第5話 森の征服者3/4


「ん、気付いておったのか。やはり中々に勘だけは良い奴」


「……本当だ、これって」


 それに続くクレアの言動は彼女の余裕を如実にょじつに表しながら、イミトの勘でしか無かったものを確信的な事実に変えるものでもある。それを受け、デュエラも冷や汗を一筋ひとすじ流し、森での暮らしでつちかったであろう感覚で周囲に気を配ると確かに凄い数の生き物がうごめいている小さな気配の群れがあって。



 デュエラだけがその状況に顔を青ざめさせていた——


「我の魔力に当てられておるデュエラが気付かなかったのは、まぁ無理は無かろう。感じられる向こうの魔力も微弱であるしな」


「ダメです‼ 見つかりました、早く逃げなきゃ」


 ——何故ならば、彼女は知っていたからだ。その気配が何の気配か、或いはその気配——存在が何を意味するのかデュエラだけが知っていて、彼女は突如とつじょとして慌てふためき体を揺らす。


「落ちつけい、デュエラ‼」


 しかし、彼女がそれを【】という事を、その場に居る二人も知っている。


「で、でも……」


 慌てふためいたデュエラの感情を、さり気に流し眼で見守るイミトを他所に、クレアが一喝いっかつひるませるに至る。


「敵の正体が分かってるのか?」

「無論よ、奴ら……未だにどもの討伐を出来ていないとは全く不甲斐ない」


 少し静寂に戻った空気感の中で至極冷徹にイミトが尋ねた。答えは【】。



「バジリスク……何処かで聞いた名だな」


 そしてクレアが言い放った文言の耳障りに、不透明なモヤリとした感情をイミトが声に滲ませる。


 しかし結論から言えば、イミトはその言葉の意味する所を詳細には知らず、


「ここらを縄張りにする蛇の魔物よ、かつて世界を呪ったメデューサどもが生み出したという巨躯の怪物共だ」


 クレアの説明で始めて、聞きかじっただけの知識である事を思い出す。


 そう——、アレはゲームか或いはライトノベルで聞きおよんだだけのフィクションの話であった、と。


「これはアイツらガタの監視用の使い魔の視線なのです‼ 直ぐに本物のバジリスクがここに来ますのです‼」


 それでもそのイミトの納得は、デュエラの眼には無知に見えていて。彼女は自身の不安に共感を得るべくイミトへ訴えかけるようにクレアの説明に補足を加えた。


「……勝てるのかクレア? 数が居るんだろ?」


 言いせまるデュエラに気圧されながらも、冷静を保つイミト。肩に乗る薙刀なぎなたまがいの武器を降ろし、首を傾げる。



「どうであろうな、面白そうではあるが。迎え撃つならば、ここらが丁度よかろう」


「じゃあ、程よく歩いて逃げるとするか。運が良ければ逃げ切れるだろう」


 そんな二人に、デュエラは愕然がくぜんとする。なぜ理解できないのか、全くの理解の外。迫る脅威を前にほくそ笑んでいるようにさえ見える二人の異常性に呆気あっけにとられ、ゴクリと息を飲む。


