第16話 カトレアの不安。2/3


 イミトが肉の洗い方をデュエラに教えつつ、デュラハンの力で作り出した長方形の水槽の中でバシャバシャと馬の血肉を洗い始めた頃合い、


「ふん。落ち着いたところで我が話し相手をしようか、それで良いな、イミト」


 暇を持て余していたクレアは、ようやく動揺の消えかけつつある姫や騎士へと目を落とし、イミトにも横目で言葉を掛ける。


「ああ、俺は話半分で聞いとくよ。あ、その前に焚火の火力上げといてくれ」


 応じたイミトはおおむね了承したのだが、途中、近くで湯を沸かす為に燃やしていた焚火の存在を思い出して親指を指しながら目を赤く染める。視覚の共有であった。


「……ふん、しょうもない事ばかりをさせおって」


 空気を読まぬというより、踏みにじるようなイミトに怪訝けげんな様子ではあったクレア。けれど急に轟々と火力を上げた焚火の薪を見るに、さして不機嫌でも無いのだろう。

 して——彼女は咳払いを一つ。


 改めて台座からカトレア達を見下げて話を始めるのだ


「まず、そうだな。我はマリルデュアンジェという姫を知らん。見受けるにツアレスト王国の血縁のものであろうが」


 彼女が初めに問うたのは、姫君と女騎士の身分について。


「第十五代国王、ギュリュウスはまだ存命か」


 そして、自分の記憶の中にある年月と現在の時間軸にどれ程の差異があるのかの質問でもあった。イミトに出会うまで、とある洞穴に封印されていたクレアは、ようやくを確かめるに至る。


 異世界人のイミトは言うまでも無く、森で孤独に暮らしていた世間知らずのデュエラ、セティスに関しては多少の知識はあれど、世捨て人のような生活をしていた為に世情にはうといようだったからである。


「不遜な……マリルデュアンジェ姫は当代ギュリュウス王の第一王子であるアトゥクス様の子女である。継承権は第四位だ、察するに貴女はデュラハンと見受けるが如何か」


 故に、クレアにとって女騎士カトレアやマリルデュアンジェ姫のような政治の中心人物と言ってもいい存在は、格好の情報源であったのだ。


 彼女の思惑通り、カトレアはクレアの不謹慎な物言いに苛立ちながらも、クレアが欲しがっていたであろう情報を吐き、次はこちらの手番だと神妙に質問を投げつけてくる。


「如何にも我はデュラハンのクレア。クレア・デュラニウスである」


「クレア——デュラニウスだと⁉」


 問いに返される名乗りに、驚きのカトレア。その反応が興味を引いたのかイミトが囲いの外から顔を覗かせる。


「そうか、アトゥクスのガキが人の親に成るほどに歳月が流れておるのだな」

 「ん、王子とも知り合いか。やっぱり凄いな、お前」


 話半分、感慨にふけりつつニヤリと笑むクレアに、感想を述べるイミトである。


「赤子の頃、チラリと見掛けただけよ。貴様は作業を続けておれ」


 そんな背後からのイミトの楽天的な呆けた声色にハッと我に返り、クレアは髪を操り動かす事で近づいてくる気配のした彼をあしらって。さもすれば過去を振り返る己の顔色を見られたくなかったのかもしれない。


「あいよ。デュエラ、洗ったら肉を部位に分けてそこに並べといてくれ」


 するとクレアのあしらいに素直に従ったイミトは、作業へと戻りながら汗をかきながら肉の血を懸命に洗うデュエラに次の指示を与える。彼もまた、そんな彼女の気持ちを察したのかもしれなかった。


 或いは——、

「は、はいなのです! えっと……内臓はどうするので御座いますか?」


 イミトの考えは置いておき、一応理解した様子で返事をしたデュエラだったが、傍ら——目についてしまった些かの疑問を頭に浮かべ、イミトからの指示を仰いでデュエラは小首を傾げる様相。


 それは、イミトも考えていたことのようだ。


「んー、モツやら色々と加工できない事も無いが、今回も止めとくか。墓に埋める」


 一瞬、悩ましげに選択肢を思い浮かべたように腰に手を当て、頭を俯かせる。そんなあからさまな一考の後、イミトは決断をスパリと下した。


「分かりました、です!」


 その歯切れの良い答えに、デュエラも迷うことなく頷き作業へと戻っていって。

 されど、清々しさもあった会話に思う所がある者も居る。


「……すまない。どうか場所を変えては頂けぬか。姫には少し刺激が強すぎる」


 やはりカトレアとマリルデュアンジェ姫であった。カトレアの服のすそを掴む姫の憂いに、クレアを見上げうかがいを立てるカトレア。イミト達が譲らぬことも、一人彼らに立ち向かおうと勝てる見込みがない上に、姫に危険が及ぶかもしれないという冷静な判断から彼女は大人しく妥協点を探ったのだ。


 しかし、

「それは出来ぬ。気持ちは察するが、我とイミトはあまり離れられぬのでな」


 即断即答なクレアからの回答は満足の行くものでは到底なく、彼女は別の方法を探ろうと考えを巡らす。クレアに伺いを立てた顔を逸らしたカトレア。


 すると——

「良いのですカトレア……私は大丈夫です。お話を続けて」


 そんな苦慮するカトレアに声を掛けた姫が、彼女の目をしっかりと見つめ、首を横に振ったのだ。


「……はい。姫様」

 気丈な振る舞いをする姫に、カトレアは心の中で苦虫を噛んだ思いである。自分の無力さを嘆き、呪い、姫から視線を逸らし少し俯いて拳を握り締め、それを起点に全身に力を走らせ僅かに体を震わせた。


