17.坂本タカシ

「わたしは日本国防衛省・特殊異能部隊SUTに所属する工作員です。このたびは学園の卒業式に潜入し、できるだけ少ない干渉で結果を操作する任務についています」

「防衛省だと……?」


 予想はしていた。

 学園にはロシアからの工作員が紛れ込み、中国からの工作員も紛れていた。であれば、日本からの工作員も紛れていてもおかしくない。日本の学園である以上、工作員を送り込む難易度は最も低いのだ。

 それは十分に予想しうることだった。だが。


「坂本タカシ、といったな。お前は転入生ではないはずだ。もっとも、それが本名だとしたらの話だが……」

「ありがとうございます。そうですね、学園に潜入するにあたり転入や留学、そのような複雑な手段は利用してはいません」


 表情はにこやかながらも、決して油断ならない。これまで姿を見せなかったということは情報収集に徹していたということだ。佐武郎についても、そしてイリーナについてもかなりの確度で把握しているに違いない。


「では、どうやって侵入した?」

「もっと単純で、簡単な手段があります。空輸です」

「……馬鹿な」


 一定のポイントを得た生徒は端末より支給品を申請できる。空中投下に適した大型の箱ではあったが、人の入れるようなサイズではない。あるいは、週に一度の食糧供給。2tもの食糧のなかに紛れ込むことは可能かも知れない。

 だが、そんなことをして気づかれないはずがない。人知れず空中投下というのも同様だ。なにより、補給物資については第三者組織による検査がなされているはずである。むろん、だからといって不正ができないわけではない。


「待て。防衛省所属ということは……お前は卒業生なのか?」


 口を挟むのは鬼丸ありすだ。


「はい。わたしはこの学園の卒業生です。三年前になります」

「お前のような卒業生は聞いたことがない」

「ええっと、まあ、そうですよね。わたしは公式には、卒業後に特殊異能部隊SUTに配属され、任務で死亡したことになっています」

「どういうことだ」

「この坂本タカシも、用が済めば死ぬことになります」

「……! そういう異能か……!」


 坂本タカシを名乗る男は、疑問に対し丁寧に、誤魔化しなく答える。


「ありがとうございます。わたしの異能は〈寄生〉です。他人の肉体を服のように着替えられるので、実質不死なんです。卒業したのも、名義上はではありませんし」


 それが、不気味でならない。


「なるほどな。納得はできる、が……」

「具体的な〈寄生〉の方法ですか? はい。わたしの本体は、このくらいの……虫のようなものでして」


 坂本は親指と人差し指を広げてサイズ感を示した。


「人の脊柱に貼りついて、潜り込むことで支配します。なので、空中投下の荷物に紛れ込むことは簡単なのです」

「……ずいぶんと、正直に説明してくれるんだな」

「信頼を得るためです。まず大事なのは信頼です。わたしがなにものなのか理解していただかないことには、信頼は得られませんから」

「取引、といったな」

「はい。賢明な桜佐武郎さまでしたら、わたしの立場を説明しただけでおおよそはお察しいただけるのではないかと思います」

「ああ。察することはできる」


 佐武郎は坂本を知らなかったが、坂本は佐武郎を知っていた。その情報格差を、自己紹介によって坂本は強引に均した。そのために心理的には圧されていた。どこまで知っているのか。先の話のどこまでが真実なのか。果たして、どこまで話してよいのか。


「星空煉獄と二ノ宮綾子の復帰。日本としては、彼らは期待の新星だったはずだ」

「ありがとうございます。わたしとしては特に、星空煉獄の卒業支援を任務として承っています」

「卒業支援? まさかの中国軍が乗り込んできて、星空煉獄も危うく死にそうだったが……あのときはどうした。なにかしたのか?」

「はい。わたしもあれには肝が冷えました。あまり表立っては動けませんでしたので、少々暗躍を。桜さまも、首謀者を斃していただきご協力感謝しています」

「そして、俺のもとに訪ねてきたのは……」

「はい。


 それは甘い果実。


「見返りとして、桜佐武郎さまの罪は問わず、亡命を認めます。桜さまはイリーナ・イリューヒナさまに裏切られたということにしましょう」

「な……」

「ま、待て。なにを、いって……!」


 動揺を隠せないのは、他ならぬ鬼丸ありすである。


「ありがとうございます。鬼丸ありすさまにもお話が必要ですね。今回の不正操作が正された場合には鬼丸さまは卒業条件に満たない形となりますので、ご懸念はその点でしょう。問題ありません。わたしのポイントを差し上げます」

