第33話 今、ここに至りて。2/4


「……私は必要なのかピョン? ここまで全く氷魔法を使ってないんだけどピョン」


 そして何をするでもなく、するべき事もなく、場に残された気まずさに、ユカリ・ササナミはイミトの表情を恐る恐るとうかがううように尋ねる。


「温度管理が必要なんだよ。さっき、肉と一緒に冷やした固形バターを切り刻み、強力粉と薄力粉を粉ふるいしながら混ぜた器に入れて、また切るように混ぜていく」


 しかし彼は顔を逸らすように作業を続け、器に溜めていた水で洗った手を布巾で拭きながら厨房のわきに置いていた四角い箱に手を伸ばす。


 その箱を開くと、ひんやりとドライアイスが気化したような煙が箱からゆっくり逃げ出すように漏れ溢れ、空気へと溶けていく。


「なんで冷やしたバターなんだピョン。常温じゃダメピョン?」


「……均等に混ぜやすいし、焼いてる時に溶かしたいからって説明じゃダメか?」


「いや、別に良いピョンけど」


 その冷気の煙とは別の箱の中身、黄色の四角い塊の状態を確かめるイミトに、ユカリは再度会話をしようと試みて。


 けれどイミトは素っ気ない。

「そこのコップの中の水を冷水にしてくれ。混ぜるから」


 先ほどこぼしていた説明通り、箱の中身であった固形バターをまな板の上に置き、魔力で創り出した包丁で千切りにしていくイミト。


「……冷水って難しい注文ピョン。凍らせない加減が難しいピョンよ」


 ユカリが不満を漏らすのも無理からぬ、おざなりな指示——それでも包丁を扱い、真剣に料理と向き合うイミトに仕方なしと指示通りにユカリはかたわらに置かれていたコップを手に取ったのだ。



 だが——、

「小さい氷を作って冷やせばいいだろ。馬鹿かよ」


「……モラハラって知ってるピョン? パワハラとあわせて訴えたいピョン」


 固形バターを切り終え、小麦粉の積まれた器に投入してからイミトが呟いた一言に、イラリと彼女は愚痴を溢すのである。


「はっ。そいつぁ、ハラハラするね」

「そのダジャレをホントに面白いと思っているならサムいピョン」


 ——この男は魔物である自分を舐め腐っている。

 そんな敬意を感じぬ悪態に、途方もない苛立ちが、もう会話を交わしたくも無いと素っ気なくユカリに返事をさせるのだ。


 無理からぬ事だろう。

 だが——、


「ほいで、カトレアさんの調子はどうだ? まだ寝てんのか?」


 イミトはそんなユカリを横目に作業を続けつつ、話題を変えた。

 なんの事は無い世間話のようでありながら、本題であるかのような声色。



「……体を取り戻そうと訳の分からない言葉で叫んでるピョン。もう用がないなら私は、もう一回眠りたいんだピョンが」


 嫌悪から来る懐疑かいぎ的な面持ちでイミトの問いに答え、暗にもう会話をしていたくは無いと告げるユカリ。カトレア——或いはユカリの体の胸に埋め込まれた魔石に触れ、彼女は同じ体に封じられている彼女に想いをせて。


「まぁもう少し待て。これからの話もしときたいし、それに生地を寝かせる時に温度調整が必要なんでな」


 しかしイミトはやはり、それらを一切とおもんばからない。

 自己中心的に心を足蹴あしげに話を進めていくばかり。


「これからの話ピョンか……どうせ私に拒否するっていう選択肢は無いピョン」


 「失礼な奴だな、選択肢はあるだろ。選ばせないだけで」


 そういう風にユカリには見えていたのだ。

 身勝手気ままに暴力暴論を盾に他人を振り回す悪童。


 それがユカリ・ササナミのイミト・デュラニウスに対する印象であった。

 けれど——けれど、イミト・デュラニウスと言う男は、


「ここ何日か、お前のその体の……カトレアさんに日本語を教えててな」

「……え?」


 もっと恐ろしく悍ましい【何か】であるという事を、ユカリ・ササナミは知る事になる。それは丁度、ユカリがイミトの指示を受けてコップの水面に小さな氷を落とし、波紋が治まり始めている時の事であった。



「ユカリ・ササナミとお喋りがしたいんだとさ。とは言え——力を貸せだの、協力を要請ようせいする礼儀だのと色気の無い言葉ばかり教えろと言って来てるけどな」


「本当はサプライズの方が心象しんしょうは良いんだろうけど、あまりの色気の無さに逆効果になりそうだったからな」


 均一に小麦粉と固形バターを器の中で粉々に混ぜていく中で、皮肉笑いを浮かべつつ——彼は、とても穏やかに楽しげに、料理と向き合っている時と同じように語るのである。


「……何それ、ずるいピョン。アンタは酷い男ピョンね……そんな事言われたら、嫌でも手伝いたくなっちゃうピョンよ」


 その悪辣あくらつな物言いは中身のせいもあって心に突き刺さる。コップの中で常温の水を冷やしながら溶けていく氷が、彼女の憎悪や嫌悪に少し似ていた。



「まぁ良い男と名乗った覚えはねぇよ。そろそろ水を入れてくれると助かるんだが」

「はいはい、ピョン」


 それでも氷が溶けたばかりの水は冷たく、ユカリ・ササナミは呆れたようにイミトが混ぜている器の中に水を注いで。



 水がそそがれると同時に小麦粉に思うように吸わせてなるものかと早まるイミトの手。


「——俺は事情があって暫くアイツらと別行動になるから。別に頼りにはしてないし、必要ないとは思うが気が向いたら力を貸してやってくれ」



 にもかかわらずユカリと話を続けようとするイミトに彼女は、ふと思ってしまったのだ。


 ——もう少しだけなら、話していても良いか、などと。


 そんな世迷言を想ってしまったのである。

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