Side F 04(Hinokuchi Fumine) 与えられるのも嫌

 今村さんは不敵な笑みを浮かべた。あたしは直感的に悟った。この人はきっとヒロイン候補だったけど、何らかの理由でその役を外されたんだと。

「やっぱり無理で──」

「逃げるつもり? リケジョのあんたの得意分野のお話でしょ」

 この学校は、熊本県では比較的珍しい中高一貫の私立中学校だ。少しカリキュラムの進みが速く、本来中学三年生で習うらしい習う天文分野とかがもう学校で出てきている。もともと興味があるのでその分野だけは常に満点であるが、あたしはそのことを誰かに吹聴しているわけではない。しかし、成績上位者一覧に名前は載るので、今村さんはあたしの成績をチェックしていたのだ。

 しかし、いくら興味があるお話でも、劇で演じられるかは全然別の話だろう。

「興味がある話でも、劇とはちが──」と反論した矢先。

「いや、好きこそ物語にのめり込めるはずでしょ。篁未来の小説読んでるくらいだから、きっと素敵なヒロインを演じられるでしょうから」と、含み笑いを浮かべながら、今村さんは言う。


 いやいや、常識的に考えておかしい。それでは、例えば医学部目指している人は、あたしの生まれる前の作品になるけど、『白い巨塔』とか『チーム・バチスタの栄光』とか『ドクターX』とかで、医者の役を上手にこなせるのと同じ理論だ。

 敢えて言っている。あたしはそう思った。わざわざSF作家のファンだということまで持ち出してまで……。そしてうまく演じられなかったあたしを笑い者にするために……。

 悔しい。何でこんな仕打ちに遭わねばならない。


「英玲奈。言っとくけど僕の中では、ヒパティアは閘さんで決まりだ」

 『ヒパティア』とはくだんのヒロインの名前だろうか。宮本先輩に声を大にして問いたい。だから何でそう考えるのかを。

「だからこそ、その見極めをするんです。そして部のみんなにも判断してもらうんです。私とどっちが役に相応ふさわしいのか」


 やっぱり今村さんはこのヒロイン役を狙っていたのだ。ヒロインと言ってもどんな性格のキャラクターなのかさっぱり分からない。明るいのか大人しいのか、気が強いのか優しいのか、雄弁なのか寡黙なのか。今村さんは続ける。

「部長にキャストを決める権利があるのは、うちの伝統みたいなものらしいので譲歩します。でも、誰が適役かをみんなに見てもらうくらいは良いでしょう。それでもって、部長が判断して下さい。私だってこの劇の脚本を考えた一員だからこそ主役を演じたい。部長はこれまでいきなり部外の人をスカウトして役に抜擢してきたことはありました。かくいう私もそうですから。でも、この劇だけは譲りたくない」

 今村さんもあたしと同じように宮本先輩にスカウトされたのは、はじめて知った。性格は置いておいて、ルックスは女のあたしが見てもとびきり綺麗だと思うから、きっと舞台映えするだろう。今回のヒロイン役はあたしが適役ということは美人という設定ではないのか。しかし、今村さんが譲りたくと言っているし……。

「分かったよ。閘さんとどちらが適役なのか競ってもらおう」

「ありがとうございます。1週間後でどうですか?」

 ちょっと、と言おうとして言葉が出なかった。もじもじしていたら話が勝手に進んでいる。今村さんは好きじゃないけど、さっきの今村さんの話を聞くと、それだけ思い入れのある役柄ならどうぞ、と譲ってあげてもいい。いや、そうするべきか。

 あたしは、ようやく勇気を振り絞って二人の会話に割り込んだ。

「あの、あたし何も知らずにここに来たんですけど、その役を演じたい人がいるのに、部外者のあたしがそれを演じるのはやっぱり良くないと思うんです。だから今村さんにその役を譲って下さい!」


 あたしは言うだけ言って頭を下げて、その部屋を立ち去ろうとした。よくぞ言った。そしてようやく変な緊張から解放される。そう安堵あんどしかけたとき、思いがけない言葉が今村さんから発せられた。

「そういうわけにはいかない。閘さん。私と役を競ってもらいます」

「え?」あたしは耳を疑った。何で?

「部長が抜擢したあんたの演技力を私も見てみたい。部長は、去年部長じゃないときから、配役を考えるのを任されてたの。そしてそれどおりにすると確かにいい作品になるから、その目は確かだと私は信じている。だから、あんたが選ばれたのも何かしらの理由があると思ってる。それで演技を見て負けたと思ったら、ヒロイン役を譲ってあんたに演じてもらう。私はヒロイン役を奪われることは悔しいけど、みすみす与えられたり譲られたりするのも嫌なの。できれば勝ち取ってみんなが納得いく形にしたいの。だから演じなさい。演じて私と比較されなさい。私だって脚本を一緒になって考えた劇が妥協の産物になったら嫌だからね!」

「……」

 あたしはどう答えたら良いのか分からなかった。あたしを笑い者にしたいだけかと思ったが、本気で劇を良いものにしたいという部活を愛する心もあるようだ。どちらが本心か分からない。


「じゃあ、決まりだね。閘さん」

「え?」宮本先輩も今村さんも、あたしの気持ちを置いてけぼりにして勝手に話を進めようとする。

「脚本を渡すよ。1週間後でいいかな?」

「1週間? いきなり過ぎます!」

 どう考えても無謀だろう。いや、もともと巧く演じ切るつもりもなかったのだが、適当に演技しすぎては宮本先輩の沽券こけんにも関わるだろうし、今村さんたちから、さらに馬鹿にされたり反感を買ったりするのも嫌だ。だから僅差きんさで負けるのがあたしにとってベストだが、1週間はつらい。

「ごめん、本番の日にちから逆算すると時間がないんだ。大丈夫。やってもらうのは全部じゃない。いちばん大事なラストシーン。小惑星のリュウグウ探査機を苦難の末に地球に帰還させて、主人公の博士と感動の再会を果たすシーンだ」

 そう言って、分厚い自作脚本の該当ページを指し示す。

「えー!?」

 思わず叫んでしまった。脚本に『大粒の涙を流す』とか書かれている。そんなことできるのか。

「じゃ、ちょっと大変だけど頑張って。もし練習したければうちに来てくれてもいい」

「あの、あたし上手にできませんがそれでも──」

 いいですか、と続こうとした矢先。

「そう肩肘張らずに。君ならきっと素晴らしいものに仕上がると確信している。自分を信じて! じゃ頼むよ」と、宮本先輩に言われてしまった。

 返答することもままならずに、部屋から締め出されてしまった。イケメンだが強引な先輩だということが分かった。

 渡された脚本をぱらぱらめくると主人公を演じる男性は、何と宮本先輩自ら演じるという。それだけで緊張は倍増するが、さらなる仕打ちがあった。

「え? 抱き合うシーンがあるよ、これ」

 思い切り顔を赤らめて、廊下に立ち尽くした。右往左往する他の部活の部員らしき生徒に怪しまれても、どうすることもできなかった。

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