「なにを……」

「星空煉獄さまをお助けする際、いささか暴れすぎましたので……わたしのポイントは現在32Ptになっています。不正操作が正された場合、ランキングは不正以前にロールバックされる形となるでしょう。鬼丸ありすさまの元のポイントは41Ptですので合計して73Pt。卒業には十分なポイントとなります」

「馬鹿な……ロールバックだと?」

「たしかに、前例のないことです。確実な保証はできません。これについては、日本わたしの干渉が存在はっかくしないことが絶対条件となります。いえ、わたし自身は施設で製造された単なる一年生に過ぎないのですが。ですので、私のことは他言無用に願います」

「ふざ、けるな……そんな……」


 鬼丸はわなわなと拳を震わせていた。その提案は彼女の決意を踏みにじるものだった。生徒会を裏切ってまでなそうとしたことを元の木阿弥にするものだ。

 だが、それ以上強くは出られなかった。唯一の味方であったはずの佐武郎が、揺れているように見えたからである。

 それでも彼は、あくまで外見上は取り繕い、毅然として答えた。


「なるほど。理解した。だが、信用はできないな」

「わかります。ですが、桜さまにはもう道はないのではないですか? ロシアはあなたのことを、今回で使い捨てにする駒だと考えていたのではないですか?」

「お前は、坂本タカシに〈寄生〉しているといったな」

「はい」

「では、?」

「ありがとうございます。その点について説明が不十分であったのを忘れていました。はい、の異能は〈寄生〉ですが、もちろん〈寄生〉で乗っ取った肉体の持つ異能も扱うことができます。彼の持つ異能は〈破砕〉でした。触れたものを粉々にしてしまうという、特に面白みはない攻撃系の異能です。ご覧になります?」

「いや。それで、仲間は何人いる?」

「仲間、ですか?」

特殊異能部隊SUTの潜入員というのは……お前一人ではないはずだ」

「いいえ。潜入している特殊異能部隊SUTはわたし一人です」

「初めて嘘をついたな。たった一人でそれだけの情報網を築けるはずがない」

「もちろん、現地協力者はいます」

「……そうか」


 急所がどこにも見えない。貼りついたような笑みが崩れない。嘘をついている様子はないし、その必要もないのだろう。彼はただ、取引を持ちかけている。


「それともう一つ、お伝えしたい重大な情報がありました」


 嫌な予感しかしない。彼のもたらす情報はすべての前提を覆す。


「イリーナ・イリューヒナさまは、生きています」

「なに……?」


 その発言は、佐武郎がイリーナを「殺した」ことまで当然のように知っていることを意味する。


「なぜ生きている? 俺は、あいつの……頭を撃ち抜いたんだぞ」

「改造手術でも受けていたのではないでしょうか。異能者の肉体は頑強ですから、いくらか無茶な手術にも耐えられるのです。特殊異能部隊わたしたちの方でも、いくらか試験段階にあります。チタン合金で補強した頭蓋骨であれば拳銃弾くらい耐えられることは実証済みです」


 そんな馬鹿な話が――と言いかけ、そう断定できるほど彼女のことを知らないことを思い出す。

 たしかに頭を撃った。ふつうならそれで死ぬ。だが、なぜ生死の確認を怠ったのか。

 


「せっかくですので、イリューヒナさまも処分いただけると大変助かります。どちらにせよ、イリューヒナさまは桜さまのお命を狙っているかと存じますので、対決は避けられないでしょう」

