第82話 薄幸の双眸。4/4

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ロナスの街の東の上空にて吹雪がすさび始めた頃と等しき時、想われた彼女は北の森の深淵しんえんにて眠りから覚めたように静かに瞼を開いた。


「……やはり世界は恐ろしいものです。此度こたびの経緯、人々の無自覚な悪意、世界にうごめく脅威の数々。魔王を討伐し、帰還した姉と再会したから——私は、その世界の巨大さを感じてを諦めた」


そうしてつぶやく彼女の独り言は夢は決して現実では無いと嘆くような重さを帯びて、東の空から流れてくる重い冬の曇天どんてんが創り出す影と相成り、木陰で息づく腐葉土の如き湿しめりけを感じさせる。



「あの姉の……あの強かった姉ですら、過去を思い出して震え、悪夢にうなされ、叫んで起きる。昔の話、外の話を何一つ語ることも無く、同胞の皆が姉の偉業をいくたたえようと、浮かべる笑みは作り物のよう」



「外の世界に憧れていた私と目を合わせなくなった。姉は変わってしまった」


戦いにおもむく正装、森の闇の色に似た黒の絹地の妖艶な衣擦きぬずれの音ともに森を往くエルフ族の彼女。過去から溜め込まれていたのだろう吐息に、しげる森が木の葉を一つ、また一つと彼女の心から放たれる想いに染まるように落としていく。


「過去を忘れるように一心不乱に懸命に一族の為に働き、一族の皆に認められたリエンシエールとなって尚、争いにおびえて周辺の折り合いに悩み苦しみ、顔色をくもらせる」


「私は——そんな姉の苦悩を知りながら力にはなれなかった」



後悔はある。むしろ後悔しかない。



「私を避けていた姉に触れる事が、姉を苦しめる事になると言い聞かせて」


 「姉が憎かった訳では無いのです、一族を恨んでいた訳でもない」


変化や失敗を恐れ、失態や失望を恥じて、


「ただ——この静かな森のように、何も語らねば平静が続くと信じていた」


 「何もせぬ事が、身をゆだねる事だけが、静かな日常を保つ行いだと信じていた」


「自分には——何も出来ぬと信じていたから」


己を責め立て、怯え、諦め、嫉妬に狂い、何も行う事が出来ぬ己。



「——ですが今、。この世のよどみを吹き払うように」


しかし今、心を深く沈め込んだ薄幸の双眸そうぼう一抹いちまつの光が宿りて。



「既に私の心に風が通り抜けたように、一切の迷いは無い」


東よりきたれる冷たき風をね退けるように薄幸のエルフ族の彼女の身から不穏な魔力の圧力が溢れ、あたかも森が彼女の感情に呼応するようにざわめくのだ。



「姉のように美しいは放てずとも、夜の闇のざわめきが今、森を荒らす敵の耳に警告を鳴らす」


そして前方に差し出された腕、服のそでから伸び始め姿を現し始める白と黒の二本の茨蔓いばらづる。よくよく見れば、彼女の足下にもいばらが張り巡らされ始め、まるで彼女につかえる兵士の如く森の端々へと勢力を伸ばし、


かしずくように這いずり森のあちらこちらへと触手を伸ばす。



『森を守りし先人たちよ……我が支配を受け入れ、今一度奮起ふんきし、静穏せいおんなる夜の眠りをさまたげるよこしまな無礼者に畏怖すべき森の姿を魅せしめよ。全ては安寧あんねいの森の行く末が為——』



『【白夜フリューニステラビーシュカ】』


例えるなら呪われた森の王女の如き佇まい、やがて森の茨は彼女の号令を機に、一斉に既に森へと侵入しているだろう目標とされる敵を探して森の隅々まで、その魔手をうごめかせる。


***


そして語ろう。言い放とう。

何も知らぬ、知ろうとしなかった哀れな者はと呪うのだ、と。


「やっとで抜けれた……何だったんだ、ありゃ一体……」


魔素の波長を乱す波動と共に現れたロナス街の結界——天井のわずかな隙間をくぐり抜け、まだ名も名乗れず名乗る気も無い黒い煙状の敵は、ロナスの街より北に位置する森へと逃げ込み、愚かにも現在進行形の過去を振り返る。



「分かってる。仕業しわざ……アイツらの仕業に違いない。警戒はしてたはずだ……レザリクス様から直々に釘も差されて、アタシだって馬鹿じゃない細心の注意をしてたはずだ」


「それなのに……まだ……ここまで、ここまで対策されるなんて思いもしなかった」


予想だにしなかった魔力の波動を受け、調子をくずした様子で空中を揺蕩たゆたいつつ、森の樹のみきを伝うように何処かへと進む黒煙。



「アレはヤバ過ぎる……こんなの、イカレてやがるとしか……」


脳裏に浮かぶ一人の男をにらむが如く、やはり顔の部分なのだろう煙の先頭の凹凸を歪ませて、述べる感想。されども——、


「でもだよ。報告しなきゃ……ここでアタシが見たもの全てを、事細かにに活かすんだ……の為に」


——逃げおおせた、計画を致命的に失敗へと追い込まれながらも、命からがら追っ手を避けて森へと進むこの呪われた罪深き身が一つ。明日のある身と信じて一切を疑わず、野心溢れる眼差しを信仰方向へと向けて強く進む。



「これまでも……にあっても、そうしてきた……よう——に?」


されども何故なにゆえに、などと信ずる根拠があるだろう。

慈悲も無き、世界のゆがみをいだうらんだその身で。


少なくとも——あの悪辣な男の口軽な魔手は問うに違いなく。


『——……見つけました』


よって森の牙は、何処からともなく響いた声と共にざわめく唐突な一陣の風の如き喧騒けんそうの中で《む》剥き出しに彼女を襲うのだ。



「かっ——⁉ いば……らぁ⁉ カラダが、⁉」


背後より猛烈な速度で煙状の身体を貫く白と黒の茨が

彼女は突然の衝撃の刹那、と言葉で表す。



「——……です。の答えを、今一度アナタにに参りました」


体を突き抜け、煙を散らした二本の茨の鋭い先端は煙状の敵の進行方向へ先回るや球状の絡まり始め、一人の女性を産み落としたかのように世界へと解き放ち、



「アンタは⁉ エルフ族の——リエンシエールの妹‼」


 「名はレネスと申します。このいばらは——瘴気などの穢れた魔素を封じる封印結界術、白は瘴気の探知、黒は周囲の魔力を吸い取る性質を持つ」


突然と姿を現した薄幸の双眸は既に力強く覚悟を持った眼差しとなりて、因縁の再会にうれいの影を一欠片と滲ませない。


——レネス。やがて彼女は何の躊躇ためらいも無く己を名乗り上げ、白と黒の茨蔓いばらづるまといて、敵へと覚悟を告げゆくのだ。



「見逃しませんよ、。森を守護するとして‼」


 「このっ——森臭いがぁ‼」



英雄とたたえられる姉が衆目しゅうもくの中でその日、妹は誰にも見られぬ森の深き暗がりでいどみゆく。



全ては——の如きで踊る傀儡くぐつのように。

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