第95話 大河の流れの如く。1/5


時は少し流れた。淀みなく風が流れる平穏な草原の只中ただなかで、不吉な面立ちの黒き首無しの馬がいななき、勝負の決着に聞こえるはずのない鳴き声を荒げた。



「たぁ~、またちまったな。そろそろ負けが込んできやがった」


そんな最中、決して負けを悔しがっている様子もない悩ましげな顔で頭を掻きながらイミト・デュラニウスは腑抜けた声で、前のめりだった猫背ぎみの背中を後方に逸らして椅子の背もたれに体重を預ける。


「……に気を散らしておるからであろう、舐め腐りおって——つまらぬ、今日は此処までだ。そろそろ夕刻だ、貴様は飯の支度でもしておれ」


斜陽の、やがて焼けるような赤に染まるだろう平原に伸び始めた幾つかの影。盤面越しに漆黒の駒が佇むテーブルに別たれて、イミトへと言葉を返す勝者クレア・デュラニウスは勝利したとは思えぬ対照的な不機嫌に眉を顰めて風に踊る白黒の髪に苛立って瞼を閉じた。


「俺のやり方に慣れてきたからだろ? 流石に何回もやってるとくせが見抜かれてくるからな……挑戦して色んな手を考えてるソッチと、手の内を出し続けて削られてるコッチとじゃ、差がちぢまるのも無理はねぇ」


そんな彼女の不機嫌に、イミトは機嫌を取るように小首を傾げて笑みつつ己が敗北を喫した理由を冷静に分析して自嘲気味に言葉を並べる。


しかし、やはり悔しさは感じられない。


うそぶけ。明らかに気を抜かし、読みをたがえておったろうが。貴様らしくもない」


「プロでも機械でもねぇんだ。読み忘れのポカミスくらい普通にするさ」


たかがを用いた遊戯ゆうぎであったからか、真剣みに欠けた勝負にクレアは不快を禁じ得ない様子で。その上にイミトが敗因を誤魔化している事が増々と不愉快だと彼女は主張する。


「ふん。そうやって否定する辺りがを気に掛けておる証拠よ……連絡が来て以来、明らかにを途切れさせておった。心配なら心配と言えば良かろうに」


時は少し流れていた。


白々しいイミトの素知らぬ態度に、イライラと反吐を吐くように言葉を吐き、テーブルの上の盤面の傍らに置いてあった通信機代わりの魔石を彼女の手の代わりでもある白黒の髪は握り締め、イミトの前へと不機嫌に叩きつける。


彼らの仲間である魔女セティスからの緊急連絡が届いて以降、が無い。


臆病とも言える程に、ありとあらゆる可能性を考えてしまう呪われているような思考回路と、彼女らを問題が起きたバルピスの街に送り込んだ責任が軽口を叩く普段通りの態度の裏で見え隠れしていると彼女は察していたのだ。


しかしながら、


「……そう言われると死んでも言いたくなくなるな。まぁ——ここから更に誤魔化す方便をひねりだすとしたなら、気になってるのはリオネル聖教の動きの方だよ」


彼はそれを認めない。不安に駆られる己の心を見透かされないように瞼を閉じながら、クレアがテーブルの前に置いた通信機の魔石を押し退ける。そして彼は、その向こう側の盤面に改めて手を伸ばして幾つか動かされていた駒の位置をに戻す作業を始めた。



「アディ・クライドとかいう男の事か。我は姿を見てはおらぬが、カトレアやセティス……貴様の口振りからも相当に厄介な実力がうかがえる」


「たぶん見立てだと……どんなが分かりやすいか解らねぇな——デュエラの身体能力にセティスの状況判断能力を足して、カトレアの真面目さをまぶした感じか。魔法も相当だ、少なくとも雷と炎は使える、魔法剣って表現の方が近いな。おもに身体能力の向上に魔力を割いてるタイプだ」


——或いはこれまでのから得てきた情報を整理し、口にするイミト。余程の警戒か、つらつらと淀みなく並べられた言葉の端々に淡白ながら彼の男に対する面倒な心情が滲んでいて。



