第13話 銀髪の羅針。2/4

「む……起こしたか」

 「いや、まだ寝ている。ねごと?」


 些かの驚き、にわかに静寂に包まれた空間でイミトの背に視線が集まる。しかし、彼は未だ不動であって。そっとセティスが近づいたとて首を項垂れさせたままなのである。


「皆さん静かにするのですよ、お口にチャックなのです、ます」

 突然のイミトの声で虚を突かれ、口に残る苦さを忘れてデュエラは声を殺す。


「ふん、分かっておるわ。些か興が過ぎた、すまぬデュエラよ」

 「あ、いや……クレア様が謝る事では——」

 それを見てバツの悪そうなクレアが謝意を示すと、デュエラは少し慌てて両手を胸元まで持ち上げ、掌を見せる否定の仕草。


 するとセティスも空気を換えるべく動き出すに至った。


「これ、彼が焼いたパン。いや、パンケーキ風? とても柔らかい」

 「あ、ありがとうなのですセティス様……」

 しかし、彼女らは前科持ち。言葉とは裏腹、差し出された皿を受け取る事を躊躇い、デュエラは無意識に生唾を飲んだ。


 すると、

「安心せい、それは苦くは無い。むしろそこのジャムとやらを使えば甘すぎるくらいよ」


 クレアが弁明するように皿に乗った小麦を焼いた色のパンケーキの味を説明。既に彼女はそれを食していたようだった、それはコーフィーの味を知っている時点でイミトと事前にひと悶着あったことを意味している。


 デュエラは漠然とそれを理解する。


「これは……果物のソースで御座いますか?」


 イミトの手製。赤いジャムは既にパンケーキの上に添えられていて、セティスの両手の上にある皿の匂いを嗅ぐと二種類の甘い香り。デュエラはゴクリと今度は違う意味で生唾を飲んでいた。


 そして、

「私が持っていたベリの実を砂糖と煮詰めたものらしい」

 「へえ……なのです。このパンケーキというのは凄いモフモフなのですね」


 ダメ押しにセティスの解説。未知の味、好奇心が疑念に打ち勝ちパンケーキを手に取ったデュエラは興味深そうに触感を確かめた後、一気呵成にパンケーキへとかじり付く。


「うもぉー、ももふももももふふ‼」


 歓喜の声はパンケーキを飲み込むのを待たずに放たれる。

 感動ゆえ、その一言であった。

 「ベリの実の特徴を砂糖が邪魔していないのに甘い。そしてこんなに柔らかいパンは初めて食べる」


 それに続いてセティスも焚火近くに座り覆面を半分、顔の上に持ち上げ、フォークとナイフで自身の分のパンケーキを切り分けながら感想を述べて。


「私もパンは良く作るけど、粉っぽくて固いモノばかり」


 新触感をフォークの背で確かめセティスは改めて感慨にふけっていた。そして断面を眺め、どういう理屈かを探ろうとするのである。


「そこにある昨日の残りのチーズを揚げ焼いたというものも食べてみよ。昨日のとはまた食感が違い、興が乗っておるぞ」


 そんな折、クレアが白と黒の髪で拳を作り指を指したのは別の器に盛られた香ばしいチーズの板、昨日とは打って変わり水気が無く乱雑に砕かれた固形状で黄色強きいろつよく存在感をひしひしと放っている。


