第67話 最凶の信頼。2/5


「……——ヒト、か。だから、お前は勿体ないんだよ」


しかし怒りに血を昇らせ、僅かに顔色を紅潮させるユカリの眼差しを受けても一切の動揺は無く、進行方向に対して瞬きもしなかったイミトは乾いた眼をうるおすべく深くまぶたを閉じて合間に言葉を言い返す。



「こうして懐かしい言葉で言い合えて、同じ常識で生きてきた人間ってのは案外と貴重なもんだ。仲良くなれるとは思えねぇが、そういう意味でも手放すのは勿体ない」


つらつらと言葉神妙に重い声色で静やかに伝えるは想い。

交渉や協議や搾取や詐欺や企み、建前や——それらに類するような思惑もなく、ただ垂れ流す本音。同郷の徒に告げる思い出話に似た声色。



遠く、遠く。


「学校のクラス替えで、周りに知ってる奴が一人も居ねぇような感じって言えば……しょうもなく陳腐ちんぷな表現だな。クラス替えって言うよりは外国に転校になって、そこに日系人の顔を見つけたみたいな感じの方がさまになるのかね」


今はもう互いに戻れぬ過去の残滓ざんしに想いせ、我ながら未練たらしいと自嘲の笑みを漏らしつつ、彼は首を少し傾け拍子を抜かす。



「……そのうち他の外国人の友達が増えて、用済みになったみたいに距離が離れるパターンの奴ピョンね。それに日系人だからって同じ言葉と同じ価値観を持ってるわけじゃないピョン」


そんな間抜けな御道化オドケに、怒るのも馬鹿馬鹿しいと怒りを引いて呆れた様子で息を吐くユカリ。改めて渋々とドシリと腰から御者台に根を張るが如く座り直し、冒頭に戻るように不貞腐れた頬に頬杖を嚙まして唾を吐く場所を探して未来を睨んだ彼女。



「かかっ、そいつぁ違いない。中々にイカしたコミュ力を持ってやがる、眼鏡でも描けてそうだな」


彼女が語る否定の言葉が珍しく突き刺さり、言い得て妙とイミトが嗤う。

予想外の反撃を、きっと彼は笑ったのだ。


すると、それに気を良くしたのか——などとは決して言えぬ間合いで。



「——これでも、真面目に生きてきたピョン。親の言う事をちゃんと聞いて、周りの言う事をちゃんと聞いて、皆のノリに合わせて……別にクラスで一番に勉強が出来た訳でも無いし、皆の人気者の陽キャじゃなかったピョンけど、普通に……普通に生きてきたピョン」


「……」


ユカリ・ササナミはおもむろに、唐突に語り始める。

本当に飽き飽きと、イミトの言葉を聞かぬ為にもと言った具合で己の過去を寂しげに口から流し、何より己の現状を振り返っていく。



「それでも失敗して、殺されて、報われなくて——次に生まれ変わったのは兎ピョンよ。やってられないピョン」


「自分が自分だって思い出した頃には、群れの仲間ごと捕まって——この国の貴族たちが趣味にしてる狩猟の遊び道具ピョン」


自身の人生を投げ捨てる為の言い訳にも聞こえるそれは、あまりにも寂しく——馬が進む際の風音が無ければ耳が痛くなるような響きがあった。


——何故。何故。何故。何故。



「そこから足を怪我しながら何とか逃げ出して——何処かの村の子供に拾われてペットにされて……」


自問自答を繰り返し、やがて答えに詰まって息すらも詰まりゆく。


——何故。何故。何故。なんで。



「ま……魔物になって暴れ回って狩られて死ねたと思ったら——こ、今度は……アンタらみたいな最低の連中に馬鹿にされながら……利用されて……」


必死に強がって気丈に振る舞って、例えばイミトのように軽々と嫌味たらしく冗談めいて詰まる喉をひねらせて語ろうとすれど、否——すればするほどに耐え難く目頭めがしらに痛みがしょうじ、熱を帯び、彼女は頭痛にさいなまれ始めたように項垂れて両手で顔を覆い隠し始める。



——なんで、なんで、なんで、なんで。


「私は……私は何をしてるピョン……なんで、なんで……私ばっかり……なんで、なんでこんな惨めで、みっともない話をしてるピョン……なんで」



震えた声で、抑えきれぬ感情を抑えようとすれど堰は小さく押し寄せる感情のな身の丈には決して合いはしない。そんな己の心の弱さも腹立たしかったのだろう。

彼女は震えながら下唇を噛み、太腿ふとももに顔を隠す掌から涙を溢すのだ。


——と、その答えを他に望み——救いを乞うように。



——けれど、


「……。それをなぐめられる言葉を知ってるヒーローでも居りゃ、そいつはとても幸せな奴で御目に掛かって顔面からケツまで拳を捻じ込んでハラワタを引きり出してみたいもんだ」


「さぞかし血の通ってねぇピンク色をしている事だろうぜ」


その望まれる者をイミトは持っては居ないのだ。

いや、たとえ持っている物の中でソレだと指を差されても、彼はコレじゃないとのたまうのだろう。


世の理不尽と己の無力をさげすむが如くうつむき崩れる彼女の肢体に触れる事も支える事も無く、彼もまた進む馬の手綱たづなを握り締めたままに。



「もうすぐ目的地だ。森が見えてきたからな——、もうカトレアと交代して良いぞ」


「……」


「一つ罪重ねて積み重ねた……ありがとな、ユカリ。ま、お前の気が向いたら、また話したいもんだ」


やがて青と白が彩る空と、地に並ぶ様々な薄緑の間に見え始める立体的な深緑の欠片。馬が一足蹴る度に地平線の向こう側から湧き出すような森が徐々に徐々にと姿をあらわにし始める。



故にイミトは、名残惜しそうにも見える声色で——されどそれらを隠すが如く深淵を眺める瞳を閉じて、ユカリへと別れを告げる。



「すん……今度はカトレアでも狙うピョンか、この最低くそ男——」


涙の混じる鼻を啜るユカリは最後に言った。役立たずをののしるように。

そして顔にまみれる涙を服のそでで拭いて、眠るように瞼を閉じるのだ。



「……笑える冗談だよ。クソみたいなもんに集る小蠅コバエの方が似つかわしいけどな」


切り替わるユカリとカトレアの人格、その入れ替わりにしょうじる僅かな誤差のすきを突き、まるで腹を自ら斬るが如くイミトは静かに自嘲する。

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