14.星空煉獄⑤

【00:41】

「ふぅ。さすがにもう追ってこないか」


 樹上で腰を落ち着けて、星空煉獄は深いため息をついた。

 森は死角が多い。ここまで逃げ込めば包囲は難しい。追ってくれば各個撃破で返り討ちにできると思った。敵もそんなことは承知のうえだろう。だから追ってこない。

 ただ、仮に追って来られたら――体力はもう限界だった。精神も死ぬほど擦り減っていた。あるいは、詰みだったかもしれない。退いてくれて本当によかった、と煉獄は思う。


「ゔぉぇぇ……。コーヒーが切れたな。もう三時間は飲んでない気がする……」


 腕時計を確認する。

 0:41。まだ四十一分しか経っていない。森に入ってから十分はうろうろしていた気がするので戦闘そのものは三十分ほどだろう。


(三十分近くぶっ続けだったのか……)


 そこまでの長期戦闘は平塚雷獣サンダー以来だ。あれほどの苦戦はもうないと思っていた。今の苦戦はあのとき以上だ。しかも、まだ勝てたわけではない。束の間の小休止だ。歴代苦戦ランキングは確実に更新されるだろう。

 傷こそ負ってはいないが喉はひび割れそうにカラカラだし、汗も一滴も出ないほど絞り出された。危機的状況においてアドレナリンや脳内麻薬が多量に分泌されたのだろう。今はその反動がきている。


「あー、マジで疲れた。寝てえ。さすがに寝たら死ぬか……」


 森は決して静かではない。虫がいて鳥がいて、蛇がいて熊がいる。それでも、先の戦場に比べれば一人きりのコーヒーブレイクのように静かに感じられた。というより、聴覚が痛んで耳鳴りがしている。

 森に逃げ込むことでひとまずは休めた。だが、敵もまったくの打つ手なしというわけもないだろう。あれだけの準備をしてきた敵が、「森に逃げられる」という想定をしていないはずがないからだ。


(なにをしてくる……? あまり詳しくないが、現代戦でもジャングルの戦闘は大国の軍でもなにかと苦戦させられるとかだった気がするな。ゲリラ戦が手強いとかなんとか。だとすれば、俺は最強のゲリラだ。もしかすると、森に逃げ込めた時点でほぼ勝ちなのか?)


 森のなかでは、まず死角が多い。敵を見つけることが難しい。数に頼みを利かせようにも、どうしても戦力が分散してしまう。分散させなければ捜索は捗らない。

 森に逃げ込んだ星空煉獄を正確に探し当てるには、それこそ羽犬塚のような異能が必要のはずである。


「やあ。煉獄。元気?」

「んなわけあるか。死にそうだよ」


 噂をすれば、だ。木の根元から羽犬塚が気さくに声をかけてきた。煉獄は動く気力もないので樹上でだらりとしながら話を続けた。


「ほい。コーヒーじゃないけど水だ」


 ひょいっと、羽犬塚は樹上の煉獄に水筒を投げる。


「助かる。マジで助かる。死ぬとこだった」


 煉獄はこれを受け取るなり、ごくごくと一気に飲み干した。


「こんな状況でもコーヒーの方が良かった?」

「ふぅ。そりゃな」

「マジか。次から善処するよ」

「次。次か。どうよ、羽犬。やつらの次の手がわかるか?」

「まあね。実はいうと昨晩、森の方でなにか動きがあるのは察知してた。時計塔からじゃ微妙に範囲外だからわかりづらかったけど、それなりの数が動いてた。今の状況で合点がいったよ。多分、森に罠を仕掛けてたんだろう。ごめん、もっと早く話しておくべきだったね」