「お前は……手助けしてはくれないのか?」

「残念ながら。わたしはこれ以上の干渉は避けたいと考えています。最悪の事態は日本わたしの条約違反の発覚ですから。今年の正常化が叶わずとも、星空煉獄さまが生きていらっしゃるなら来年以降にもチャンスはあります」

「俺の協力は必ずしも必要ではないということか?」

「ありがとうございます。もちろん、あれば助かります」

「俺への要求は、証言とイリーナの抹殺か」

「いえ。イリューヒナさまの処分については、というだけです」


 今年の卒業式には中国軍の介入もあった。その点を突けば日本は政治的に優位に立ち回れる。その目論見もあるのだろう。日本かれらには次善策がある。

 戦いにおいて、勝つために最も重要なのは。

 勝利条件の設定である。


「五十四億円。異能者養成および削減政策の関連年間予算です」


 坂本タカシは手を挙げて、数字を示す。


「これは防衛費全体からすれば微々たる額です。星空煉獄さまのような、有望な異能者が輩出されるならば、の話ですが」

「…………」

「そのような結果になることを私どもは望んでおります。お返事はすぐにいただかなくても結構です。そうですね、イリューヒナさまとの一件が済んでからでもよいでしょう。それでは、また」


 坂本タカシは霧の向こうに消えた。

 桜佐武郎と鬼丸ありすは、霧の中に取り残された。


 ***


「なぜ死んでいた?」


 彼の肉体は徹底的に損壊していた。喉を潰され、眼球を抉られ、頭蓋を砕かれ、四肢を捥がれ、内臓を引きずり出されていた。致命傷どころではない過剰な破壊。

 それでも、彼は起き上がった。四十八時間が経過したからである。


「二ノ宮綾子の異質な強さが気になっていた。一度死んでみればなにかわかるかと期待し、いくらか適当な挑発の言葉をかけて殺されてみた」

「成果は?」

「ない。彼女の持つ強さの本質はわからなかった。一夕一朝で身につくようなものでもないのだろう。だが、一度死んだうえで復活するという経験は興味深いものだった」


 生き返ったばかりのヴァディム・ガーリンは全裸だった。屈強な骨格に鍛え上げられた筋肉を搭載した肉体が輝いていた。起き上がることができるようなので彼女は服を投げ渡した。ただ、彼はすぐに着替えるではなく潰されたはずの喉や抉られたはずの眼球をさすり、己の肉体が万全に復帰していることを確かめていた。


「事態は理解できているか?」

「いや。説明してくれ。ランキングの停止は貴様の仕業か?」

「そうだ。しかし、土壇場で計画に齟齬ミスが生じた。スケープゴートが抵抗した」

「うむ。あー、水をもらえるか。長時間眠り続けたあとのような怠さがある。〈不死〉とはいえ、これはできるだけ死にたくはないわけだ」


 言われ、彼女は水の入ったペットボトルを投げ渡した。


「助かる。……で、貴様は私になにを望む?」


 ヴァディムは諜報部GRUの送り込んだ工作員スパイではない。単なる協力者である。彼女がロシアの学園に潜入したのちに懇意となり、共に留学生となるよう調整した人物だ。留学後は、このように接触があるまでは自由にしてよいと言われていた。

 こうして接触があった以上は、任務の時間だ。そのような契約である。卒業後に十分な地位が確約される願ってもない申し出だ。


「桜佐武郎を殺す。これが最優先事項だ。それ以外は副次目標となる」

「桜佐武郎? ランキング一位の男か。たしか、一度会ったことがある。ロシア語が妙に堪能だったが……なるほど。あれがもう一人の工作員だったのか」

「まずは下準備が必要だ。もう一つの目標もある」


 氷のような女だった。色素の薄い長髪。青白い肌。射抜くような碧眼。一方、服装は対照的に黒のマフラー、黒のロングコート、黒のタイトパンツで揃っていた。

 言葉は短く、端的で断定的である。全身が凶器のように研ぎ澄まされている。単なる戦闘技能ならこの女に劣るはずがない。だが、本能的にこの女に逆らうべきではないと理解できた。


 イリーナ・イリューヒナが、動き出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る