Side F 06(Hinokuchi Fumine) 哀愁のアンドロイド
いつも学校と家の往復のあたしにとって、今日はとにかくいろいろなことが起きすぎた日だった。
あたしのお母さんは娘の勉強には興味を示すけど、それ以外のことには興味を示さない。ひょっとしたら、いじめられていることすら気付いていないかもしれない。だからかえって好都合だ。ただ、遅く帰ってくることは滅多になかったので、お母さんに聞かれてしまった。
「今日は遅かったね。ちゃんと勉強してきたの?」
遅く帰ってきたあたしの身を案じるよりも、勉強ができていないのではないかということを心配してくる。心配の本質がずれているような気がするのはあたしだけか。
「うん。帰りちょっとジョイフルに寄って勉強してきた」
あたしは嘘をついた。もちろんファミレスのジョイフルにも寄っていないし勉強もしていない。一度たりとも学校帰りにジョイフルに寄った試しはないが、そんなことどうでも良いかのように、お母さんからの返答はなかった。お母さんの関心事は勉強ができたかどうかなのだ。
これから宿題に着手するが、幸い成績は悪くないのであたしにとって苦労はない。勉強か読書しかやることがなかった自分の強みだ。タブレットにどんどん回答を書き込んで送信する。30分あれば全科目分終わらせることができる。
さて、ここからが本題だ。今日の
脚本を渡されたのは初めてだ。小学校の学芸会ではセリフがなかったので、台本を読む必要はなかった。先ほどぱらぱらとめくってみたけど、改めて見ると、こうなっているんだ、と目を丸くする。
小説にはいわゆる『地の文』で、小説の舞台や背景、心理描写を説明し、会話文は少なめだ。
一方、脚本は『地の文』に当たる『ト書き』は最小限で、登場人物の会話、動き、表情を事細かに書いている。作品の設定はあまり書かれていないようだ。小道具係やメイク係には必要な情報でも、役者には不要な情報なのか。
だから、会話文を追って舞台設定、登場人物たちの性格、そのときの心情を推量しながら読み進めていくしかない。書籍と違って文字が大きいがその分ページをどんどんめくらないといけない。分厚い原因はこれだ。
ひとまず脚本を精読する。物語の全容が理解できなければ演技もへったくれもない。
舞台は未来の地球。小惑星において地球と同様の環境を再現する技術が開発され、地球外の移住が現実的になろうとしていた世界。
小惑星『リュウグウ』に、小惑星探査チームが誤って人間型アンドロイドを残してしまった。調査の結果『リュウグウ』での移住を断念していた宇宙開発研究所の幹部は、アンドロイドを回収せずそのまま放置することとした。
このアンドロイドには見た目も人間と同様に再現されているだけでなく、感情まで再現されており、小惑星におけるメンタル耐性もテストされていた。つまり、このアンドロイドは孤独と戦いながら、機械ゆえ、死ぬこともできない日々を送ることになる。
家族同様に接してきた製作者のロボット博士はこの現状を憂い、当該アンドロイドを回収したいが、幹部は経費の無駄だとしてさせなかった。ロボット博士は通信技術を使いそのアンドロイドと通信を続け、いつか助けに行くと励まし続けた。
そして、別の小惑星探査のために送り出した探査機を、無理矢理『リュウグウ』に向かわせ、ついにアンドロイドを救出し地球に帰還させる。
最後、自分を救ってくれたロボット博士と感動の再会を果たす。
『ヒパティア』はアンドロイドの名前だった。え、あたしはロボットの役を演じるの? 一瞬戸惑う。ロボット博士役が宮本先輩らしい。
一応、アンドロイドはかなり人間的に造られている設定だが、ロボットに近い動きをすべきか、普通の人間のように動くべきなのか分からない。
†
昨晩は劇のことで頭がいっぱいであまり寝付けなかった。何であたしが宮本先輩に選ばれたのか自問自答し続けた。結局、小惑星で孤独に暮らす
おかげで今日の授業はあまり頭に入ってこなかったし眠たかった。こんなんで果たして劇に臨めるのか
†
そして、放課後、千尋さんに声をかけられる。
「今日、うちに来る約束だよね」
あたしは、うん、と
二人で千尋さんの家へと向かう。千尋さんの家は、学校の最寄りのJR
どうでも良いけど元号の『平成』なんてもう随分と前の話だなと思う。そういう地名だから仕方ないけど、一昔前な感じがどうしてもする。
平成駅に到着して千尋さんと歩いた。15分くらい歩くらしい。歩きながらこの物語について千尋さんは解説してくれた。
でも、あたしは本音を言うとやっぱり気が乗らなかった。人間の女性ならまだしも、人間型ロボットなのである。演じ方なんて皆目見当がつかなかった。どう演じたって笑われるのが目に見えている。
とは言え、ここまで来て断ることも難しくなってきた。きっと他の部員もヒロインのいないシーンしか練習できていないかもしれない。千尋さんだって役があるのに練習を中断している。あたしのせいじゃないはずだけど、結果的にあたしがそうさせてしまっている。既に巻き込まれ、巻き込んでしまっているのだ。
そんなあたしの罪悪感なんて意に介さずといった様子で、千尋さんはなぜかウキウキワクワクしている。
「さ、着いたよ! 付き合わせてごめんね」
二階建ての少し大きめの一軒家だった。あたしの家はごく普通のマンションなので、広く感じる。さっそく千尋さんの部屋に案内されると、そこには洋画のポスターやDVDがたくさんあった。
目を
でも、千尋さん自身は決して厚化粧ではない。
「これね、将来プロのメイクさんになりたくて、研究してるの」
はにかみながら千尋さんは言った。そしてあたしを鏡の前の椅子に促す。
「何?」
「決まってるじゃない? 一度
「え?」
「ヒロインのアンドロイドは美人の設定なの。役柄になりきるためには形から入らないとね」
そう言って手際良くあたしにケープを着せた。
千尋さんは鼻歌を歌いながらテキパキとメイクを施してくれた。その間20分程度。見る見るうち、魔法がかかったかのように、鏡の向こう側の自分は別人のごとく輝いていった。
「こ、これがあたし?」
「どう? 本当は髪の毛も切りたいところだけど、美容師免許はさすがに持ってないからね」
「すごい……」
「もう少し時間をくれれば、もっと映えるよ!」
千尋さんは魔法使いかと思った。正直勉強と読書しかやってこなかったあたしには刺激が強すぎた。自分がこんなに美しくなれるなんて、そして千尋さんがここまで綺麗にさせられる技術を思っていたなんて……。数分ほとんど声も出さずに鏡の自分を見つめてあたしは
「よし、女優さんが誕生したところで、練習始めよっか?」
千尋さんは軽快に言った。
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