13.深い霧の中で②

「リッシュ?」


 鬼丸ありすは首を傾げた。


「説明すると長いが、ある村で死にかけの妊婦に出会ってな……」


 学園外縁の森は一様ではない。

 一本だけ、南に抜ける確かな道路が通っている。アスファルトで舗装され、10tトラックが往復する道路だ。その先には「発着場」が存在する。卒業式のみならず平時においても生徒は立ち入りを禁止されている。食料などの生活物資を運び込み、あるいは卒業資格を有する五名が旅立つ場所。

 彼らはその発着場に立てこもっていた。物理的には金網に覆われているだけであり、侵入は容易い。ポイントシステムが死んでいる以上、彼らの反則を感知する術はない。そのことを理解していても、規則が骨身まで染みついている多くの生徒は本能的に近づくことを拒む。互いしか味方のいないたった二人、手持ちのカードを落ち着いて整理するための場所としては最適だった。


「〈憑依〉か。そんな異能があるのか」

「あるんだろう。実際にそうなってる」

「……お前の妄想という可能性は?」

「妄想で歳を取らないなら画期的なアンチエイジングだな」

「それは別の要因とも考えられる。たとえば、〈始原〉の方だ。“二十三人の子供たち”は歳を取らないのかもしれない」

「それを言われると否定しづらいな。俺もあの日以来、一度たりとも他の“子供たち”とは会ったことがない」

『うぇー、久々に聞いた。私妄想説』

「妄想、とまでは言わぬまでも……たとえば多重人格と呼ばれるものは、脳の記憶領域にパーティションを敷くような形で発生しているという説がある。リッシュが肉体を持たない以上、それに近いものであるかもしれない。俺の脳内で発生している仮想OSのようなもの、という解釈もありうる。ただ、遠隔知覚能力はたしかに存在する」


 リッシュのことを他人に話したのは五年ぶりのことだった。つまり、イワン・ドヴォルグ以来である。ただ、イワンも佐武郎もGRUの監視下にあったためリッシュのことは大っぴらには話せなかった。リッシュを切り札として隠し持つ選択をとったためである。


(……思えば、あえて隠す必要はあったのか? 本当に、リッシュを俺の中に閉じ込める必要が……)


 長い後悔が、佐武郎の胸を締め付ける。


「で、そのリッシュとやらは今どうしている?」

「……自身の妄想説がまた出たことで不貞腐れてる」

「また?」

『え、別に不貞腐れてはないけどー?』

「以前に一人だけ話したことがある。そいつは〈聴心〉の異能者だった。ゆえに第一接触で図らずもバレてしまった」

「……片桐か?」

「いや。第十三局そしきで出会った男だ」

「そうか。それで?」

「リッシュ、なにか伝えたいことはあるか?」

『え。いや、別に……』

「リッシュはこれまで俺以外と話したことがない。恥ずかしがってるようだ」

『はあ?! 恥ずかしがってるって……別にさあ! 話すことないし!』


 たしかに、急に話してみろと言われてもできるものでもないか――と佐武郎は鼻で笑った。


『ねえ、笑った? なんで笑うの? ねえ? 私のこと笑った?』

「……一つ、いいか」


 鬼丸の表情変化は少ない。あえて抑えているのだろうが、「こいつ大丈夫か」という怪訝は抑えきれぬほど滲み出ていた。


「お前は、〈始原〉によって発現する異能のコントロールができるかどうかは“わからない”と言ったな。お前の話を信じ、当時死にかけの胎児だったリッシュが〈憑依〉という異能に目覚めたのだとしよう。偶然だと思うか?」

「……ああ。そうだな。偶然だとしたら、奇跡だ」

「〈憑依〉以外の異能に目覚めていた場合はそのまま死んでいただけだ。これは……お前が発現する異能をコントロールした結果だとは考えられないか?」

「かもな。だが、それも確かめようがない。〈始原〉の対象は胎児ないし新生児。実験するにしても結果が出るには数年はかかるし、なにより実験で他者の人生など左右したくはない」

