24.有沢ミル

(馬鹿な)


 ありえない、と独白は続く。

 彼女は、たしかに死んだ。そして、〈不死〉の異能は復活にまで四十八時間を要する。

 あの夜から現在まで三十時間も経っていない。復活してくることなどありえない。

 即座に的場は気づく。今まで自分がなにを見せられてきたのか。


(……〈幻影〉だ)


 苦し紛れの策なのだろう。二ノ宮綾子が現れれば混乱する。その混乱の隙に態勢を立て直す。そのためだけの〈幻影〉に違いない。

 的場は二ノ宮綾子が幻であると確信して目を凝らす。しかし。


(違う――!)


 気づいたときには、的場の首は宙に舞っていた。

 彼女の前では、一瞬の油断が死を招く。的場ほどの異能者であっても例外ではない。

 無造作な姿勢から繰り出される抜刀速度は、人間の反射速度を遥かに凌駕する閃光の輝きそのものだった。

 ――二ノ宮綾子(三年) 生徒会・会長 134Pt――


(どういうことだ)


 佐武郎も、まだ状況理解が追いついていなかった。しばし黙考し、視界の端に鬼丸ありすを映したことでようやく理解に至る。


(……そういうことか)


 前提がそもそも誤っていた。

 二ノ宮綾子にせよ、二ノ宮狂美にせよ、〈不死〉の異能者が目覚めるのに必要な時間は四十八時間。あくまでそれは、「誰の助けもなく単独で」の話だ。

 鬼丸ありすがその前提を崩す。彼女の異能は〈増幅〉だ(佐武郎の視点では「おそらく」がつく)。この異能をもって、〈不死〉を増幅すればどうなるか。

 復活までの時間が短縮される。その程度は、どれだけの時間手を握り続けたかによる。二ノ宮綾子の死体は生徒会室に安置されていた。鬼丸ありすは暇を見ては二ノ宮の異能を増幅し復活までの期間を早めた。つきっきりというわけでなくとも、半分(二十四時間)にまで短縮させることくらいは容易いことだった。


 二ノ宮綾子が遅れて登場したのは、メテオの羽犬塚明にその動きを悟らせないため。羽犬塚もまた「的場が斃されるならそれでよい」と考えていたが、相手が二ノ宮綾子では話が別だ。〈不死〉の二ノ宮にポイントを奪われてはもはや奪い返すことができない。的場以上に厄介な存在になる。その事情は生徒会にも予想できる。ゆえに、生徒会は羽犬塚を欺く必要があった。

 的場が羽犬塚から情報を得ているといっても、それは「出発前」だ。ゆえに、二ノ宮は的場が旧校舎に入ったのを確認してから動いた。遅れて登場せざるを得なかったのはそのためである。


「見事です。会長」

「いえ。塞は消耗しきっていた。そこまで追い詰めたあなたたちのおかげよ」


 腹に鉄パイプの刺さったまま、鬼丸は一階へ降りる。

 二ノ宮は血を拭い、刀を鞘に収める。鬼退治は幕を下ろした。


(待て。なんだ、この違和感は)


 鬼丸が二ノ宮に跪くのを見て、佐武郎はなにか前提が崩れるのを感じた。

 なぜ自身に知らされていなかったのかという疑問もある。敵を騙すには味方から? 切り札であるがゆえの用心としての情報統制? あるいは、そもそも信用されていない。

 そこまで思考を手繰り寄せ、佐武郎は気づく。


 有沢ミルは、このことを知っていたのか?


 ***


 旧校舎屋上。彼女の構える狙撃銃SV-98は旧体育館に狙いを定めている。

 伏せた姿勢で銃座を二脚で固定し、身動き一つせずに被発見のリスクを最小限に抑える。

 明確な目標があるわけではない。ただ、そこで大きな出来事があるのは知っていた。ゆえに、その推移を見守り状況に応じて支援射撃サポートを行うための待機状態だった。

 ただ、その役割もどうやら終わったらしい。狙撃位置につくだけついてなにもできずに終わることは珍しくない。今回は、体育館という地形が障害となった。屋根が大きく破損しているとはいえ、射線の切れるポイントが多かったからである。


「動かないで。振り向かなくてもわかるように言うけど、ナイフであんたの首を狙ってるから」


 背後からの声。少女の声だ。気配――すなわち一切の音もなく、彼女は背後に立っていた。金髪ツインテール、低い背丈に幼さの残る顔立ち。しかしその目は、紛れもなく狩人のものである。