「ふむ。ではあるな……いずれする時が楽しみではある」


その口振りから、クレアも少しだけ興味を惹かれたのだろう。盤面の駒を定位置に戻す作業をしているイミトの顔を横目でサラリと眺め、そして未来を眺めるように再びと瞼を閉じる。


だが、既に


「——の相手は予定だ。今はそれより、リオネル聖教——というよりレザリクス側の動きの話だよ」


先々を見据えるイミトの眼差しは瞼を閉じてクレアが行おうとした夢想を、まるでネタバレをこぼすように断絶し、盤面に置く駒の音を少し大きく響かせ、意識を逸らす。



そしてイミトは盤上に強く置いた駒からクレアへと眼差しをすらりと強く向けた。


「む? リオネル聖教がバルピスの街に現れたのはバジリスクを討伐する為の何らかの任務、作戦を行う為ではないのか。貴様もセティスの連絡を受け、そう予想しておったろう……何故そこにの名が出てくる」


見当違い。今見据えるべきは五手先でも三手先でもない、一手先——間近の事柄。

そう語るイミトに、クレアは疑義を唱える。



何の気無く買い物のお使いを頼んだだけの近場の街が、そこまでのであるのかと。


するとイミトは再びと、駒を並べ直す作業を再開させて言葉を続けるのだ。



「リオネル聖教の軍が、そういうつもりなのは間違いねぇよ。ただ——戦争真っ只中の戦場からアディ・クライド並みのを離れさせてまで、バルピスの街で始めようとしている作戦を、したのかで——は大きく変わってくる」


クレアの疑問に答えつつ改めて己の考え至った思考を並べるイミト。そうすれば心なしか、クレアの目にはイミトが盤上に綺麗に並べ直している駒にすら意味があるのではないかと思えてきて。



か、か。その作戦の裏でレザリクスらが得する何かがあると、またりもせずに貴様はにらんでおるのか」


意味深い言い回し、さとすようにつむぐ言葉。イミトが動かす駒の動きに目線を動かしつつ、やがてクレアはイミトが腹に抱えている予測の一つを悟り、彼がに見せる世界を見据えた眼差しの如く——彼を鋭く睨んだ。



「はは、懲りもせずたぁ……言ってくれるもんだ。まぁ幾つかのパターンは想定しているものの、今は作戦の内容や方向性自体も分かって無いし、は——もうじきに来るセティスの定時連絡待ちだな。今頃、牢屋の冷や飯でも食ってなきゃの話ではあるけどよ」


一方で気楽な面立ち、あくまでも昨晩にでも見た悪夢の話を語らうように盤上の駒を恐らく定位置に並べ終えてイミトは今一度と背もたれに体重を預け、一段落と傍らに置いていた黒い器に入った飲み物を口に運ぶ。



「——……少しは信頼してやらぬか。特にデュエラには内密で偽名を語る練習までさせておったろう……


「信頼は裏切られるもんだ。予想外も予定外もある……今頃、俺よりも素敵な男たちに出会って宜しくしてるかも知れねぇしな。他の事がどうでも良くなるくらい」


それからクレアの神妙な諫言かんげん馬耳東風ばじとうふうと、見渡す限りの平原地帯に改めて視線を流し変化が無いかと思い馳せる。



遠く、遠く——見果てぬ悪夢が湧き出るような世界の地平の向こう側を想像し、呪われた眼の疲れ目に辟易と自嘲の笑みを溢す様に閉じられるまぶた。吐いた息は軽いが、明るくは無い。


「……くだらぬ。を否定して欲しいのならばを間違っておる」



けれども、そのクレアの指摘と時を同じくして、



「は、違いねぇ——噂をすれば、だ。直接、本人らに聞くとするよ」


にわかに光を帯び始めた先ほど押し退けたばかりの魔石への反応は早く、ゆるりと表向きの感情をクレアの手前、いささか自制しながらも手に取る様は僅かに安堵あんどに満ちていて。



「それが出来るなどあれば、そのように思い悩むことも無かろうよ」



故にクレアは、そんなイミトの情けなさに呆れるように穏やかな平原のそれに似た——溜め息を吐いたのであろう。

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