第99話 支流の嘶き。2/4
しかし剣の柄を取るには
険悪な魔女の屋敷——従者の如き他の魔女たちに囲まれても尚と敵意は無いと示すべく、カトレアは軽く腕を組み、些か力を抜いた佇まいで息を一つ溢した。
「……投降の要求はセティス自らが断ったと聞き及んでいますので。私が今回、ここに
やがて、道端で知り合いと交わすような面倒げな世間話の如き風体で告げるは挨拶や前置きを幾つか省略した会話の冒頭。
されども警戒は
「——頼み、かい。ずいぶんと舐めた口を聞くね。私らの要求を今もまた断って置いて」
そんなカトレアに対し、先走ろうとした仲間を叱ることも無くレジータがまたも始まる嫌気が差すような会話の前に、渇いた喉を癒す為に向かうのは直ぐそこにあったテーブル。
魔女たちが、たった今しがたまで茶会を
「ええ。しかし——これは交渉でも懇願でも物乞いでもなく、単なる頼みという事は承知した頂いた上で聞いて頂きたい」
「待ちな。その前に確認しておきたい事があるんだ……アンタら、さっき街で起きた事件について何か知ってるかい」
その神妙な立ち振る舞いに、話を進めようとしたカトレアであったが、レジータがカトレアに向けて掌を差し出し制止させて己の問いが先だと順序を説く。
その問いが示すのは事前にセティスが予測していた通り、遠く離れた他の街や人との連絡を取る為の街の施設が破壊された事件についての物なのだろう。
魔女たちは、もしやとばかりに一層と冷たく鋭い眼差しをその場に居るカトレアへと集める。
けれども——言い掛かりも
「……我々は今日の昼少し前に街に入った旅人ですよ。それに我々の動向は常に、そちらの監視下にあったはず……ああ、いえ。今の発言は忘れてください、特に
「ふぅ……そうかい。そうだね、いかにもアンタもあの子の仲間って感じだ」
そういった面持ちの呆れた様子で辟易とした息を吐き振る舞うカトレアの僅かに嫌みの混じった言い分に、恐らく紅茶を啜り、意外にもレジータは落ち着いた反応を見せる。
「良いだろう、それで頼みってのは何だい。話は聞こうじゃないか、
肩透かし——もっと追及を受けるかと思ったと僅かに目を丸くしたカトレア。ほんの僅かな表情の機微にも反応を示さないレジータはその後、ティーカップをテーブルに戻して至極落ち着いたまま真剣な声色で話を進めた。
「——我々の要求は単純です。先ほどまでこの場に居たリダ殿と隣に居た少年……少女でしょうか、それから賢人カジェッタ・ドンゴ殿をこの街の魔女たちで明日の昼……我々が街を出るまで保護して頂きたい」
まぁ——それも、そこまでであったのだろう。
「そうかい、そうかい……リダやトラコ、カジェッタの旦那まで——アンタらが関わった人間の身を案じてるって訳だ……だったら‼」
既に
その勢いは、彼女を知る他の魔女たちも反射的に恐怖に駆られてビクリと驚く程で、普段は温和な世話焼きの優しいレジータの激昂を初めてみたとでも言わんばかりであった。
だが、レジータの解き放たれた衝動はテーブルを幾つかの木片に変えて尚、続く。
「さっさとアンタらが街を出て行けば解決なんじゃないのかい‼ ええ⁉ アンタらが誰と何の揉め事を起こしてるか知らんがね、あの子たちを巻き込む前に街の外に出て喧嘩でも戦争でも好きにすりゃいい、何の事情も語らないままアタシらに押し付けるなんざぁ筋違いも甚だしい‼」
「違うかい⁉ ああ?」
屈強な体格が殊更に大きく見える程に気配を荒立たせてカトレアを見下げて睨み、物事の道理や順序を咆えるレジータ。更に床に砕けたテーブルの脚などを乱暴に蹴飛ばして駄目押しの威圧。
或いは
故にカトレアも、それが解かっているからこそ揺るがず平静を装えていたのかもしれない。
「——街の外に出れば、覆面の魔女セティスを捕らえるべくアナタ方も動き出す。多勢に無勢……その他にも我々は語れぬ事情を多く抱えている。だが当然と関係も罪もないリダ殿たちを巻き込むのも我々としても不本意」
「……」
静やかに怒りや罵倒など何のそのと語るは、己にもまた、己が信ずる——優先すべき
鼻から上を隠す仮面の少し下、頬に触れた哀れな飲み掛け紅茶の飛沫を指で拭いながら放つ言葉は無感情で、とても事務的な印象を受けた。
淡々と、淡々と、
「我々は知っての通り三人だ。各員が一人ずつ護衛に入れば、犠牲を出さぬまま敵の捕縛、ひいては撃退すら難しくなる。この街の力を持つ勢力で、我々が頼れるのはアナタ方だけだ」
凛々しい声色で己の主張を続けたカトレアは、さぞレジータにとって眉間の血管が険しさを増す事も無理からぬ存在であったに違いない。
だからこそ、歯を噛み締めて再び怒号へと至る。
「そんな事は——聞いちゃ居ないんだよ‼ 私らの街に、訳も話せないような揉め事を持ち込むなって言ってんだ‼」
「心が荒立つ振る舞いなのは理解しています。しかし、話せば不都合が生じる事はままある事でしょう……この街の下で
されど幾度と怒鳴り散らそうが風に揺れる柳の如く言葉は規則的に返ってくるばかり、いや或いは風に巻かれる針葉樹の葉。僅かに硬く鋭く、頬を引っ掻くような皮肉な物言い。
それは、まさしく怒りに燃えるレジータに水を掛けたようでもあった。
「——何の話をしているのか、分からないね。それよりも……協力して欲しかったら事情をまず話す事だ」
一瞬だけ怒りが海辺の波の如く揺らめく様は、これまでが怒涛の物言いであったが故に際立ったものの、それも一瞬の事。レジータは直ぐに虚を突かれた心を持ち直し、やや静やかな口調で話題を逸らす。
そんな事では逃げられない事は、解ってはいても無意識下で彼女はその話題を避けたのだろう。
「今の口振り……魔法の研鑽と研究を至上命題とする魔女が、この街の異様に気付かない筈はない。まぁ私は魔女の規約などは正確には存じ上げませんが、この橋の下で魔女バミラという方が行っている行為は倫理的に魔女の法に触れたりはしないのですか」
当然、そのレジータの心の移ろいを流し目で見たカトレアが彼女を慮り、逃がそうとしないのも道理。カトレアは瞬きの為に瞼を閉じるその前に、
「……そりゃ脅しのつもりかい」
「脅し? いいえ、私としては単なる批判のつもりだったのですが。我々はアナタ方に利など求めていませんよ」
怪訝な表情で睨むレジータ、返されるは幼子の遊ぶ様に贈るような和やかな微笑み。
その笑みが——彼が浮かべる笑みに似ている事を知る者は、この場の何処にも居ない。
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