「思うに、お前はまだ自身の異能に無自覚な状態なのだ」

「ふむ?」

「私も、他の異能者を前提とする〈増幅〉という異能を持っている。そのために私は学園ここに来るまで自身の異能に無自覚だった。一方、単独で発動可能な異能――たとえば〈聴心〉などは、なにもしなくても勝手に“心の声”が聴こえてくる。物心をついたころには異能の自覚が芽生えている」

「その意味では俺もまた、他者を前提とした異能だな。そのうえ、フィードバックは〈増幅〉以上に難しい。経験の浅さゆえにその“自覚”が足りない――ってことか。異能の祖でありながら自身の異能には無自覚ってのも皮肉なもんだ」

「それで、試したいことがある」


 鬼丸は右手を差し出した。握手を求めるような形だ。


「ん?」

「私の手を握れ。お前の異能を〈増幅〉する」


 その提案に、佐武郎は一度躊躇いがちに手を出したが、すぐに引いた。


「待て。俺の異能――〈始原〉が〈増幅〉したのなら、なにがどうなる?」

「不明だ。なにが〈増幅〉されるかは対象の異能によって異なる。まあ、範囲や出力に影響することが多いな」

「つまり、〈始原〉なら……おそらく効果範囲がある。これが拡大するのか?」

「あるいは、発動条件の緩和だ」

「発動条件の……緩和?」


 それがなにを意味するのか。佐武郎はまだ完全には理解できない。


「いや、どちらにせよだ。ここは異能者の学園だ。異能者が再び異能に目覚めることはない。実験は意味をなさない」

「つべこべ言わずにやってみればよい。手を繋ぐだけだ」

「いや……」

『なに、さぶろー。もしかして手を繋ぐのが恥ずかしい?』

「んなわけあるか」

「ん?」

「リッシュだ」

「なんと言われた」

「いや、まあ……なんというか……」

『えー! なに、こういうときは黙るの? 卑怯じゃない? ひきょー!』

「……手を繋ぐのが恥ずかしいのか、などと下らぬことで揶揄われた」

「そうか。考えても見れば三十を超えた大人だったな。私も遠慮したい気持ちが芽生えてきた」

「そう言われると傷つく。……真面目な話に戻すとだ。俺が躊躇っているのは、なにが起こるかわからぬ以上、もう少し慎重に仮説を立てるべきだと思ったからだ」

「仮説か。私の〈増幅〉での経験則は先に述べたとおりだ。そこまで警戒するということは、なにか危惧することがあるのか?」


 佐武郎はしばらく考え、答える。


「異能は一人一種。これは原則だ。だが、なぜこんな原則が生じるのかと考えることがあった」

「そもそも異能とはなにか、という話にもなるな」

「ああ。たとえば、〈始原〉の出力では一人に一つの異能を押し込めるのが限界だから――というのはどうだ」

「なるほど。つまり、その出力を〈増幅〉すれば……私が二つ目の異能を獲得する可能性もあると?」

「あるかもな。ただ、これまで二種以上の異能を持つものは知られていない……いや、俺が知らないだけだが……〈増幅〉の希少性がどの程度かにもよってくる」

「私以外に〈増幅〉の異能者がいるなら、すでに試されている可能性があると」

「だが、そういった例はないはずだ……少なくとも俺は知らない。あとは対象の年齢。胎児ないし新生児。これもなぜなのかと考えていた」

「心当たりは?」

「異能とは……見えないだ。誰に聞いたが忘れたが、“見えない筋肉”なんて表現もあった。それこそ、リッシュのように。そいつが肉体に定着するには……成長前の小さなサイズでなければならない、とか……そんな感じだ」

