第28話 異世界転生者。2/4

 ——。

 そして時は流れ、現実とは呼べない場所に場面は移り変わる。

 そこに存在しているのはカトレア・バーニディッシュ。


「……ここは?」


 背景は黒く、自らの姿だけが明瞭めいりょうに見えていた。


 そして——


「ようやく起きたピョン。待ちくたびれて眠りそうだったピョン」


 降りしきる雪のように小さな鏡の細々こまごまとした破片のきらめきの中で待ち構えるように巨大な兎の魔物は赤い瞳で彼女を見下げている。


「貴様は‼ ハイリ・クプ・ラピニカ‼」


 身にひそむを目撃したカトレアは咄嗟とっさに腰に身に着けていた剣を抜こうとする。

 けれど腰には剣は無く、朧げな意識が目覚めると共に剣をイミト達に預けていた事とこれまでの経緯も思い出す。


 だが、剣は無くとも戦気をたぎらせ、身を引かぬカトレアは巨躯の兎を威嚇の如く強くにらんだ。


 しかし、

「……今回は戦う気は無いピョン。あの人から大体の話は聞いたし」


 対する兎は、カトレアとは戦う気は無い様子でたたずむ姿勢を不動のまま、真っ黒な頭上を見上げ、吐く息白く、巨躯の白毛を静めていた。


「ここは私の魔石の中ピョン。人間のアンタと私の魔石核の繫がりで産まれた歪んだ精神狭間のような場所ピョン」


 そして彼女は再び赤い燃えるような視線をカトレアに戻し、言葉を呟くのだ。


「なんだ……貴様、何を話している。それは何処の国の言葉だ‼ ツアレス文字で喋れ‼」


「……なんて説明しても、言葉は通じないピョンね。やっぱり」


 だが、彼女の言葉は彼女の言葉。カトレアの理解出来る言葉ではなく、彼女は少し肩を落とす。この者は、イミトとは違う——自分とは違う世界を生きてきた異世界人なのだと。



「確かツアレス文字といったピョンか。そんな言葉、兎に生まれ変わった私が喋れるわけないピョン」


 それでも彼女は言葉を続けた。言葉を続ける事が久しく、懐かしく思えてならない。

 会話の味を——思い出されてしまったと。嘆くように、微笑むように。


「貴様の言葉は解らんと言っている‼ なんだ、何を言っているんだ‼」


「……怒ってるのが良く分かる怖い言葉ピョン、昔を思い出して泣きそうだピョン」



「答えろ‼ ハイリ・クプ・ラピニカ‼ 私は貴様になぞ負けんぞ‼」

 「怒鳴らないで‼」


 けれど、この言葉では会話になり得ない。込み上げてくる泣き声のようないきどおりが彼女を激情へと駆り立てて。


「——⁉」

 カトレアは、穏やかな音響から一転して感情を剥き出しにした獣に戸惑う。

 それもきっと、通じぬのならば無理からぬ事。



「……怒鳴らないでピョン。怖いピョン。人間は——やっぱり怖いピョン」


 剝きだしてしまった激情をいさめ、絶望に諦め嘆くように彼女は語り、過去の片鱗へんりんを思い返す。遠く——遠く、昔の彼女の昔の話。


「笑って私を追いかけ回して——遊びの為に仲間を沢山殺して——私が何をしたピョン、私たちが何の罪を犯したピョン‼」


 何かを訴えかけてくる音の波しぶき。

 冷たい雪が降るように、彼女は嘆き、巨躯の体を恐怖にちぢこませ、項垂うなだれる。



 すると、

「——……泣いているのか? ハイリ・クプ・ラピニカ」


 言葉は通じずとも、その様子からカトレアは彼女の怒りと憎悪と悲哀を察するのである。


「ルーゼンビュフォアには恨みがあるピョンから協力するピョン。でも、私は人間を許さない……絶対に絶対に、絶対に許さない‼」


 獣の威嚇めいたうめき声にしか聞こえない唸り声と咆哮に、己が抱くのと同じような感情をカトレア・バーニディッシュは感じたのである。



 そして——鬱憤うっぷんを弾き飛ばしたが如く、兎の魔物は冷静な大人しさを取り戻し、再びカトレアを穏やかに見下げた。



「アンタの名前は、カトレア・バーニディッシュと聞いたピョン」

「——今のは、私の名前か?」


 僅かに聞き取れた耳馴染みの深い発音。カトレアは肩の力を虚脱させ、戸惑う。

 だが、同時に思い出したのだ。



「そうだ、貴様‼ 貴様の名前を教えろ‼ ハイリ・クプ・ラピニカ‼」


 肩の力が抜けたおかげで、兎の感情を察したおかげで、馴染なじみ深い己の名前を聞き取れたおかげで、かつてイミトが放った意味深な文言を。


 ——名前くらい聞いといてやれよ、と、そのような不可解な嘆きを。



 すると、彼女は言った。



「【氷結大兎ハイリ・クプ・ラピニカ】なんて私は、そんな名前じゃないピョン」



「『ツテュ・名前イラハ・は——』」


 彼女は言えたのだ。彼から聞いていた、その言葉の数々と——、



「——ツアレスの言葉⁉」

「『ユカリ・ササナミ』ピョン」


 己の名前を。カトレア・バーニディッシュに伝えられたのである。


「ユカリ……ササナミ……ピョン」


「伝わったピョンか? なんだか少し——泣きそうピョン」


 兎の魔物、氷結大兎、ハイリ・クプ・ラピニカ。否、ユカリ・ササナミは背景の黒に映える白雪のように記憶の破片が降りしきる空を見上げる。


 背景は黒く、姿だけが明瞭に見えていた。


「忘れるなピョン。アンタがその名を忘れた時が——私がまた獣に戻る時、ピョン」

「ニンゲン……——」



 そして彼女は、風に吹きさらされ舞っていく粉雪の如く、カトレアの前から姿を消していく。


「待て‼ 待て、ユカリ・ササナミピョン‼」


 ユカリ・ササナミ——彼女が最後に放った言葉が呪いか祈りかを知る者は、彼女ですら分からない事柄なのかもしれない。


 ——。

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