「んんー、ぱりぱりの後に噛めば噛むほどチーズの味が滲みだしてくるのですー!」


 今度のデュエラは、それを疑いなく食べ、とても満足げな声色で。


「……本当に何者なの、彼は」

 セティスは変わらず興味深そうにそれを眺めるばかり。


「何者でも無かろう。誰とて、初めはそうなのだ。こやつは未だ、只のイミトよ」


「……そう。そうかも、意味の無い質問だった」


 そして彼女はクレアの言葉返しに考え込み、パリとチーズを一齧かじり。

 ——その時であった。



「ああー……俺の悪口が聞こえた気がする。くそったれだな」

 ガクリとイミトの体が地に堕ちかけ、なんとか踏ん張るや彼がそう嘆いたのだ。溜まりかねた疲労を吐き捨てたような少しばかり枯れた声色。


「被害妄想も甚だしい事よ。もう起きてもよいのか」


 「んー。そろそろ燻製も良いかと思ってな、失敗してなきゃいいんだが」


 釈明の意を込めたクレアの問い掛けに、実に気怠そうに首の骨を鳴らした彼は、ようやく目の前にあった燻製器の扉を開くに至る。


 一晩、火の上にあり、密閉されていた空間から溢れ出る煙の中、


「ふふ、寝ても覚めても飯の事ばかりだな、貴様は」


 顔の隠れたイミトを、クレアは楽しげに笑い、確かに見守っていた。



 ——。

 陽が昇り、周囲が朝の脈動から昼の光景に移し始めるとイミト達一行はそれぞれの旅支度を始めていた。


「その燻製というものは、本当に食べられるので御座いますかイミト様」


 敢えて風にさらす為、今度は棒に吊られた燻製肉にデュエラは気もそぞろ、肉の具合を確かめるイミトへと耐えかねて尋ねる。


「ああ。匂いが気になるか? 好みが別れるけど保存食として万が一の時に便利だし、料理の幅が広がるからな、なんならお前も味見してみるか?」


 燻製肉は長い時間を掛けて煙にくゆされ、風に冷まされてうるおいを失い、見るからに乾き切っていた。その内の一房ひとふさの温度を確かめ終えたイミトは、棒から燻製肉を取り上げ、同時に魔力によって机と細めのナイフを作り出し、削るように肉に刃を入れる。


「は、はいなのです!」


 僅かばかりの興奮を抑え近づくデュエラへ手渡したのは一切れの小さな肉片。事楽ことたのしげな一幕の背後、


「荷物、まとまった。本当に私もしばらく一緒に行動していいの?」


 セティス・メラ・ディナーナは太陽の煌きを吸い放つ水晶の首飾りを服の胸元に納め、マントで体を包んだ彼女は特徴的な覆面の呼吸音と共に尋ねる。


「共に行動しなければ貴様に掛けられた魔法も解けんだろう。選ぶのは貴様よ」


「対価は先に述べた通り、貴様が持つ調味料。我らはそれで文句は無い」


 応えるはクレア・デュラニウス。イミトが持つ予定の傾斜面に置かれた腰ベルト仕様のに支えられながら面倒げに瞼を閉じて。


「……うん。お願い、します」


 すると一考の後、静かに頷き三人の旅人に改めて一礼を捧げるセティス。契約の成立であった。それを受領した他の一行は、


「で、どうだ、デュエラ。燻製の味は」


「んー……燃えた木の味? が強いのです……ぱさぱさで……」

 「気に入らない、か……燻製は初めてだったからな。材料も不足してたし」


 さして何も語らぬままに受け流し、元の話の流れに戻る。デュエラは燻製肉をモサモサと咀嚼そしゃくしながら眉をハの字に首を傾げ、イミトも残念そうに首を落とし、頭を掻く。


「ったく、我ながら言い訳じみて嫌になるね」


 そして自らも味を確かめるべく燻製肉の一欠けらを噛み千切ると、その味は自然とイミトと味覚を共有するクレアにも届いて。


「……なるほど。これは確かにデュエラが気に入らんのも分かるが、しかし」


 クレアの反応はデュエラとはまた違っていた。思わず動いてしまいそうになる口元を白と黒の髪で覆い隠し、含みのある言い方で考えを巡らしている事を暗に伝えるのだ。


「? なんだ?」

 キョトンと振り向くイミト。


「昨夜のチーズなどと合わせれば、これは可能性があるのではないかイミトよ」

 「——見事な推察だな、流石はクレア・デュラニウス様」


 それは、これまでの経験がもたらしたものなのだろう。食事を必要としないデュラハンであるクレアが突如として言い放った食についての憶測に、内心イミトは驚いていた。けれどそれを語るは不粋と、彼は楽しみを堪えたように下へ俯き隠れ笑う。


「貴様の敬称は侮蔑にしか聞こえんな」


「はは、さてと行こうぜ。取り敢えず、この森というか山を抜けよう」


 そうして話は一段落。唾を吐くようなクレアも不敵に笑っており、イミトはこれからの予定を口にしつつ、片付けをするべく燻製肉の一房が置かれた机に向き合って。


「あ……」


 しかし、不意に零れ落ちるセティスの声。彼女は、燻製肉を覆面越しでも分かるほどあからさまに見つめていた。


「ん、ほらセティス。お前も味見してくれ」

 「うん……ありがと」


 故にイミトはセティスにも一切れの肉片。セティスはイミトの下に近づき、覆面を少し外し肉片を受け取る。心なしかに頬が赤みを帯びている気がした。


「後はクレアの力で完全密封っと……方角はどっちだ、セティス」


 そして冗長な描写の末、イミトは燻製肉の束を魔力で包み肩に背負える漆黒の容れ物を作るに至る。作業の傍らに尋ねた先、セティスは燻製肉の肉片をしゃぶりながらこう答えた。


「もみゅ。あっちの方、山を抜けて、暫くしたら村がある、もみゅ」


 指を指した先には、相変わらず山しか見えず目印も無さそうであった。セティスが空を見上げた辺り、太陽の位置と記憶の中の地図を基に方角を大雑把に判断したのであろう。


「私はコレ、好き」

 「そうか……そりゃなによりだ」


 ——。

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