ロング・ランニング・エランズ 2

「どうした。いきなり」

「な、何となくですぅ……」


 もはや心配そうな顔をするザクロの問いに、ヨルは両手で顔を覆い隠しながら、最後の方を蚊の鳴くような声にしながら答えた。


「もしかして風邪でも引いてんじゃねえか?」


 そんな恥ずかしさのあまり汗だくだくのヨルに、ザクロは煙草を置いて近づくと、


「おいヨル、でこっぱち出せ」

「えっえっ、その……っ! おでこは顔が近いかと……っ!」

「いや、表面温度計使うぞ。人の感覚なんかアテにならねえ」


 仕事で使う、腕時計型のツールの温度計測をオンにして、なにやら勘違いしている様子で余計に顔を赤くするヨルの額に左腕を近づけた。


「あっ、はい……」

「ん。熱はねえか」


 それにヨルは、がっかり感と安心感の混ざった複雑な顔をした。


「……あっ。スマン、こういうの嫌だったか」


 ヨルの様子を見たザクロはそう思い当たって、ハンズアップの格好でそう言ってバックした。


「いえ、そういうわけでは無くてですね。……むしろ、その……」

「?」

 

 最後の方はもう完全に何を言っているか聞き取れず、ザクロは不思議そうな顔をした。


「変なヤツだ」


 何かしらをもにょもにょ言っているヨルへ、首を傾げながらそう言うと元いた場所に戻った。


「で、どうだ。ここには慣れたか?」


 深呼吸して落ち着いたところを見計らい、ザクロは足を組んでヨルに訊ねる。


「はい。みなさんにとても良くして頂いているので」

「そうか。……どうした?」


 にこやかなヨルの笑顔が曇っている様子を見て、ザクロは少し前屈みになって訊ねる。


「でも、私の出自をご存じないから、なんでしょうね……」


 手元の方に視線をやるヨルは、低く暗いトーンでそう言った。


「気にすんな。その程度でお前をボロクソ言うヤツなんざ、どうせろくでもねえ奴らばっかりだ」

「そうなんですか?」

「おう。なんならオレがまとめて冥王星くんだりまでぶっ飛ばしてやんよ。尻をしっかりローストしてからな」


 そう言って煙を一吸いしたザクロは、ヨルのいない方に向かってそれをはき出した。


「そんな奴らになんか言われるの、お前もムカつくだろ?」

「ムカつく、というのは?」

「怒る事だよ」

「なるほど。……怒るってどうやるんですか?」

「……。お前それマジで言ってんのか?」


 煙草をくわえようとして固まったザクロは、煙草の先から灰を落としつつ、目を丸くして二度見する。


「あ、はい。教えて貰わなかったので……」


 冗談といった様子も無く、どういう感じなのか教えてほしい、とヨルはザクロに頼んだ。


「教えてくれって言われてもなぁ。オレぁ腹立つとか、気にくわねえなら勝手に出てくるし」

「つまり嫌な事があればって事ですか?」

「まあそんなところだろ」

「分かりました! ちょっと思い出して怒ってみます!」

「いや、努力して怒るもんでも無えだろ……」


 まあ止めはしねぇけどよ、と言うザクロは、握り拳を作っていきみ始めるヨルを困惑した様子で静かに見守る。


 プルプルと震えながら3分程が経過して顔をすっかり赤くしたヨルは、


「――クローさん」

「おう」

「やっぱりよく分かりませんでした……」


 しょぼんとした顔になりながらザクロへ大真面目にそう報告した。


「そうか」


 それを受けて、どう言えば良いか、という手段を持ち合せていないザクロは、短くそうとだけ言って新しい煙草に火を付けた。


「分からない事ってたくさんあるんですね……。お煙草の事も私良く分かってませんし……」

「分かんねえでも良い事もいくらかあんだよ。ヤニなんかその最たる例だ」


 吸わねえで良いなら吸わねえで良いんだよこんなもん、とヨルの時々見せる無限の好奇心に、ザクロは顔を少ししかめて半ば呆れながら言った。


「じゃあ、なんでクローさんは吸われてるんですか?」

「……別に、大した理由じゃねえよ。――それより、これ吸い終わったら出かけるぞ。お前買い物とかあんだろ?」

「はっ、そうでしたっ!」


 すっかり忘れていたヨルはすっくと立ち上がって、パタパタと船内の方に戻っていく。


「ハッチから落ち――」

「うわぁーっ!」


 その際、注意喚起をしたザクロだったが、間に合わずにヨルは居住スペースに落下していった。


「あちゃあ……」


 額を抑えてそうつぶやいたザクロは、どしゃっ、と音を立てて落下したヨルの様子を見に小走りで向かう。


大丈夫でえじよぶかー?」

「はい……。なんとか……」


 下で気恥ずかしそうに、受け身をとった体勢で引っくり返っていたヨルは、恥ずかしそうにそそくさと起き上がって、居住スペース後部にあるベッドルームへ向かった。


「クッションでも敷くか……」


 これじゃいつか怪我すんな……、とザクロは独りごちて煙草をくわえた。




『んーん。良い匂いね』

『ヤニくせえだけだろ。変わってんな』

『無粋ねえ。あなたのだからいいのよ』

『どういうこった』

『そのくらい分かりなさいな』




「……。――あっちッ!」


 ボンヤリとしていたらいつの間にか手元まで火が来ていて、金属製のデッキに煙草を落としてしまい慌てて踏み消した。


 素早く艦橋から居住スペースに飛び下りたザクロは、リビングスペース左奥のキッチンスペースに向かい、流水で火傷しかけた指を冷やす。


「あっ、もう吸い終わられたんですかっ?」


 そこでバッタリ遭遇したヨルに、ちょっと焦った様子でそう訊かれた。


「いや、もうちょいゆっくりしてて良いぞ」

「はい。……手、どうされたんですか?」

「大したこたねえよ」


 バツの悪そうな顔で言うザクロの様子でヨルは察して、何も追求せずに通路を右に曲がって洗面所へ向かった。


「……香水とか使うんだな。しかも――」


 彼女が通った後からふんわりとかすかに甘い香りがして、ザクロは少し眉を上げてそう独りごちた。

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