「……ふん。しかし気になるな。ギュリュウスとアトゥクスにも幾人か兄弟がおったろう、継承権が四位とは……他は死に絶えおったのか」


 その様を気付きながらもただ眺め、黙していたクレアではあったが気を回したように平常に話を先程の流れへと戻す。選んだ話題も、クレアなりに心を紛らわせる刺激的なものを選んだが故のものであったようだった。


「……アトゥクス様のご兄弟様、中子のイルリウス殿下は戦死なされ、末弟のカリオール様には子が恵まれていない。ギュリュウス王のご兄弟様は——」


 そうして話の流れは戻ったのだが、カトレアが途中で言葉を詰まらせてしまう。それは物理的な要因ではなく、精神的なもののようである。カトレアは、ふと背後の姫に振り返りマリルデュアンジェ姫に伺いを立てる様に気を遣う表情。そしてそれを受け、姫は頷きカトレアの肩越しに身を乗り出し、自分が先を語ろうとクレアを見上げる。


「叔父は数年前に反乱を起こし、今は投獄されています」


「ほう……あの口ばかりのバスティンにそのような度胸があったか、ふふ。実に愉快であるな」


 意を決した様子でマリルデュアンジェ姫が語った史実に、またもクレアは感慨に更け小さく怪しげな笑み。更に彼女はまぶたの裏に浮かべた記憶の中、過去にさかのぼった表情で一笑ひとわらいを漏らすに至る。


 実に、楽しげであった。


「……クレア殿、こちらからも質問をしてよろしいか」


 その郷愁きょうしゅう漂う様子に水を差すのもはばかられてはいたが、姫の意に当てられたのかカトレアもそのような様相で息を飲み、伺いを立てる。クレアは尚も機嫌よく、描写するまでも無い事ではあったが、


「構わぬ。何でも聞くが良い」


 是、である。まるで玉座に座る王が如く威風堂々、声にして。


「先程からの王家と親交があるような口ぶり、そしてクレア・デュラニウスという名……もしや討伐の際、英傑レザリクス・バーティガル様と共に活躍したクレア・デュラニウスで相違ないか」


 それでも、揺らぐのだ。カトレアの問いの中に顔を出す過去の幻影を前にすれば。


「——……だとしたら、どうだと言うのだ」


 目線鋭く、色も変わる。空気、張り詰める予感。


「あー、その話題は止めといた方が良いわ。カトレアさん、下手したら殺されるぞ?」


 しかし、そうはならなかった。話を片耳でずっと聞いて居たらしい相変わらず血塗れの男が飄々と囲いの外から顔を覗かせ神妙な空気を吹き飛ばす。


「イミト。貴様は作業をしておれと……」


「水浴びしたくなるくらいには一段落したんで、ね。少し休憩だ」


 更に彼は囲いをまたぎ、ずかずかと歩きカトレア達をかばうような立ち位置で今度は囲いの中からクレアへと向き直るのだ。


「思い出話も良いもんだが、その前に少しは意義のある話をしようぜ」


「あー疲れた。馬車の荷にあったタオル使わせてもらうぞ、お二人さん」


 そして魔力で椅子を作るや、どさりと腰を落とし作業を終えた疲労を吐きながらタオルで顔や腕に付いた馬の血を無作法に拭う有様を見せつける。


「貴様という輩は……まったく」


 そうすると神妙で重苦しい空気など留まるはずも無く、溢れるのは呆然の喧騒。呆れ果てるクレアを他所に、余りある無礼の数々にカトレアとマリルデュアンジェ姫は嫌悪感をその表情に滲ませて逆に圧倒されてしまっていた。


「そ、それで——貴殿は、何者なのだ。歴戦の英雄と共におられるからには只者では無いと察するが」


 しかし相対せねばならない。クレアに向けたのとは違う意味合いで生唾を飲み、カトレアは尋ねる。あくまでも丁寧に、目の前の品の無い男の調子に染まらぬように、であった。


「ん? ああ……俺は只の人間さ。いや……イミト・デュラニウス。訳あって半分デュラハンになっちまった中途半端な男、かな」


「向こうの顔を隠しているのはメデューサ族のデュエラだ。間違っても顔を覗こうとするなよ、美人過ぎて固まっちまうぜ?」


 するとせきを切ったように喋り始め、先程まで狂気の雰囲気が嘘であったかのように振る舞うイミト。頭の中で言葉を整理しつつ、考えながら語るその様はとても楽しげな笑顔で放たれるものばかり。そのあまりの変わりようにカトレアとマリルデュアンジェ姫は脳が全く展開に付いて行けていないようである。


「お呼びですか、イミト様! お肉は並べ終わったのです、ます」

 「ああ、後は自由にしといてくれ」


 そうしている内、デュエラも会話に参入し混乱の様相。


「メデューサ族に半分デュラハンになった男……?」


 ようやくカトレアが口に出来た事はそれであったが、聞き間違いかと自分自身を疑っているような口振りあった。


「ふふ。顔を奪われた魔女もおるぞ。向こうで寝ておるセティスがそうだ」


 そんなイミトに圧されるカトレア達が滑稽だったのか、思わず笑ってしまったクレア。いや或いは自分にも手に負えないイミトに対する二人の反応に、さもすれば共感を抱いてしまっていたのかもしれない。


「それに……いや。まだ止めとくか。ま、普通の人間なら怯えるのも無理は無い愉快痛快な仲間たちさ」


 体を拭き終え、首に赤に染まった白タオルを掛けるイミト。それから魔力で作った椅子に座ったままに前のめりになり、一息を放つ。


 それは恐らく次の質問を放つための助走であったのだろう。

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