第5話 努力してきたことって報われる?

 放課後、帰宅しようと腰をあげると、


「今日も来なよ」


 少し口元を緩ませた柊さんがそう言ってきた。


「あの場所いつも使ってるんですか?」

「そう。去年の末くらいからかな、矢車先生から了承もらって」

「厳しい矢車先生から了承って、すごいですね」


 そう言うと柊さんが席から立ちあがり、


「わたしがもらったんじゃないけど。まあ経緯は本人から直接聞いたら? んじゃね」


 肩に黒鞄を掛けて後ろ手を振る背中が印象的だった。


 今までの人生はずっとすぐに帰宅するだけだった。寄るとしてもいつものスーパーだけ。

 だけど今は違う。友達から誘われる、向かう場所があるという喜びで昂りを覚えていた。




 松葉さんは絶対に怒るだろうけど、柊さんから誘ってもらえたわけだし、自然と足は東館三階奥へと向いていた。

 暗がりに漏れる光。それは昨日見たものと同じだった。

 だけど、近付けども今日は声が聞こえない。

 恐る恐る開けてみると、


「は? またあんた?」


 ひとり椅子に座る松葉さんが怪訝な面持ちでこちらを見た。


「柊さんから誘われまして」

「チッ、余計なことして」


 ずっとスマホを見ている彼女と立ち尽くす僕。画面に打ち付ける爪音のみが響いていた。


「帰るか座るかどっちかにしなさいよ! 鬱陶しい!」

「す、すみません」


 ふたつ残っている椅子の、松葉さんから遠い方に座った。


「にしても、あんたのストーカー性には恐れ入ったわ」

「え!?」

「昨日、あたしたちのこと付けてたんでしょ?」

「ち、違います!」

「はい、嘘~。放課後にこんな奥地に来るわけないでしょ」

「帰り際に矢車先生から頼み事をされまして。視聴覚室まで備品を戻してほしいと」

「菊乃っち、知ってんのにやめてよね」


 最後の言葉だけ異様に小さく松葉さんが呟いた。


「矢車先生と知り合いなんですか?」

「ただの教師と生徒。あたしの優等生ぶりに惚れて鍵くれたの」

「そうなんですか」

「どうせ使わないらしいし、たまに掃除してくれるならって」


 辺りを見ればかなりの埃だ。去年末から使っているらしいけど、いつ掃除をしたのだろうか。


「なに? いつ掃除したんだよって言いたいの?」

「いえ、そんな」

「掃除しろなんて言われてないから。たまにって言われたの。たまにって期間とかないし」

「なら僕が掃除しますよ」

「勝手にすればー」


 ずっとスマホから目を離さない松葉さんをよそに、奥にあるロッカーから箒と塵取りを取り出して、ひとり掃除を始めた。自宅の家事で慣れているから苦じゃない。


 しばらくして扉が開いた。


「ジュース買って――って藤ヶ谷くん何してんの?」


 白のレジ袋を提げた柊さんが不思議そうな目で僕を見た。


「モブが床舐めたいって」

「愛莉、また雑用させたんでしょ!」

「違います。僕が勝手にしてるんです」

「そう。ごめんね、わたしら掃除苦手でさ」

「いえ。掃除しないとおふたりの体に悪いかなと思ったので」

「やだー、キモーい、健康管理までされちゃーう」

「愛莉の分、ジュースなしね」


 袋の中の三本のうち、一本を持って来てくれて、あとの二本を柊さんが死守していた。松葉さんが鋭い目で柊さんを睨んでいる。


「美月も今みたいな感じで他の男に接すればエース候補なのに」

「言ったでしょ、あんたみたくなりたくないって」


 静まり返る教室で、もらったジュースを時折口にしながら掃除を続けた。松葉さんはずーっとスマホ、柊さんは教材を広げて勉強していた。


「苦戦してるねー、美月ちゃーん」

「バカで悪かったわね。ねえ、藤ヶ谷くんって勉強できる?」

「聞くだけムダムダ。出来っこないって。どうせ家でずっとオタクごっこでしょ」

「言いすぎ! 自分が優秀だからって調子のんな!」


 松葉さんは全てを持っているのだろう。金欠かもしれないが、容姿と才能はすごいのだろう。成績がいいからこの部屋だって自由に使わせてもらっているんだろうし。

 僕もそれなりに勉強はしてきたつもりなんだけど、ダメかな。


「モブ~、一年最後の考査、総合何位~? もしかしてビリ~?」

「三位でした」

「はあ!?」


 手にしていたスマホが机に落ちて、松葉さんが目を丸くさせていた。


「あれ~、愛莉何位だったっけ?」


 うちの学校は成績一覧を貼り出さない。プライバシーがどうとからしい。そのため自分の成績以外は知り得ないが、この様子だと下なのかな。


「嘘はよくないなー。じゃあ、コレ解いてみて」


 松葉さんが鞄の中を探り、一冊の問題集を開けて提示させていた。


「それ、愛莉が投げたやつじゃん」


 見てみると、それは数学の応用問題。終盤のページだから一年の集大成っぽいものだ。

 頑張ろうと椅子に座ってはみたものの、左に松葉さん、右に柊さんが間近くで身を寄せてくるので、甘い香りも相まってなかなか集中できない。


「最初はこうですね」

「それは誰でも分かるから」

「え? わたしサッパリ」


 今のやり取りで柊さんのレベルも何となく把握できた。


「次はここをこうですね」

「そこも分かってるから」

「ん~?」


 徐々に柊さんの口数が減っていく。


「ここから……そうですねえ」

「おんなじとこで詰まってんじゃん」


 確かに難しい。図形の問題なのだが、あと一本補助線が見つからない。

 その時だった。


「ここ! この点を突き抜けるように補助線を引けばどうですか? ほら」

「そ、そんな発想……」


 追い詰められた馬鹿力なのか、何とか思い付けた。


「これが答えじゃないですか?」


 僕がそう言うと、松葉さんは僕を睨みながら、無言で最後のページの解答を確認している。


「つまんなーい」


 吹っ切れたように松葉さんは立ちあがり、背中を向けていた。


「正解っぽいじゃん。すごいね、藤ヶ谷くん」

「いえ、そんな」

「愛莉の五位を抜くなんてね」

「言わないでよッ!」


 総合順位はどうやら勝てたらしい。


「またひとつ増えたじゃん。藤ヶ谷くんの才能ポイント」

「は? 勉強できるくらいじゃあねえ」

「けどさ、頭良いなら良いとこ入れるし、将来稼げるんじゃないの? お金と才能はクリアで良くない?」

「甘いわね、美月。このご時世、良い大学出たって内定ないひともいるし、どんなに大手でも倒産するかもだし。やっぱ狙うは御曹司よねえ。親の貯えで一生安泰とか♪」

「あんたの考え最低ね」

「どーもー」


 柊さんが松葉さんに対して冷ややかな視線を向けていたが、松葉さんの意見も一理ある。僕も裕福ではない家庭で育ったので苦労も知っている。お金はあればあるほど良いに決まっているし、御曹司なら大きな波乱さえなければ崩れにくいだろう。こんなモブよりそっちの方がお似合いだと心から思った。

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