Side F 05(Hinokuchi Fumine) 邪なあたし
あたしはしばらくその場に
宮本先輩とあたしが抱き合う? 現実でもしたことないのに? 母子家庭で兄弟もいないあたしに男に対する免疫はない。
もし、アドリブでキスなんかされたりしたらどうしよう。そうしたら、ファーストキスの相手は先輩になってしまう。劇どころではなくなる。
あ、なってしまうって言ったら失礼かもしれない。宮本先輩は学校一のイケメンと称されているのだ。宮本先輩のことは確かにカッコいいと思う。風の噂では、宮本先輩の親は有名人でお金持ちらしい。美人のお母さんの血を受け継いでいるという情報も……。
それはさておき、先輩のことがものすごくタイプかと問われれば分からない。初恋らしき初恋がまだ訪れていないあたしは、自分の好きなタイプが分からないのだ。それでも、ちょっと強引なところを差し引いても、ドキドキしてしまうことは容易に想像できる。ひょっとしてキスされなくてもハグをされたら恋してしまうのだろうか。
宮本先輩が自分の好みの女子と抱き締め合うシーンを演じたいのなら、それこそ不可解だ。どう考えても今村さんのほうが綺麗だ。あたしが知る限り、今村さんを超える美人な生徒はいない。学校でこれ以上の美男・美女カップルはちょっと思い付かない。ひょっとして、宮本先輩は、美人すぎる女子がタイプではないのだろうか。
でも、そんな悠長なこと考えていられない。もし万が一、宮本先輩の考えが変わらず、あたしがヒロイン役に抜擢されてしまったら、学年、いや学校中の女子の反感を買うかもしれない。今度は嫉妬というある意味いちばん恐ろしい負の感情をもって攻撃されるかもしれない。校舎裏で蹴られるレベルじゃ済まないかもしれない。
「やっぱり無理だよ……」
あたしはひとり佇み、独り言を呟いていた。
「無理じゃないんじゃない?」
急に背後から声が聞こえて身体をビクンと震わせた。女子の声だ。振り返ると先ほど部室にいた部員と思われる生徒の一人だった。彼女は続ける。
「あ、驚かせてしまってごめんなさい。あたしは二年F組の
園田千尋と名乗る女子生徒は、屈託のない笑顔で、あたしに声をかけた。同じクラスにはなったことのない生徒だ。髪型はショートの可愛らしい女子だ。
「よ、よろしく」混乱が続いているあたしは、小さな声でぼそりと返事するに留まった。
†
園田さんに導かれてあたしは学校の食堂に移動した。うちの食堂は年季が入っていてちょっとボロい。あたしは弁当を持って来ているし、ロクに友達もいないせいで、ここに来ることは滅多になかった。
「
「奢るなんてそんな……」
「気にしないで。あたしと同じ、アイスコーヒーでいい?」
「ありがとう。じゃ、アイスコーヒーで」
園田さんは売店のおばさんにアイスコーヒーを2個注文した。プラスチック製の透明なグラスに冷たいコーヒーが注がれ運ばれてきた。
「突然ごめんねぇ」
彼女は
「そ、園田さんは、部活はいいの?」あたしは率直に聞いた。
「呼び方だけど、園田さんじゃなくて千尋でいいよ」
「千尋さん?」
「なんかよそよそしいな。まぁいっか。部活は大丈夫。ちょっといくらなんでも
「そんな可哀想だなんて……」
確かにこんな仕打ちを受けるのは災難だと思う一方で、毅然とした態度で断らなかったあたしにも非があるかもしれない。
「いや、可哀想だけじゃないな」
「そうだね。あたしにもしっかり断る勇気が必要だった……」
千尋さんにもじもじした叱責される気がして、先にあたしはその非を認めることによって予防線を張った。しかし、予想外の言葉が返ってきた。
「違うよ。ただ可哀想だけなら、追いかけたりしないよ」
「じゃ、何で?」
「詞音ちゃんにヒロイン役になってもらいたいからだよ」
千尋さんは言下に答える。あたしは戸惑いながら、その理由を知りたいと思った。
「な、何でそう思うの? ひょっとして今村さんに何かされたの?」
「今村ちゃんには何も恨みはないよ。確かに次期部長の座をあの子に譲ってしまったのは悔しいけど」
「次期部長?」
「そう。彼女、次期部長なんよ。うちは二年生のうちに副部長を決める。副部長は基本、三年生が引退した時点でそのまま部長になるのがうちの慣例だから」
「そうなんだ……」
ということは、もしあたしが部に残るような話になったら、宮本先輩が抜けて今村さんが部長の演劇部でやっていかないといけないのだ。嫌な未来しか見えない。
「で、話を戻すけど、あたしは別に今村ちゃんを憎んでない。単純に詞音ちゃんの方が適役な気がするからだよ」
にわかに信じ難い。でも、円らな澄み切った瞳は嘘をついているようには見えない。宮本先輩がひとり暴走しているのなら何かの思い違いかと諦められるが、もう一人、同性の子にそう言われると、嘘でしょと切り捨てるべきではないように思えてしまう。
「でもあたし、今村さんみたいに綺麗じゃないし、明るくないし、SF好きなだけの地味な女だし」
「まーごつ綺麗!! すっぴんでそのレベルは、ヤバイよ! そんで、あたしに化粧させたらマジ女優ちゃて」
「え?」文脈から、ここで言う『ヤバい』はポジティブな意味で使われているのは分かる。千尋さんの熊本弁混じりの褒め言葉にまごついた。
「それに声も綺麗」
「え?」あたしは困惑に困惑を重ねて「え?」しか言えない。言われたことのない言葉ばかりだ。
「声はあたしのメイクじゃどうにもならないからね。ルックスも声も羨ましい」
「……」
声が綺麗と言われてとても嬉しいが同時に照れ臭い。何も話せなくなる。
「まずさ、自信つけなよ。『龍宮スイングバイ・ノスタルジア』のヒロインは
「そ、そんなこと言われても」
「あたしがメイクしたら自信つくと思うよ。あたしはこう見えて、九州のメイク選手権の中学生の部でグランプリだったんだから」
そんなのあるのか、とあたしは目を丸くする。家と学校の往復で、勉強と読書以外の活動をほぼしていないあたしには、想像できない世界だ。千尋さんは続ける。
「そんでね、演技の方はあたしがレクチャーしてあげる。あたしは役者も兼ねてて、この劇にも脇役で出るんだ。で、1週間しか猶予がないから、脚本はおうちで読んできて欲しいんだけど、演技の訓練はあたしん
「えっ? ホント?」
「あたしじゃ力不足かな?」
「そ、そんな……」
あたしは単純に申し訳ないのだ。もともと今村さんとの勝負に勝つ気はない。でも、惨敗はしたくない。そんな
「さっそくなんだけど、詞音ちゃんが良ければ、明日の夜とかどう? あたしの親は誰が来てもウェルカムな人だし」
「ありがとう」気付くとあたしはお礼を言っていた。
「じゃあ、決まりだね! 連絡先教えてくれる」
かくして、あたしは千尋さんと連絡先を交換した。
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