくるのだろうかと、ふとそんなことを考えてしまう。


「じゃ、ひとまずあたしが博士役を演じるね。探査機の宇宙船が地球に着陸したところからね」千尋さんはそう言った後、「一応このために博士のセリフを頑張って練習したけど、男の役だしぎこちなかったらごめん。本番は宮本先輩だから、ドキドキしないでね」と言った。

「……!」

 イケメンの宮本先輩と抱き合うシーンを想像して、顔が火照ほてった。



 人間に近いけど女性型アンドロイド。アンドロイドだけど人間に似た感情を持っている。

 このどっちつかずな設定は、あたしを困惑させる。往年の映画『スターウォーズ』の『C-3PO』みたいなカクカクしたしゃべり方と動きが良いのか、本当に人間のように振る舞えば良いのか……。人間に近い設定だから後者なのだろうが、一方で機械らしい動きもみせなければならないだろう。

 千尋さんによると、本番の衣装はもう少し機械らしさ、アンドロイドらしさをあしらえたメイク、衣装、装飾を施すらしいが、少なくとも今村さんと勝負するときには、そこまでのことはしないだろう。

 身ひとつで、この難しい役柄に立ち向かわなければならないが……。


「『博士、あなたが私に諦めないチャンスをくれた。そして12年ぶりに地球に戻ってこれた。ありがとう』」

「あー、それじゃ棒読みだよ。もっと声張って!」


「『博士! あなたが私に諦めないチャンスをくれた! そして12年ぶりに地球に戻ってこれた! ありがとう!』」

「さっきよりは良くなったけど、アンドロイドだから、メカらしさを織り交ぜてほしいな」


「『ハカセ! アナタがワタシに諦めないチャンスをくれタ! そして12年ぶりに地球に戻ってこれタ! アリガトウ!』」

「それじゃ、『C-3PO』だよぉ」


 分かりきったことだが、どうやらあたしには演技の才能はなかった。アンドロイドと人間のハイブリッドを巧みに演出する力量は備わっていない。それどころか、普通にワンフレーズのセリフをしゃべることもままならない。

 結局千尋さんとの練習初日は、1回もOKをもらうこともできないまま夜を迎えて終了となった。


「ダメ出しばかりしてごめんね」

 千尋さんの方から謝ってきた。しかし、彼女が謝る義理はないと思う。悪いのはあたしの素質の低さと飲み込みの悪さだ。

「こっちこそごめんなさい」あたしもどこか申し訳なくなって謝った。千尋さんは自分の練習返上で付き合っているわけなのだ。

「いや、だって、宮本先輩が声かけなければ、こんなことになるはずじゃなかったわけでしょ」

 確かにそうだった。真っ先に謝るべきは宮本先輩なのかもしれない。

 あたしは今村さんに負けつつも、これ以上学校でバカにされないようにしようとしていたのだ。しかし、千尋さんの親身な指導、魔法のようなメイク、そしてあたしに寄せてくれている期待も重なって、いつの間にか真剣になっていた。いまのところまったく成果は現れていないけど。


「詞音ちゃん、この脚本を読んで、素直にどう思った?」

 千尋さんは、冷蔵庫から持ってきたアイスコーヒーをあたしに差し出しながら言った。

「ありがとう。ストーリーはとても良かったと思うよ」

 我ながらめちゃくちゃ芸のないコメントだ。

 SFミステリーで名高い篁未来を読みあさっているあたしにとっては少々物足りないストーリーだけど、それでも中学生が考えたオリジナル作品としてはなかなかだと思う。あたしではこの脚本は書けない。

「感情移入できる?」

「え?」

「ヒロインの『ヒパティア』は、もともと子どものいない博士が造って娘同然に育ててきたんだよ。平和に暮らしていただけなのに、テラフォーミングのためだけに小惑星に置き去りにされてしまったんだよ」


 確かに、自分を『ヒパティア』の立場に置き換えると苦痛でどうにかなってしまうかもしれない。あたしはいまお母さんと二人暮らしだが、4~5歳ごろまではお父さんがいた。離婚してどこに住んでいるかすらお母さんは教えてくれないけど、実験をしてくれたり科学館に連れて行ったりしてくれたお父さんはいまでも大好きだ。そんなお父さんと博士が重なる。いきなり離れ離れにさせられ、しかも帰還できない。特に『ヒパティア』はアンドロイドだから死ぬこともできない。半永久的に孤独と闘うのだ。

「そうだね。脚本で役作りのために頑張ってイメージしてたからそのときは感情移入できなかったけど、仮に書籍で読んでいたら感情移入しちゃったかもしれない。下手へたしたら泣いてるかも」

 すると、ちょっと安心したように千尋さんはこちらを向き直した。

「この作品はね、もちろんみんなでストーリーを考えたんだけど、『アンドロイド』をヒロインにしようとアイディア出したのはあたしなの。ラストのシーンもあたしが考えたんだ。普段はあまりあたしの意見って採用されないけど、今回のこのアンドロイドの『ヒパティア』のキャラがとても好きで、本当はあたしが演じたかったくらいだけど、あたしは『ヒパティア』みたいに綺麗じゃないから、部長をはじめみんなが納得した人に演じてもらいたいんだ」

「……」

 あたしは言葉が出せなかった。あたしで良いのかという疑問がさらに大きくなるが、それを払拭ふっしょくするかのように千尋さんは言った。

「『ヒパティア』のイメージに詞音ちゃんはピッタリだと思う。だから頑張って欲しい」

「えっ?」

「持論だけど、感情移入できるのであれば役に入り込むのも簡単だよ。自分が『ヒパティア』になろうとするんじゃない。『ヒパティア』に自分の身体を貸すと思って演じれば、きっとセリフも動きも自然になると思う」

「あたしにできるかな……?」

「きっとできるよ! あたしは詞音ちゃんに演じてもらいたい」

 そう言って千尋さんは笑顔であたしの肩を軽く叩いた。その瞬間、心の中のもやが晴れるようなすっきりした気持ちなった。

「分かった。頑張ってみるよ!」

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