 ――有沢ミル(三年) 生徒会・庶務 20Pt――


「あんたがここへまたやってくるであろうことはこっちも予想してたのよ。副会長ありすの指示でね」


 有沢が的場討滅作戦に参加しなかった理由。それは副会長・鬼丸ありすと反目していたから――ではない。彼女は、再び現れるであろう狙撃手を捕らえるための別働隊なのである。


「質問に答えて。ここにいた目的は? その銃はなに? 会長を撃ったのはあなたね?」


 と、畳み掛けるように尋問するが、返事はない。というより質問が多すぎたと有沢自身も反省し、咳払いして言葉を変える。


「ごめん。やっぱ答えるのは一つでいいわ。桜佐武郎との関係は?」


 これで素直に答えるとは思っていなかった。骨を何本か折るなり爪を剥ぐ必要があるだろうと彼女は思っていた。だが、女の口は思ったより早く開いた。


「私はイリーナ・イリューヒナ。ロシアの留学生だ。正確にはロシア政府より派遣された工作員スパイであり、その目的は星空煉獄の抹殺にある。桜佐武郎はその任務目的を同じくするパートナーだ」

「へえ。ありがと。ずいぶんあっさり答えるのね。でも、それだと会長を撃ったことの説明がつかないんじゃない?」

「ロシアの工作員スパイというだけで説明はつくはずだ。二ノ宮綾子も我々ロシアにとっては脅威となりうる存在だった。できることなら彼女の今年度卒業は阻みたかったが、どうやらそれも失敗したらしい」

「ふーん。だから見逃せって? 一度でも敵対行動を見せたあなたを見逃すはずがないでしょ」

「だったら早く刺せばいい。私の持つポイントより私の持つ情報に価値があると判断しているからこその悠長な尋問なのだろう。だが、それは私の危険度を勘案に入れていない判断だ」

「ずいぶん強気ね……言っとくけど、少しでも動いたら刺すわよ。この状況から動かずに逃げられるわけ?」


 有沢ミルの持つ異能は〈跳躍〉――すなわち瞬間移動の異能であり、その発動条件は「足を踏み出す」こと。要は「一歩の移動距離を大きく拡大する」ものであり、前提として動く必要がある。

 イリーナが似たような異能を持っていたとしても、まず初動が必要になる。攻撃系の異能だとしてもまず対象を認識する必要がある。背を向けたこの状態からでは発動できない。

 最悪なのは的場のような防御系異能――攻撃がそもそも通用しない場合だが、その可能性はないと判断できた。背を踏みつけてもそのような感触がないからだ。


「で、その銃は? 支給品にはない以上、持ち込んできたわけ? どうやって?」

「聞きたいのはそんなことなのか? 一つでいいとも言われた気がするが……」

「無駄口を叩かずに答えなさい」

「この銃は――」


 答えも半ばに、ピピピッと電子音が鳴り響いた。目覚まし時計のスヌーズのような音である。


「なに? この音?」

「――ボルトアクションライフル。使用弾薬は7.62×54R弾――」

「この音は?!」


 身動きできなくなったときの保険。二分に一度、手動で「停止」させなければ自動的に起爆する装置である。音はその合図だ。すなわち。


「煙幕!?」


 一瞬にして視界を覆い尽くす煙と、耳を劈くような爆音。有沢ミルは思わず身を屈めてしまう。そのわずかな隙にイリーナは逃走する。残されたのは狙撃銃だけである。


「どこへ……!」


 ロープもパラシュートも用いずに、イリーナは四階屋上から飛び降りていた。むろん、直接ではない。窓や壁に手をかけ足をかけ、いわばロッククライミングの逆の要領で滑らかに地上まで降り立っていた。有沢が見失うのも無理もない機敏さである。しかし。


「私から逃げられると思ってんの?」


 有沢の異能は、わずかな出遅れなどものともしない。地上を走る影を目にしたのなら一瞬でその距離を埋めることができる。

 ただ、今度は敵も立ち、向かい合っている。状況は五分である。


「ナイフ?」


 有沢は敵が手に持つ武器を視認する。同じナイフであれば〈跳躍〉で縦横無尽に動ける自分の方が有利だ。ただ、その奇妙な構えが気にかかっていた。


(いや、まさかあのナイフ――)


 スペツナズナイフ。柄に内蔵したスプリングによって刀身を射出する飛び道具である。威力や命中精度より、その意外性によって虚をつくことがその強みである。

 有沢に対して放たれた刃も、彼女を驚かせる役割は十分に果たした。が、彼女はただの一歩を大きく拡大する異能を持つ。躱すことは造作もない。ゆえに、殺傷能力という点では刃は虚しく空を切った。


