第88話 橋の上の出会い。3/4

***


けれど、この街に住むリダにとってセティスらが欲している情報は隠す必要が無い物である。


故に容易に彼女はそれを一行に語った。


「……やはりジャダの滝におけるツアレストとバジリスクの争いは苛烈になっているのですか」


元々、ツアレストという王国に仕えていた女騎士カトレアはリダから聞いたばかりのその情報を基に、神妙な声色で仮面越しに街案内のリダに周辺地域の不穏な動きの確認を取る。


「——ええ、そのようです。先んじて危機を察知した商人たちを始め、戦地であるバスティゴの非戦闘員や近隣の村々の者も続々と避難を始めておりまして……このパルピスの街の政治経済の状況を圧迫し始めております」


おおむね、伝聞から導き出していた予想通りとはいえ、客観的に見た第三者視点の情報によりグッと予測の信憑性は増し、終わりに差し掛かる昼食が進むテーブルの周りは些か重苦しい雰囲気。


「他には傭兵として一稼ぎしようという者たちも、この街を経由してバスティゴへ向かうべく滞在していたりしますね。中には気性が荒く、問題を起こす者も居ますので、お気を付けになってください」


己が語った情報が、どのように活かされるかも知らぬまま、つらつらと善意で言葉を紡いでいく街案内のリダ。セティスらから頂いた昼食を上品に食べ終えて手持ちのハンカチーフで口元を拭う。


その時、会話の隙を突いてか、ウズウズとチラチラ、


「——リダ様は、兎の獣人族なのですか?」


テーブルの端でリダの姿に顔を動かしていたデュエラが、率直に首を傾げながら素朴な様子の声色で無垢に尋ねる。彼女は知らぬことかもしれない、或いは無自覚ゆえの発言。


それは——些かと繊細な話題であった。


「え……ああ、はい。ラディカ族の末裔です……もしや獣人はお嫌いでしたか?」


これまで忌避されていた事柄を、何の脈絡も悪意も無く唐突に尋ねた無垢な少女の声色に、獣人亜人のリダは戸惑いつつ薄らと苦笑いを浮かべる。



されど、やはり彼女は無垢だった。


「え、そんな事は無いのですよ? ワタクシサマ、獣人族の方とお話するのは初めてなので聞いてみただけなのですが」


知らぬ事を無知だとののしる者が無ければ、誰が彼女を無神経と非難出来よう——始まりの一歩を始まる前に踏めなどと滑稽を宣う者があらねば、誰が彼女の無垢を責められよう。


彼女は、そう悟らせる程に平然と言い放つ。


「あ……そうなのですか。それは幸いでした……あと、私の事は気軽にリダとお呼びください」


影を際立たせる輝かしき光明、その一瞬の煌きにリダは僅かに呆然と——そして何かに思い至り、些か表情を曇らせたような、或いは安堵したような複雑な表情で、その後に愛想笑いで感情を誤魔化す。己を見る客に悟らせぬよう、さもすれば己自身をあざむくように。


「——その子は少し世間知らず。不快な思いをさせてしまったら私から謝る」


「あ……いえいえ、すみません。こちらこそ、少し過敏な反応をしてしまいまして。どうかお気になさらず」


それらを察するセティスの補足に、愛想笑いが固まったままのリダは目を泳がせながら、やがて心を整えるように静かに目を伏せた。


様々な人種、洞窟広場の隅々を見渡しても一様では無い山橋の街バルピス。

人々の生活の中で思わずには居られない事も多いのだろうと匂わせる。



されど、イチイチとそれらに噛みついて居ても、ままならぬ生活。


「兎のラディカ族……私個人としては些か縁深い物を感じずには居られませんが……それよりも今は、今晩の宿の心配でもしませんか? 人で溢れているのなら、泊まれる宿も多くは無いのでは?」


彼女らもまた、敢えてそれらを見逃して気を遣い合う様子で話を進める。


「そうですね……正直な所を申しますと、安価というか一般的な宿屋の方は、もう満室となっているでしょうか。割高で悪評も立つような空いてる宿を勧めるわけにも行きませんし……」


女騎士カトレアの将来に憂いに、街の案内役としての職務を果たすべく改めてと息を整え、思考を始めるリダ。これから本格的に街へと入る前に、彼女は先を見据え、記憶の街の戸を叩くように言葉を紡ぐ。