「うむ。降りかかるちりのみ払っていけばよい。多少はしつこかろうが、去る強者を無理に追うような無能な連中ではないからな」


「⁉ 呑気のんきすぎるでございま——……⁉」


 吐き出しそうだった。デュエラ・マール・メデュニカは彼女にしては珍しくか、或いは初めてと言って良い感情のたかぶりが胸の奥からはじけたのを感じていた。


 それでも——それは、——でしかなかった。


「おっと動くなよ、デュエラ。緊急事態だからこそ、先に片付けなきゃならない事があるんでな」


「え——」


 唐突に、突如に、喉元寸前に突き付けられたやいば。刃を振るえるのは現状、イミトしか居ない。


 そんな事すら整理せねばならない程に刃は唐突に突き付けられ、


「言っておくが、少しでも変な動きをしたら俺はお前を斬るぜ?」


「お前は多分、俺より強いがクレアの頭を抱えてるお前よりは早く動ける。魔法とやらはクレアが監視しているから言うまでもないよな」


「……人をまるでかせのように扱いおって」


 刃を突き付けたイミト本人は実に冷静に丁寧に、状況を語る。デュエラに抱えられたままのクレアが不満げなのは言うまでも無い事なのだろうが、クレアは実に不満げであった。


「……」


 急激に冷え切ったいさめの激情をゴクリと胸の奥に戻して、喉元の刃に金色の目を落としデュエラは黙す。


「俺たちは、正直お前を疑っている。お前……そんなに慌てるなら、なんでバジリスクの事を俺たちに教えなかった」


「お前とバジリスクとやらは、一体どんな関係だ。メデューサ族とは何やら深い関係があるみたいだしな」


 状況が変わった、それが明白に分かる程に淡々と問うイミト。その表情は、今にもデュエラの喉を貫いたとて平然としたまま血飛沫を浴びる覚悟が確かにあって。



「ご……誤解なのです、ます」


 誤って自ら刃に向かわぬよう気を遣い、声を震わすデュエラ。


「アイツらガタは——ハハサマの、チチサマの仇なのです‼」


 しかし、刃の気配と間合いを悟るや彼女は痛烈に訴えた。クレアは彼女の手がクレアの兜を強く掴み直したことを察する。


「ま、そうなんじゃとは薄々思っていた訳だが、ここからは隠し事はナシだ、面倒だからって話をらすつもりも無い」


 すると、それはイミトも見ており、彼は一転して刃を引いて薙刀もどきを肩に戻し気怠く話を進めた。それから小首を傾げ、


「全部、話せ。必要になったからな」

「は……、はいなのです……」


 始めから疑っていなかったかのようにデュエラらに背を向け、岩石地帯へと足を踏み入れていったのだった。

 そうして語られ始める、デュエラ・マール・メデュニカの物語。


「——私のハハサマは、とある事情でメデューサ族が住む集落を追放されたと言います。その事情が何なのか、私は知りません」


「いや、悪い。もう少し、最近の話を頼む」



「水を差すでない‼ デュエラ、構わず話を進めよ」


 岩にもたれ掛かったイミトへ語られ始めた物語、けれど眠りにつく前の御伽おとぎばなしじゃあるまいと急かすや、デュエラに抱えられたままのクレアがデュエラを味方するように諫める。するとイミトは面倒そうに頭を掻いた。



「え、えっと……集落を追放された後、辿り着いたこの森でハハサマは、目と足を失った私のチチサマと出会い、恋に落ち、ワタクシサマを生んだので御座います、です」


 僅かな間のあと、沈黙が「続きを話せ」という命令の如く受け取ったデュエラは話を再開する。薙刀もどきを巻き込み、腕を組んだイミトの様子を伺いながら言葉を選び、つむいでいって。


「しかし、ここは既にバジリスクが支配する土地でしたから、動けないチチサマには既に森を抜けるすべがなくワタクシサマ家族は、この森でひっそり隠れ住んでいたので御座います」


 肩を落とすデュエラ。思い出をなぞるように目を泳がし彼女は、兜に包まれたクレアの頭部をギュッと抱きしめる。



 そして、叫ぼうと


 が——またも、、である。


「ワタクシサマが……ワタクシサマが、」



「——もういい! やめろ!」


 唐突に岩から体を放し、全身の毛を逆立たせた雰囲気を発するイミトの声がデュエラの溜めに溜めてきた想いをふさぐ。イミトが、恐らくその事態に一番最初に気付いたのだろう。


「——⁉」


 進んできた森の方向から見えずとも察せられる胎動たいどう。鳥の群れが飛び、逃げ惑う様。デュエラに抱えられイミトと向き合う形になっていたクレアが気付くのに遅れるのも無理のない状況。


「くだらない感傷の時間は無さそうだ」


「デュエラよ、我をイミトへ返せ!」


 イミトの様子の変化が何を意味するのか、遅れながら背後の気配を探りクレアも明確に理解するに至る。


 巨大な【】が猛烈な勢いでコチラに向かってくる。慌てて頭部を動かしクレアは臨戦態勢を取ろうとしたのだ。


 だが——、それは彼女の臨戦態勢である。


「デュエラ! クレアを——、頼む」

「な——イミト、貴様‼」


 錯綜さくそうする状況でイミトが、すれ違うようにクレアの横を通り過ぎて。クレア・デュラニウスはその瞬間にイミトが何をやろうとしているのか明確に理解し、それでも頭のみしか存在しない彼女には声を放つことしか出来ない。


 すると、それを知りつつイミトがデュエラ・マール・メデュニカへ向けて背中越しに投げるが如く語り掛けたのは、


「そいつは、俺にとって——お前の母親みたいなもんだ」


 「「——⁉」」


 とても悪辣な言葉。逆撫でするように、思い返させるように、呪うように、彼は穏やかにそれを言った。


「——行け」


「っ……お頼み申します、です‼」


 デュエラにはきっと、イミトが目論んだ通りのモノが見えていたのだろう。頭だけのクレアがとても弱く見えて、イミトの背が——かつての母が如く。



 故に、彼女は走り出す。母の、父の願いが、そうであったように。


「デュエラぁぁぁぁあ‼」


 叫んだクレアの制止も聞かず、彼女は走る。

 岩石地帯の先へ走っていった。

 クレアには見えずとも見えていた。イミトが、またも不敵に笑っていたことを。


 そして、イミトにもまた解っていた。薙刀を構えながら、森の奥、見えてきた巨大な蛇のうろこの動きの刹那にイミトは理解していた。自分が笑っていることをクレア・デュラニウスが知っている事を。


 そんな彼が迎え撃つは、のバジリスク、である。


 ——。

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