第67話 最凶の信頼。3/5


***


眠りについたユカリに変わり、本来の体の持ち主であるカトレア・バーニディッシュが目を覚ますのに、そう時間は掛からなかった。


精々と一息を突く時間ほどであろうか。

故に、一瞬の痙攣けいれんのち——



「ん……ここは——‼ ???」


涙にまみれた声は引き継がれ、寝起きの動揺と相まって滑舌かつぜつにぶらせる。



「な……なんだコレは……私が、泣いでいるのか? すぅん」


自身のあずかり知らぬ所で自身の身体が流していた涙に戸惑い、無意識に鼻を啜ったカトレアは濡れている掌ともどもに何が起きたのかと自身に他の異変が無いかを確かめて。



だが、その答えを知るイミトが放つ答えは、



「アンタは泣いてねぇさ、そりゃユカリの涙だ。間違えんじゃねぇよ」


いつわらねどしんには迫れぬ曖昧な色合い。少し手綱たづなを引き、馬車の速度を落としつつ気になったカトレアの言葉のみを否定する。



「……ユカリが泣いていた?」


「そんな事より、俺に聞くべき事があるだろ。これで顔を拭いて少しは落ち着け」


暗に示した事実にカトレアが反応すれど、敢えての無視で片手に黒い渦を灯し、黒い布のような物質をカトレアへ差し出して強引に話を進める。



「——‼ そうだ、ここは何処です‼ あれから何処に向かっているのですか‼」


すると、ユカリと人格を入れ替えさせられる結果となった憂慮を思い出し、彼女は時を逆巻かせた様子で受け取った黒い布を握り潰してイミトの肩に掴みかかった。


——、己が仕えていた郷国に及びかねない危機に際し、心落ち着かずに単独で向かおうとした彼女がイミトの肩に掴みかかった力は今も尚、尋常ならざる焦りを如実にょじつに表している。



だが、

「矢継の森だよ。お望み通り、急ぎ目で向かって現在は入り口間近だ」


 「——……そ、そうですか」


何事もなく意にも介さずに静かに落ち着いた平穏でイミトが淡白に彼女の問いに応えれば、反省室での時の経過の成果があったようで肩透かしを受けたような呆けた表情で冷静さを取り戻すに至って。



「「……」」


そこからは、僅かに沈黙。ユカリの時とは異色な気まずい雰囲気が御者台の上に漂い始め、もうじきに辿り着く巨大な森の姿も地平線一杯を満たすように真横に広がり始めている。



「確認だが、矢継の森の中に魔王石とやらが封印されてる遺跡があるんだよな」


故に、いつまでも沈黙で過ごすという事も出来なかったのだろう。無論このままでは居心地が悪いというのも相まって、またしても語り出すのはイミトの方。


「ぇ……ああ、はい。地図には記されては居ませんが、矢継の森を抜ければ近郊の都市ロナスが存在します。そこには、リオネス聖教の支部もあり魔王石の監視や防衛をしているのです」


人見知りの如くぎこちなく始まる会話に、ユカリの涙で濡れた頬などをイミトから授かった黒い布で拭きつつ、カトレアも言葉や口調を整え始める。



「やっぱり詳しい感じだな。この国の人間には有名な話なのか?」


「いえ……魔王石の封印に関する細かい情報は基本的に秘匿ひとくされていますし、魔王石の封印場所は一年ごとに行われる祭事で、封印場所を公にしないまま巡礼の如く移り変わる。その詳細を知るのは本当に極一部の人間のみです」


意図的に馬の速度が落ちて、ほんの些細な時間の調整は、まるで周囲の空気さえもカトレアとイミトの談話に耳を澄ますような雰囲気まで浮かぶ状況。



「——私がそれを知っている理由は、都市ロナスの上層部に親戚にあたる人物が居て、そのような話を小耳に挟んでいたからでした」


「うーん。まぁ無い話じゃないな、でも警備の増員や人の移動で魔王石の場所ってのは大体わかりそうなもんだが……隠してるって感じはしないな」


怪訝けげんに指先でひたいを掻くイミトが偏見の瘡蓋カサブタを剥がすようにカトレアの語る釈明に耳を傾け、思考する一幕。


魔王石の封印された遺跡があるという矢継の森に立ち寄る事を、どちらかと言えば反対していたイミトにとって、何とかヤル気へと変わる大義名分を探している様子にも



「魔王石の封印に使われる場所は四か所。そこに毎年入れ替わりで派遣される防衛人員は均等かつ精鋭です……その上、守りに入る兵士一人一人も自分たちが守る場所こそが魔王石が封印されている場所という心づもりで働いている。外から見ても、そう易々と見抜けないようになっているのですよ」



だからカトレアは、切迫して差し迫っているかもしれない国の危機が為、懸命に真摯にイミトへと事情内情を説明に助力を求めようとするのだろう。


しかし、


「……逆に分かりにくいもんなんだろうな。それでアンタやエルフ族に知られてりゃ世話も無いけど——、森に着く。セティスとデュエラに偵察を頼んでくれ」



 「この地の魔王石の封印や防衛はで成り立っているとも聞きます。エルフ族が魔王石の所在について知っていても不思議では無いものかと」



「なるほどね……」


もはや矢継の森の手前と言っても差しつかえの無い位置に来りて、そのような気遣いは要らないのかもしれない。神妙に首をかしげたイミトの遠くを見つめる視界に映るは巨大な森——だが彼は、その先を既に見据えているように仲間への指示と淡白な『なるほど』を口にするのだから。



けれど熱意ゆえの盲目か、



「——……イミト殿。先ほどは申し訳なかった、事態が事態ゆえ私は冷静さを欠いた」


執心に囚われ、未だそのようなイミトに気付かない冷静さを欠いているカトレアは、徐に真横に座るイミトへと上半身を捻って向き合い、深々と頭を下げる。



「あ? ああ……別に良いさ。おかげでユカリやら他にも色々と話すキッカケになったし」


「いや……改めて謝罪を。確かにイミト殿たちから見れば、信憑性の薄い身勝手な判断だった、冷静に話し合い、協力を仰ぐが正しい筋道だったのだ。申し訳ない」



唐突に思えた謝罪に冷静が過ぎるイミトが一瞬の戸惑いを魅せる中で、彼女は祈るように数々の非礼をび、そして情けないと思いつつもすがるようにイミトから言わせれば奸計かんけいをも巡らした。



——これからは冷静に話し合うから、力を貸して欲しいと暗に示す形で。

彼女は幾重にも、謝罪をしたのである。



すると、もはや答えは決まっていても——



「……素敵な女だね。蕁麻疹じんましんで体中がかゆくなりそうだ」


皮肉と嫌味をこぼしつつ、頬を掻いていたイミトは改めてと片手で握っていた手綱を両手で持ち直し、うつむき気味に仕方なしの溜息を吐いて前を向く。



「誠実って奴は、いつだって卑劣に劣るが美徳で勝るってな。これもまた、積み重ねに違いねぇな……大将のおっさんよ」


「タイショウノオサン?」



思い出す過去の残滓ざんしでて、意味も分からぬカトレアが首をかしげたその間合い——、彼らが座る馬車の御者台の背後にあった馬車内に通じる扉から答え代わりの動きが訪れる。

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