そして——

「私としましては、今の状況ですとリオネル聖教の修道院をお勧めいたします。多少の労働と寄付が必要ではありますが、皆様は女性ばかりで信用を得やすいでしょうし、少ない金銭で快く引き受けて頂けるものかと」



「——リオネル聖教、ですか」


一つの提案、何の悪意も無く案内役が善意で勧める最良の選択——仮面で顔を隠す者たちの事情など知る由もなく行われるリダのその提案に、カトレアは重い声色で異を示す。


躊躇い、戸惑い、背徳。

まさか、その提案を断られるとはリダも思ってはいなかったのだろう。



「修道院は嫌いなの。他にお勧めは無い? 多少なら割高でも構わない、荷物を安心しておけて適当に寝られればいいだけだから」


「え。ああ、はい……でしたら幾つか心当たりを当たって見ましょうか」


理由を問われる前に表面的に理由を語るセティスの拒絶に、些かの驚愕を淡と漏らしたリダ。兎耳が彼女の動揺を如実に語るが如くピクリと揺れて、他に何か提案できる事は無かったかと、決めつけていた物を崩したような色合いを瞳へと映した。



だが、リダの戸惑いが殊更に増す異様は未だ続く。


「面倒を掛けると思うけど、宜しく。手付金はこれくらいで良い? この街を出る時に、追加で残りは払うから」


セティスがそう変わらぬ鉄面皮で僅かに申し訳なさそうに告げた後、テーブルの上を滑らしながら一枚の硬貨をリダの前へと差し出して。



遠く——天井から降り注ぐ白き照明に輝く銀光。


「銀硬貨‼ い、いえ……そのような料金は——‼」


それは、思わずとリダが身を仰け反らせる程の価値のある物、だったのだろう。



「……静かに。色々と、気を利かせて欲しい所もあるから」


されども彼女らにとっては、たかが一枚の硬貨でしかなく。



「えっと……銀硬貨は、確か銅硬貨が五百枚分くらいでしたで御座いますよね?」


「はい、その通りです。よく学んでおられますね、デュエラ殿。一般的な人々の半月か一月分の生活費相当に当たりますか」


小市民らしいリダの動揺を他所に遠巻きでデュエラとカトレアもまた、セティスと同様に水筒の水を飲みながら一息を突きつつ何の事は無い会話を交わしている。


「そのように平然と……幾ら物価が高くなっているとはいえ、私のようなガイドに支払う金額としては余りに法外で——」


しかし、やはりか、頬を伝う冷や汗の気配。当初から思っては居たが、怪しげに顔を隠す一行の怪しさが増々と印象強く際立つ一幕。兎の耳の本能が、関わるべきではないのではないかとピクピクと反応し続けていて、或いはオドオドと街は日常であるかと問うように目が泳ぐ。



背後に些か仰け反ったままで銀の硬貨の一枚を恐れるようなリダは、考え直して欲しいとセティスへと言葉を慌ただしく積み上げようとしたのだ。


だが——

「危険を感じて受け取れないならガイドを降りてくれても構わない。次の人は呼ばなくていい……足元を見られるのも不快だし。貴方だから払おうと思っただけだし」



 「なぜ私に……そのように」


「貴方が役人に信頼されてると思うから。それ以上の答えは無い」


どうやらとセティスもゆずる気は無いらしく、銀の硬貨をリダの前で放置した後、自身もまた最早、放置した金銭に興味も無くなった様子で水筒の水に手を伸ばす始末。



そして話は価格ではなく、次なる話題、


それは、まぁリダと同じくだろう小市民気質に近しいカトレアから放たれる。


「セティス殿……その説明では、我々が悪事を働こうとして賄賂わいろを贈っているように聞こえるのですが。念のために聞きますけど、そのような予定は無いのですよね」



一応と、財布の管理を任せているセティスを信頼して居ても尚、浪費では無くその後の行動には怪訝な目を向けている様子のカトレアである。


しかしやはり答えは淡々と。


「無い。あんまり変な勘繰りや憶測を避けて街から穏便に去っておきたいだけ……滞在中は守秘義務を徹底して欲しい。女の子の一日は秘密にすべき事だから」



「「……」」


リダとカトレアの二人はセティスのその回答を聞き、疑いを始める——セティス・メラ・ディナーナもまた、金銭感覚に疎いデュエラと同様に、いや——さもすればデュエラよりもタチの悪い浪費家なのでは無いか、と。


色々な意味で、それぞれ心配になったのである。

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