第36話 策謀の宴。1/4


 そうしてバディオス王子や王国騎士団長との邂逅の後、案内されるがまま向かった部屋。


 王族貴族に相応しいのか、ぜいらした絢爛豪華な部屋のソファーでイミトがくつろぎ始めてしばらく、まぶたを閉じて先鋭化する聴覚に扉が開かれた後でノックの音が響いて届く。



「……イミト。今、帰った」


 別行動を取っていたセティスとの合流。被っている覆面による独特の呼吸音を鳴らしながら、どうやら城下町を散策して入手した紙袋を両手に抱えてイミトが眠るように座っているソファーに向けて歩いてきている。


「ああ。物資の補給は順調だったか? 街の様子は?」


 そこでイミトはようやく穏やかにまぶたを開き、眉間に指を押し当てながらテーブルを挟んだ向こう側のソファーに座った彼女との情報交換を始めたのである。


「この腕輪を見せたら皆が目の色を変えて応対してくれた。面白かった」


「権力の味は病み付きになるくらいにはデリシャスだからな。それで?」


 まず彼らが始めたのは、当たりさわりのない会話。この城塞都市ミュールズの城門に入る前、護衛騎士団に与えられた入城許可証という黄金の腕輪を魅せつけるセティス。


 話を聞くに、この腕輪は一般的なものとは違い、城塞都市ミュールズに存在する十三の城の内、中央に存在する中央議会場へと招待された特別な身分の者のみに与えられる代物であるらしく相応の身分を示す物でもあるらしいのである。



 されど権力にして関心の無いイミトは、その威光をはえを払うような仕草で払いのけ、話を進めるようにセティスにかす。


 すると、それに同意するようにセティスも顔を覆う覆面を外すついでに、腕輪を外して遠くの高級な天蓋てんがい付きのベッドめがけて投げ捨て、話を進める。



「……陽が沈む前だったから食料の補給は微妙。一応、指示通りの食材と物資は仕入れられるか聞いて、明日の朝には手に入れられるように幾つか予約注文はしてきた」


 それから彼女は魔女のローブのポケットから一枚の紙きれを取り出し、イミトへと差し出す。どうやらそれは、イミトに指示されていた補給品のリストだったようだ。



「そうか。お前も一息入れろよ……って言いたいが、早速ちょっとこの部屋の様子を調べてくれるか?」


 その紙をセティスから受け取ったイミトは、紙に目を通しながら次の話題へと移り始める。それは——先ほど、この部屋にイミトが到着してから抱えていた憂い。



 バディオス王子を始めとした御偉方おえらがたの面々に嫌疑けんぎを掛けられている立場上、どうしても脳裏に浮かんでいた憂い——監視の目。



「扉の近くと庭の方に警備の兵は立って居たけど、盗聴魔法や監視系の魔法の気配は感じない。気になるなら監視阻害系の魔道具を起動させるけど」


 「頼む」


 そんなイミトの意図を汲むセティス。眉間にシワを寄せる悩ましげなイミトを気遣いつつ、彼女は服の裏に隠していた魔道具のペンダントを引きずり出し、イミトの同意を得た上で空中に魔法陣を浮かばせて小さな球体の新たな魔道具を取り出した。



「起動した。このテーブルからソファーくらいの範囲内なら誰かに何かを聞かれる恐れはないけど、腕輪から出ている位置特定の信号も阻害されるから念の為に外して」


 その球体の魔道具はセティスが軽く魔力を込めると同時に淡い光を放ち、円状に薄い光の膜を周囲に張って結界バリアのような様相を視界に描き、その形を維持し始める。


 と同時に、イミトは——


「そうか——……あー、疲れた。堅っ苦しくて死ぬかと思ったわ、いやホントに」


 心内に溜め込んでいたモノを全て吐き出すようにソファーに崩れ落ち虚脱して。



「こっちも念には念を入れとかなきゃな……やってらんねぇよマジで」


 「……お疲れ様。イミトの首があって良かった」


「はは、そりゃ最高にくそったれなデュラハンジョークだな、おい」


 イミトのねぎらうセティスの忠告を受け、彼女の冗談を軽々しく笑い飛ばしながら身に付けていた黄金の腕輪を外してベッドへと雑多に投げ捨てるイミト。最後に肩に残った疲労を吐き終え、一段落。



「やっぱり、怪しまれてる? 街に居た私の方にも、荷物持ちの監視まで居たけど」


「念の為にって奴だと思いたいがな。腕輪の監視は、要人警護の為に元々から付いてる物だろ。まぁ素性も隠してるし、怪しまれること自体は無理もないと思うぞ」


 そうしてイミトは、セティスから飛び始めた疑問に答えつつ、彼女の為にも用意されていた紅茶をカップに注ぎ始めて。



「ほれ、王族御用達の紅茶だ。今さっきれてもらったばかりだから取り敢えず、お飲みになれよ」


「ん。守備はどう? 和平調印式にはもぐり込めた?」


 緊張がほどけ、気の抜けたひと時、見慣れている普段通りの彼——それでもセティスは彼の背中に感じる疲労に冷静な面持ちだが違和感を覚えていた。



もぐり込めたって表現が気になるが、まぁ今夜の式典前夜のパーティーにも参列して良いってよ。今回はお前も参加で」


 イミトがれた紅茶は、確かに一流のモノである感じがあったものの——否、その紅く透き通る飲料の感想に浸る前にセティスはイミトの放った言葉を気に掛ける。



「いや。私は、そういうの無理。着ていくドレスも無い」


 紅茶を啜る手を止めて、目線を少し斜め下。そして湧き上がる感情を誤魔化す為に紅茶を啜る彼女の名こそセティス・メラ・ディナーナ。


 覆面の魔女と呼ばれた彼女の素顔には、哀しく撫でられる大きな傷跡が幾つもあって。彼女は理由の如く、それをやはりと撫でるのである。



 けれど——


「ドレスは城のメイド様が用意して下さるってさ。サイズも伝えたし、そのうちキラキラのドレスを沢山抱えてメイド様が押し掛けてくるぞ」


 何も考えておらず気にしていない風体でイミトが言った。首をぶらりとかたむけて、茶請ちゃうけ焼き菓子を一齧ひとかじり。小麦粉で作られた乾パンの如きクッキーは些かもろく、破片が意図せず下唇やテーブルに落ちゆき、ほんの僅かに下品をわらう。



「……待って。なんで私のサイズを知ってるの」


 そしてそんな舌なめずりに無表情ながらも、ぞぞりと悪寒を走らせるセティス。寒気に思わず体を縮こませ、体温を高める為に腕を交差させてこする動作を魅せつけて。


「だいたいの目分量。マグロ……海の市場いちばでの魚の仕入れとかの経験でな」


「……そう」


 それでも何の悪びれた様子もなく、イミトは食べ掛けのクッキーを口の中に放り込み、部屋からテラスに通じるガラス張りの戸の先を眺めた。


 夕焼けに赤く染まりて暫く、いよいよと夜の帳が降りていく——口直しに啜る紅茶のひと息が、何処か溜息に似ているように見えたのは彼がこれから苦難の道を進むと知っているからなのだろう。

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