「ほう。“見えない筋肉”か」

「その表現はかなり実態に則している。俺も組織GRUにいたころ身体測定をいろいろ受けたが……実際に発揮される身体能力の数値に対し、筋量や筋密度の数値は明らかに足りていなかった。異能者は筋肉以上の力を持っているんだ。一人の力のようでいて、実際には見えない誰かがそっと力添えをしている。そんな解釈でなければ説明がつかない」

「すべての異能者はその“見えない筋肉”を着ている、あるいは重なっている――」

「そんな感じの表現になるな」

「つまり、〈始原〉とは“見えない筋肉”を発注する異能」

「そうだな。そういうものだとするなら、その異能を〈増幅〉したなら……」


 なにが起こるのか。結局のところ、やってみなければわからない。


「ひとまずは手を繋ぐだけだ。なにを恐れている?」


 恐れている。


(そうか、俺は恐れているのか)


 リッシュの生まれ故郷を壊滅させ、テロリストとしてロシア国内を混乱に陥れた〈衝射〉の異能者。

 ソフィヤ・キリレンコ。彼女の来歴を辿ると、佐武郎の足跡と重なる。彼女が異能に目覚めた原因は、佐武郎である可能性が高い。調べるほどに、それは否定しがたいものになっていた。

 彼女の人生をめちゃくちゃに破壊した挙句、最後には自らの手で始末した。その事実は佐武郎に重くのしかかっていた。


(異能者を増やす。俺自身の意思で)


 これまで二十五年。考えもしないことだった。


『さぶろー。誰か来るよ』


 一方、そんな彼の葛藤とはよそに状況は動いていた。

 霧が出ている。深い霧が森を包み込んでいる。一人の訪問者が、彼らのもとに歩を進めていた。


 ***


 血生臭さはどうあっても拭えなかった。

 衛生面には気をつけているはずでも、専用の設備というわけでもない。丁寧に掃除をしたつもりでも限界はある。鼻腔の奥にこべりついているのかもしれない。あるいは、精神的なものか。

 旧校舎の一つの教室を改造し、彼は一人きりの自室を仕立てていた。不要な机や椅子を追い出し、床や壁を補修し、必要なものを外から運んできた。

 ナイフ。肉切り包丁。糸鋸。バケツ。鍋。七輪。そして冷蔵庫。

 今日も一仕事を終えた。一息つき、彼はソファに身を預けた。


(卒業式は……どうやら終わってしまったようだ)


 彼は腕時計で自らのポイントを確認する。あれ以来、ポイントが増える様子はない。

 もっとも、彼にとってポイントは大して意味を持たない。母校ロシアでの卒業式は六月だ。帰国すれば九カ月後に母校での卒業式が待っている。無事卒業できるかどうかは、結局そのときの成績次第だ。

 彼が日本へ留学してきたのは異能を食うためである。また、留学は参加するだけで卒業単位に加算がある。卒業後の進路にも影響があるといわれている。そんないくつかの特典メリットがあるばかりだ。いずれにせよ、日本の学園において本気を出す理由はない。

 交換留学は不可解な制度だ。姉妹校の交流、などというのが聞かされた説明だった気がするが、釈然としていないためによく覚えてもいない。


(だが、私にとって意義深いものであったのは確かだ)


 異能を奪う異能。逆にいえば、最初のうちはなにも持っていない。できるだけ強力な異能を捕らえ、食らうことは困難の連続だ。うっかり殺してしまっても失敗だ。生きているうちに必要な下処理がある。

 最初にたべた異能は〈大食〉。これがなければはじまらなかった。ただし、〈大食〉によらずにたべたものであるがゆえに継承率は低い。せいぜい人間一人を食べられる程度にとどまっている。

 そして、これまでに食らってきた異能は七つ。

 ヴァディム・ガーリン。彼は今や、自らを無敵だと確信している。


「ここにいたのね。探したわ」


 あの夜以来、ずっと静かだった。卒業式が壊れてしまったあの夜から。

 気配の正体は、流麗な黒髪を靡かせ、黒衣に身を包む女。


 二ノ宮綾子である。

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