第94話 谷塞ぎのバルピス。4/4


まぁしかし——それも何処に何処まで手を伸ばしているかも分からぬが、さりげにと顔を出すまでの話。


「——ワタクシサマの名前は——デューラ・メラ・シフォンケークなので御座いますよ。これで満足で御座いますか?」


「デューラ・メラ・シフォンケーク……?」


明らかにラフィスは、その少女の回答をしていなかったのだろう。これまでのセティスの立ち振る舞いや様子から、彼女は何も知らずに指示に従うだけの、のうのうと生きているだけのだとでも思っていたのだろう。


明確な動揺が、吊り目な細目が少し見開かれた事でそれが如実にょじつに見て取れた。


「はい。覆面の魔女、セティス様のをさせて貰っているので御座います」


「……では無いのですか。では、その顔の布は何の為に?」


苦境——勝利を確信した直後にくつがえされた状況に平静はくずれ、僅かに慌てた様子で平穏な少女のたたずまいに目を鋭くするラフィス。


「あっ、この顔布は——セティス様の覆面に憧れて真似してるモノなので御座いますよ? やっぱり変で御座いますですか。それと——ワタクシサマも顔に傷が多く残っておりますので、ワタクシサマの顔を見た方様の不快にさせないように隠しているので御座いますよ」


「……」


しかし——つらつらと、つらつらと恐らく顔布の裏では悪意無き素知らぬ顔が展開されているだろう声色は、セティスの静かな眼差しは勿論の事、ラフィスの睨みなどにも一切の影響を受けずに揺るがない。はたから見れば、嘘など吐く際の戸惑いなどは微塵みじんも感じさせないものであった。


「——はぁ、デューラ。もう良いから、それ以上は喋っては駄目」


「え⁉ もしかして教えてはいけなかったので御座いますか⁉ すみませんなのですます‼」


思考の果てに頭を重く悩ませるように頭を抱えながら気怠けだるくセティスが——否、デュエラへと諫言かんげんを告げる。その後の少女の戸惑いも、嘘は語った後ろめたさは無い様子で。



「——満足しましたか、ラフィスさん。彼女は名前を語ってくれました、嘘を吐いて居る様子にも思えませんし……税関が彼女たちを街へ通した事も考えれば、最早この場で彼女を問い詰めるは我々には無い」


故に状況はセティスらにとって——この場において、何の裏事情もかかえぬアディ・クライドの手前、大義もなく強引に彼女らを尋問する事は周囲の人間にラフィスに対するを抱かせる結果になるだろう。


今後の状況や展開——あらゆる事情を加味すれば、ラフィスにとってもはリスクが高まるばかりの物であった。



の通り、その剣を今すぐにおさめてください。これ以上……聖騎士の名をおとしめるような振る舞いを続けるならば流石に私も黙ってはいられませんよ。強引に押し通りますよ」


「……」


ラフィスの肩を掴む黄色の髪を頂く好青年の、これまでに無い程の真剣な眼差しと肌に電流が走るような感覚を抱かせる気配のたぎり。とラフィスもさとり、まぶたを閉じてセティスに突きつけ続けていた剣を引き、さやに戻し始める。



その同僚の様子に、聖騎士アディは一旦の安堵あんど


しかしまだ気は抜けぬと姿勢を正し、次にアディが心持ちを整えた表情で正面を向いたのは、セティスとカジェッタの居る方角。


そして——

「申し訳なかったセティス殿、デューラ殿……そしてカジェッタ様。多くの非礼、同じ聖騎士として私も侘びさせて頂きます。我々は一度、引き返しますが——また時を改めてカジェッタ様に今一度、相談を受けて頂きたく次は私一人で馳せ参じたいと存じます」


礼節正しく腰を少し曲げて頭を下げつつ、不機嫌に佇む同僚のラフィスを背後に控えさせる格好でアディが口にしたのは、別れと再会の一方的な契約と承諾。



「では——、セティス殿。イミト殿によろしくお伝えください、出来ればこのような形ではなく、ゆっくりとお話しできれば良かったのですが」



「……イミトが嫉妬するから、どのみちゆっくり話すつもりは無い」


 「はは、相変わらず信頼し合っている様子で何よりです」


こうして去り際、きびすを返す最中に交わされる最後の会話。セティスの無表情の冗談を、彼は些かと呆れるように笑う。


時を同じく、渋々とラフィスもセティスらに背を向け、アディよりも先んじて店外へと通じる木製扉を押し開けていて。そのセティスらからは見えぬ表情の裏には、如何ばかりの腹立たしさと歯痒はがゆさがにじんでいた事だろう——


