第27話 ハイリ・クプ・ラピニカ。3/4


「カトレアさんも覚悟は良いか?」

「あ、ああ‼ 望む所だ」


 そんな二人のデュラハンの一変した緊張が伝わり、カトレアも腰の剣に手を掛ける。

 しかし、頬に一筋だけ流れた不安は隠し切れるものでは無く——。


「……ホラーとか苦手そうな顔してるなぁ。俺も好きじゃねぇけどさ」


 そうして不吉な予感を胸にざわめかせ、彼らは重そうな分厚い扉をゆっくりと開ける。開けた瞬間、部屋の中からモワリと重い空気が僅かに漏れでて。



「——っ……確かに、凄い生臭いし鉄の匂いがするな……人の気配は無いみたいだけど」


「クレア。灯りを頼む、あの辺の蠟燭ろうそくとかに火を付けて回ってくれ——その前に、可燃性のガスが溜まってるかも知れねぇから風魔法を頼むぞ」


 沈殿した汚染された空気は、ドヨドヨと開けた扉から押し寄せて思わず鼻を塞がせる程の臭いを抱えていた。今にも吐き出してしまいそうな湿気が肌に纏わりつく空気に耐えながらイミトはクレアに対処を懇願する。



 それに対しクレアは、

「ふん。貴様に魔法を盗まれぬ為とはいえ、こき使われるのが段々と腹立たしくなってきたわ」


 口では悪態を吐きつつ、猛烈な風の魔法を解き放ち、部屋に充満していた空気をかき混ぜるが如く入れ替え、そして円柱のような部屋に並ぶ燭台に次々と炎を独りでに灯していく。


「文句があるなら魔法を教えろよ」

「断る」


 そしてイミトが愚痴を漏らす頃には部屋の空気は完全に入れ替えられ、部屋は炎の灯りで照らされてその姿を露にしていた。



「——これは……‼」

「魔法陣……て奴か。溝に流れてるのは血だよな、匂い的に」


 部屋の中で真っ先に気を引いたのは部屋の中心に存在した掘られたみぞのような赤い線で描かれる巨大な魔法陣であった。その赤が液体で、部屋の扉を開いた際の臭いを鑑みれば血液である事はおおよその察しは着く。それが流れを持ち、部屋中の紋様に駆け巡っている様を見れば、尚更の事であった。



「どんな効果があるか分かるか?」


 それでも、魔法を使えないイミトには分からない。それが何のための魔法陣であるのかまでは判らない。するとその問いに、魔法陣を見下げて観察していたクレアが考えを巡らしながら答える。



「ふむ……精神の分解と再構築。それらを水の属性を基軸に回転し、精製……か」



 とても意味深く、魔法陣を観察しながらに並べていく言葉。


「小難しいが、何となく見えてきたっぽいな」

 「——確かに、そこまで聞けば魔法に詳しくない私でも分かります……反リオネル聖教の一派は、ここで最悪の魔物、バンシーを作っていたのだと」



 それにより、この場で行われた惨劇を想起し、一同は周囲を眺めるのである。

 部屋の隅には、恐らく【】にされる予定だった生物が収監されていたおりがあり螺旋状に壁を這う階段には死骸を引きずったようなおびただしい血の跡もあって。



「人工の魔物か……」

「胸糞の悪い事よ。だが、ふむ……これは——」

「……」


 それぞれの双眸そうぼうに映る部屋の景色、思う事は違えど、声色は重く、神妙。



おりの中の子供達も生き残りは居ないようですね……全て地上の村人たちと同じような死に方をしています」

「あの階段の上なんかは確認したくねぇな。どうやってみぞに流れてる血をしぼったのかとか考えたくもねぇよ」



「……今にも彼らの悲鳴が聞こえてきそうです」


 惨劇——木霊こだまするような惨劇の二文字に背筋が凍る想いで語られる皮肉。部屋の探索を進めた一行の会話は酷く冷静で、事の終わりのどうしようもない理不尽に立ち尽くすばかりのようだった。



 そんな中、彼女が彼の名を呼ぶ。

「——イミト」

 「ん? どうした?」



「ここで行う事としよう。どうやら、良い条件もそろっておるのでな」


 その場で唯一、過去ではなく未来を見据えていた豪胆者は意味深く決断を下したのだ。これまで、何だかんだと先送りにされていた目的を。



「……そっか。了解っと」

「——カトレアさん、ここで始める事にするそうだ」


 イミトもして異を唱える事もなく、作業を始める事に同意し、持っていた黒い槍を黒い煙に変えて解き放つ。


 そして部屋の捜索を続けるカトレアに呼び掛けた。



「……バンシーを探す方が優先では無いのか」


 するとイミトの声に呼応したカトレアは神妙な面持ちで言葉を返し、イミトらの前に近付いて。腰にぶら下がる剣がカチャリと音を鳴らす。


「ふん。怖気づいたか、急いで帰って姫の膝元で怖いと泣きわめきに行ってもいぞ」

 「いや、それは困る。個人的に兎には聞きたい事もあるんだ」


「阿呆め。ただの挑発であろうが……別に本気で言っておりはせん」


 そこから始まった茶番に拳を握るカトレア。


「一度、決めた事。覚悟は出来ています、騎士に二言はありません」


 騎士の矜持きょうじは揺るがぬと、真剣な眼差しを二人のデュラハンに向け、けれどもほおには焦りの冷や汗。死がかかる——淡々とした二人のデュラハンは、いざとなったら間違いなく躊躇ためらわぬだろう——己の命、そこらに居合わせただけの騎士の命など些末さまつなものとのたまうのだろう。


 そんな予感が、これから行われる事柄に対して、より強い覚悟を求めてくるのだ。


「それで、具体的に私は何をすればよいのでしょうか」


 故にカトレアは急いた。心の内から込み上がってくる恐怖から逃げるが如く。


「ふん。まずは腰の剣を我らに渡すが良い。貴様の体を乗っ取った兎が剣を抜けば反射的に斬り捨ててしまいそうなのでな」


「……了解した」


 そして彼らもまた、それを理解していたのか、或いはその方が都合が良かったのか、らす事なく、嗜虐心をくゆらせる事もなく、話を進めて。


「それから——今度はチャンスがあったら名前くらい聞いといてやれ」

 「? ——‼」


 彼女の意思を尊重せずに踏みしめる。カトレアの思考は慟哭どうこくし、揺らぎ、猛烈な頭痛が痛みを感じる暇もなく意識をさらっていって。


 ——始まるのだ。


「おやすみ……と、もう——おはようだな。ハイリ・クプ・ラピニカ」


 その場で倒れ伏したカトレアに送る視線と共に贈られた言葉。


 氷結の大兎、カトレアの胸の内に巣くう魔物、ハイリ・クプ・ラピニカの再臨である。


ふふ、【】? おはようだって? 兎ふふふふ」



「【】の間違いだろ、ニンゲンんんん‼」

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