「かーっ。信じられん用意周到さだな。どんな罠だ?」

「それはわからない。ここに来るまでにはそれらしいのはなかったし、煉獄もなにか引っかかった?」

「覚えはないな。あるとしたらなんだろうな。トラバサミか?」

「かもね。そういうのって避けられるんだっけ?」

「動作してから刃が肉に食い込む前に壊せば問題ないな。多分。実際にかかったことはないが」

「どちらにせよ動かなければ問題ない……いや、逆か。動かずに休もうとする煉獄を炙り出すような罠かな」

「爆弾とか……毒ガスとかか? 遠隔操作で起爆? ま、わからんことを考えても仕方ないな。それより気になることがある。敵兵どもがあまり命知らずなのが気になってな」

「見てたよ。あれはちょっと正気じゃないね」

「はじめは訓練の賜物なのかと考えていたが……冷静に考えてみればさすがにないな。精神系の異能だろう。指揮官が連中の頭を弄ってる。これだな」

「なるほど。ありそうだけど……あの人数だよ?」

「精神系異能者が一人ともかぎらない。複数人で手分けすればいけるんじゃないか」

「かもね。どっちにしろ指揮官はどこかにいて見てたはずなんだけど」

「見つけられなかったのか?」

「うん。ちょっと多すぎてね。知らないやつを探すには一つずつ当たるしかない。狙撃手は何人か狩れたけど」

「そうか」


 煉獄は深く息をついた。ひどく疲労している様子だ。


「……確認することはそれくらいか。敵の正体も気になるが、これも考えるだけじゃわからん。なんだあの銃。なんで人間がいる? 軍が俺を殺しにきたのか?」

「軍が本気で煉獄を斃そうとするなら……卒業生が来ると思うけどね」

「あー、それこそ雷獣クラスか。考えたくもない。もういいや。寝てもいいか?」

「寝るのはまずくない?」

「だよな。せめて場所は移すか……」


 と、言いつつ深い欠伸をして煉獄は今にも眠りそうだった。


「煉獄」

「……心配すんな。本音を言えばお前に見張ってもらって寝ておきたいが、森に罠があるってんなら長居はまずいだろ。羽犬、お前は逃げろ」

「またかい? こういうときにかぎって仲間に頼らないね、君は」

「頼りにしてるさ。あの包囲から抜けられたのも俺一人の力じゃないだろ。お前や、たぶん魅々もなにかしてた。ここで逃げろといっても、またなにかしてくれるだろ?」

「わかったよ。ああ、わかった。じゃあ、またね」

「ああ、またな」


 羽犬塚が去り、煉獄が動き出す。


 ***


【00:37】

「状況を整理する。損耗率は?」

「……およそ21%。また、勢いあまって森まで追跡に行ったものたちが未帰還です」


 市瀬拓は壁を背に寄りかかりながら、なんとか思考を落ち着けようと努めていた。


「星空煉獄はグラウンドを抜けて北東方面の森へ逃げ込んだ。そうだな?」

「はい。それがおよそ五分前の出来事です」


 市瀬拓はあらかじめ多くの状況を想定してこの戦いに挑んでいる。星空煉獄が森へ逃げ込む可能性は当然ながら想定していた。ただし、これは最悪に近い想定だ。

 状況は悪化し続けている。網谷も死んだ。ここから先は、事前想定シミュレーションも役立たなくなってくるだろう。頭の中で描いた理想的な絵図ではなく、現実を見なければならない。


「……羽犬塚はどうだ?」

「羽犬塚、ですか?」


 部下は質問の意味を理解しかねていた。市瀬は無線を取り出し、もっとふさわしい相手から聞くことにした。


「狙撃手。聞こえるか。羽犬塚を見たものはいるか」

「――こちらC地点。羽犬塚明が星空煉獄を追うように森へ入ったのを視認しています。どうぞ」

「報告感謝する。以上」


 市瀬に笑みが戻った。無線で指示を出す。


「立花。作戦“プロメテウス”だ」


 それもまた、彼にとって切り札の一つといえるものだった。

 準備に時間がかかるため初撃には使えない。威力が高すぎるために包囲中には使えない。証拠が残るおそれが高く迂闊には使えない。サイズが大きすぎるために配置場所にも困る。

 すなわち、それは。

 152mm榴弾砲。最大射程12km。発射速度4発/分。使用弾種はテルミット焼夷弾。これを子弾クラスターで広い範囲に散布する。対人に使う兵器ではない。ましてや、たった一人に使う兵器ではない。それは森を焼き尽くし、星空煉獄を燻り出すための切り札だ。

 市瀬立花の〈収容〉空間は無限の広がりを持つが、出入り口のサイズには限界がある。人間一人が出入りできるサイズでも長時間維持するには高い集中力を要する。それ以上のサイズ――ましてや、榴弾砲の通れるサイズとなれば極めて難しい。

 ゆえに、立花を支援する異能者をつける。彼女の精神を外界から閉ざし、「最高」の集中力コンディションを維持させる。ほとんど使い道のない〈応援〉という名の異能が、ここで役立つ。

 かの榴弾砲は四輪のついた牽引式である。市瀬兄妹もさすがに自走式までは持ち込めなかった。それでも、最悪の事態に備えて火力が必要だった。無理をして手に入れられたのが骨董品に近い第二次世界大戦期の榴弾砲である。

 本来であれば、トラクターなどの車両に牽引されることを前提としている。彼らはこれを人力で牽引する。3.6tの重量を数十人がかりで、異能者の膂力も合わせ、切り札を外界へと移送する。移動距離は砲の全長――7mほどである。


「榴弾砲、配置完了しました!」

「うむ。仰角をとれ。狙いは――」


 彼の切り札はこれだけではない。「こうはならない」と思いつつも、彼は最悪の事態に備えていた。作戦前夜、森に部隊を展開させ各所に「罠」を仕掛けさせていたのだ。

 すなわち、それは集音マイクである。雑音の多い森のなかでも、異物ひとが紛れ込めば音のパターンは変わる。話し声がすればより確実だ。計四千箇所に仕掛けられたマイクから送信されてきた波形をコンピューターに集積し分析し、高い精度で星空煉獄の居場所を割り出すことができる。解析ソフトに組み込まれた「人の発する音」に関する膨大な機械学習の成果がこれを可能にする。

 タイムラインを眺めるに、星空煉獄の動向は数分前に失われている。つまり、彼は動くことをやめ休んでいることを意味する。それこそ、狙いの定めやすい願ってもない状況だ。

 子弾式は運動エネルギーによる攻撃を意図したものではない。人体に直撃しての死亡例も多いが、障害物の多い森に向かって撃つ以上その期待は低い。低いが、それは相手が星空煉獄だからだ。放物線を描いて超音速で弾着する無数の質量はただ事ではない脅威である。

 ただ、それ以上に期待しているのは広範囲の延焼による酸欠と一酸化炭素中毒である。星空煉獄といえど、酸素は必要なのだ。


(燻り出すどころか……これで決着かもな)


 これで星空煉獄が死ねば、死体を確認する術もない。

 ポイントも霧散することになるだろう。それ自体は、理想的な流れだ。


(ポイントなど、どうでもよい。星空煉獄を斃せるなら)



【00:44】

 駐鋤が開き、大地に固定される。弾道計算が完了する。

 焼夷弾が発射された。

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