そんな事に想像を巡らせつつ、セティスは何も知らない哀れなアディの背にも視線を流し、そして幕引きのように冷淡な瞳を懐かしく思える静寂の闇へとひたすのである。



***


 その後、カジェッタの店の中には嵐が過ぎ去った後の如き虚しさが残されて。


「ふぅ……デュエラ、もしかしてイミトの?」


ポツリとこぼれる呼吸音、その音をまぎらわせるように床をつたう足音はデュエラの立つ方向へと向く。セティスにとっても、ラフィスが名を尋ねた問いに対する受け答えは、予想外とは言えずとも予想以上の物だったのだ。



「あ、はいなのです。もしリオネル聖教の方や他の人様に名を聞かれたら、ああいう風に答えるように言われていたので御座いますよ」



「偽名は書類上でもそうだから兎も角……あの男は本当に不愉快。最初から可能性をしてた」


揺らめく黒い顔布の裏、純真無垢な少女が平然と嘘を吐けたのは恐らく——

彼女の信ずる者に対する揺るぎない——とでも呼べば聞こえがいい狂気ゆえの物なのだろう。


セティスは、そんな彼女の背後で悪魔が舌を出してわらっているように思うと同時に、少女の純真さに対して危うさも感じる。


明らかな、純真であるが故の染まりやすさを改めて認識したのであろう。



「——なんだい嬢ちゃんら、やっぱりかい」


けれども、今は幸いした彼女の性格が後に及ぼす影響よりも、先に対処せねばならない事案が未だ散見と積み重なっている。聖騎士の去った店内で彼女らの様子をうかがっていた店主カジェッタへの対応もその一つであった。


「まぁ、そう。でも、別に何かに追われている訳ではない。リオネル聖教とは少しだけ……今後の協力を得る為にもアナタは信用できそうだから情報を開示すると彼女はり」


聖騎士が店を去り、安堵を愛しく抱いたが故に油断して秘密を吐露した訳では無いと語るセティス。聖騎士たちにデュエラの名を知られぬ対応に追われていた彼女ではあるが、その最中に小耳に挟んでいた幾つもの事柄は未だ耳に残っている。



「——メデューサ族、。なるほど……そいつは確かに今の情勢も相まって相当に相性が悪いな。【】のに守られちゃ居るが、俺達ドワーフも多少なりとも気持ちは分かる。しかしだと? まさかテメェらも橋の下の迷宮に行きてぇなんて言ってくれるなよ」



「そんなものに興味は——無い訳では無いけど、教えて欲しいのは



「この街の橋の下に何があるか——リオネル聖教の目的のヒントが欲しい。出来る限り多くの情報が必要。対価は、そこの……二枚でどう?」


まさかとは思いつつもいぶかしげなカジェッタを他所に、ユルリとまぶたを無感情とも思える深い瞳の色合いを強めて尋ねるセティス。


——ここに現れた予期せぬリオネル聖教の登場は、であり、世界の動き——敵の状況を把握する為の貴重な。思わぬ



その鍵を握っている者こそ、目の前の老賢人カジェッタ・ドンゴなのである。


この街を訪れた本来の目的である情報収集の機会に際し、眼光を強めるセティスと見つめ合うカジェッタ。


彼はしばらくの思考の後、眼精疲労をねぎらうように目を閉じておもむろに指で目頭を押さえる。


そして——語り始めたのだ。



「——金なんぞ要らんさ。老人の愚痴を若者に売りつけるつもりはねぇよ……そっちの嬢ちゃんには、さっき話したが橋の下には馬鹿デカい化け物が封印されとる。この街で一番古い橋の馬鹿デケェ支柱は本来、山と山をつなのもんじゃなく、その化け物を封じておく為のいしずえだった」


の嬢ちゃん……アンタぁ魔女としてを見て、何かと思った事は無かったか?」



「——直ぐに思い付くのは。地下のが豊富なのかもと思っていたけど、それでも流石に潤沢じゅんたくに溢れすぎている」



「そういう事だ……この街は、を利用して発展を遂げた街なのさ。それが——どれ程の危険なのかををしながらな」


巨大な山橋の街バルピスの橋の下で覆い隠された秘密と、賢人などとはやされた愚かな己の後悔と絶望を。中身が酒では無い酒瓶では酔えもしないと、重苦しい溜息を吐きながらに。

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