Side P 07(Agui Moriyasu) 安定した虫食い穴

「歴史的な発見、ですか?」

「ああ、まずポアンカレくんには僕が歴史的な発見だと思った根拠を聞いてもらわないといけない」

 時任先生はやや神妙な面持ちで言った。

 やっぱり『ポアンカレくん』という呼称のせいで、やや緊張感が薄れてしまうが、時任先生の表情は冗談を言おうとする姿勢ではない。

「何でしょうか?」

「いまは他言無用でお願いしたいんだが、実はな、これから発表しようとする内容で、この横浜理科大学うちでビッグな発表をしようとしているんだ。その発表こそがまさに根拠なんだ」

 これだけでは見えてこない。時任先生にしてはずいぶんともったいぶるな、と思った。アイディアや閃きが常に泉のようにいているような人だから、普段はすぐに思い付いたことを口にするタイプなのだ。

「ちょっと、分からないんですが……」

「本当に、君ならきっと興奮すると思う。興奮して今日一日眠れないくらいだと思う」

「マジですか?」思わず教授相手に砕けた口調になってしまったが、先生は、そんなことは意に介さない。

「だからな、絶対いまは口に出さないでもらいたい。いいか。『Natureネイチャー』の掲載は間違いなく通る。これを応用した技術が確立されれば、ノーベル賞ものだと思ってるが、いまのはその可能性を充分裏付ける話だ。いいか、いまは他言無用だぞ!」

 あまりにも強調するので本当に凄い発見なのだろう。徐々に期待が膨らんでいく。

「分かりました。絶対に誰にも言わないようにします」

「大声も出しちゃいかんぞ」時任先生はさらに念を押してきた。

「はい」

「あのな……」急に声のトーンを落とした。自然に俺は耳を近付ける体勢になる。「──ムホールが発見されたんだ」

 あまりにも小声すぎてよく聞こえない。

「へ? もう1回お願いします」

「ワームホールだよ。ようやく安定した存在のものが発見されたんだ」

 間違いない。『ワームホール』と言った。その凄さやそのものの持つ可能性を知っている俺は思わず飛び上がりそうになった。

「えええ!? ワーム──」

 思わず大声を出してしまい、先生に手で口を押さえられた。

「こら、大声出すなって言ったろ!?」

「す、すむもぁそん」口を押さえられたので『すみません』と発音できなかった。

「ワームホールって、いままで理論上では言われてたしミクロの世界では存在しうるけど、人間が通れるようなマクロサイズなものはものはないか、あっても極めて不安定だなんて言われてる。しかし、観測天文学の研究チームが約2光年先という比較的近距離に、ごく微小だが安定なワームホールの出入口の存在を確認した。それで俺のところに相談があった。素粒子が吸い込まれるところと吐き出されるところを観測して、推定35、36年の時間差があるように思われる。それがどういう意味か分かるか?」

 俺は、すぐに時任先生が何を言いたいかを理解した。


 アインシュタインの特殊相対性理論によると、移動速度が光の速さに近付くにつれ時間がゆっくり進むとされ、光と同速度で時間は止まる。理論上、光に限りなく近いスピードで進むロケットに乗って数年間宇宙旅行をしたら、帰還後の地球は何十年、何百年先のものとなる。仮に双子の一方がそんな宇宙旅行をしたら、地球帰還後双子の年齢はバラバラになり、いわゆる『ウラシマ効果』で地球に残った方が年老いていることになる。これが双子のパラドックスだ。このように相対性理論はを可能にしている。しかしながらは無理だとされていた。光が森羅万象でもっとも速く動くものであり、それを超える速さのものは存在しないとされているからだ。一方、光より速く移動できる方法が何らかの形で確立されれば、過去へのタイムトラベルは理論上可能とされており、実現可能性な方法として提唱されているのがワームホールである。ワームホールというのはその名のとおり虫食いの穴だ。宇宙をリンゴに見立て、距離の離れたP地点からQ地点までをワームホールを使ってショートカットするイメージだ。そうすると光で何十光年離れた場所を一瞬で通過する。つまり光速を超えて移動できるというのだ。これはキップ・ソーン博士が理論的にタイムトラベルを実現する方法として1988年に発表している。

 しかし、このワームホールの内部は、理論上中性子星の中心部ほどの高密度の負のエネルギーで満たされ、極めて不安定なものとされている。よって人間が通過できるものとするには極めて実現性が難しいものとされる。ワームホールの不安定性、人間の通過可能性、そして入口と出口との時間差の維持をクリアできれば過去へのタイムトラベルは可能だと言われている。


「つまり、希望的観測をすれば、そう遠くない未来に時空を越えてデータ通信する技術が確立できているかもしれないということだ!」

 時任先生も話しているうちにテンションが高くなったか、ひそひそ話ではなくなりつつある。

「そ、それはすごいっすね」

「それがどんなことか分かるかい? もし、未来人が現代人に最新の研究技術や、災害情報を送ってきてくれるとしたら、現代人の未来の最新技術が手に入りその恩恵を受けることになるし、大地震とか新型コロナウイルスのような自然災害による被害を回避すること可能にするかもしれない。これはまさしくノーベル賞ものだと思わんか?」

 その通りである。顔を縦に振ってうなずいた。タイムパラドックスという未解決の謎はひとまず置いておいて、文字通り歴史的な大発見につながることに俺は身震いした。

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