「悪あがきね。終わりよ」


 ほんの数瞬、目を離しただけだった。イリーナの装いは大きく変わっていた。


「ガス……マスク……?」


 目、鼻、口を完全防護する全面マスク。外気を吸収缶を通して濾過する。この場で装面する意味は一つ。

 ガス兵器――催涙弾の使用である。


「……ぁぐっ!」


 催涙弾とは、字義通りに解釈されるような、ただ「涙が止まらなくなる」というような可愛げのあるものではない。粘膜に付着した際の不快な刺激は咳、くしゃみ、果ては嘔吐まで引き起こす。


「待ちなさい!」


 とっさに〈跳躍〉で退いたとはいえ、いくらか目に受けてしまうことは避けられなかった。痛みと溢れ出る涙のために視界は歪んでいた。ただ、敵が去っていくことだけはかろうじてわかった。


「待て! 待てぇぇぇ!!」


 叫びだけが、虚しく響いた。


 ***


「よくやったわ。ミル。逃げられはしたけど、大変な置き土産を残してくれたわ」


 二ノ宮がそういい有沢に見せたのは屋上から回収した狙撃銃である。もっとも、有沢自身は水筒で手渡された水で目を洗いながらもまだひどく充血し、うまく目を開けられずにいる。


「ごめん。先に脚を刺しておくくらいしておけばよかったんだけど……」

「敵の備えが偏執的なまでに万全だっただけよ」

「いや、それよりも……桜佐武郎!!」


 大声でフルネームを呼ばれて、佐武郎は思わずびくつく。


「まだそこにいたの。お仲間があのありさまで、てっきりあんたも逃げ出してると思ったんだけど!」

「イリーナをずいぶん追い詰めたようですね。感心しました」

「舐めてんの? ふざけてんの? 殺すわよ」

「俺はたしかにロシアの工作員でありイリーナは仲間ですが、必ずしもあなたがた生徒会と利害の対立するものではありません。その点はすでにご承知のはず」

「会長を撃ったくせに?!」

「その目的は、二ノ宮会長を五位圏外に留めておきたいというものでした。しかし、今や会長は的場のポイントを引き継ぎ130Pt以上となった。こうなっては会長を五位圏外に落とすことは不可能です。は、ですが」

「いけいけしゃあしゃあと……!」

「我々にはもはや会長を狙う理由は消えました。手遅れだからです。ゆえに、今後は星空煉獄の打倒に注力することになります。この点はあなたがたと利害が一致するはずです」

「そうだな。それが今回の作戦の、もう一つの側面だった」


 答えたのは鬼丸ありすである。


「桜佐武郎の素性については片桐雫がおおよその見当をつけていた。ただ、その脅威度や目的が不鮮明であったために我々はあえてお前を仲間に引き入れることにした。目の届く範囲にいた方が監視もしやすいからだ。だが、会長が狙撃されたことでそういうわけにもいかなくなった」

「狙撃犯の正体がイリーナだとはどうやって?」

「私はただ桜佐武郎を疑っていただけだ。ゆえに、お前には重要な情報を秘匿した。有沢ミルとの感情的対立を装い別働隊を意識から外した。その結果、狙撃犯がロシア留学生イリーナ・イリューヒナであるという裏が取れた。ロシアという共通項から自然とお前との線は繋がる。ましてや作戦現場にいたのではな」

「お見それしました」


 実のところ、会長の狙撃はイリーナの独断であり佐武郎は関係ない。ただ、そのタイミングから鬼丸は内通者の存在を疑い、最も可能性のある佐武郎に目を光らせていた。ある意味での濡れ衣がたまたま正解に近かったというのが真相だ。


「許すっていうの?! こいつを!」

「ミル。私はこうして生きているでしょう? 私が間に合ったのも、佐武郎のおかげでもあるわ」

「だけど……」

工作員おまえたちの真意がなにか別にあればそれも期待したのだが、今回イリーナは特になにもしなかったようだな。できなかっただけかもしれないがな」

「彼女はただ様子を見ていただけです。場合によっては的場討滅にも貢献したでしょう」

「だったらなんで逃げたのよ!」

「……有沢先輩のような方に追いかけられたら、それは逃げるだろうと思いますが」


 涙をボロボロに溢しながら息を荒げる有沢を鬼丸が抑える。その様は滑稽であったが、佐武郎はなんとか笑いを堪えることができた。


「みんなお疲れ様。ラヤを失ったのは残念だったわね。でも、メテオの一角をこうして潰せたのは大きいわ。この際だからぜんぶ潰しましょう。執行部全員で卒業できるといいわね」


 死者一名。重傷者多数。怪我人の〈治癒〉に、佐藤愛子は大慌てだった。

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